2024年10月2日(水)
『作ることが好き』『食べたお菓子が美味しかった』ので飛び込んだのは半田市内の老舗和菓子店でした。今、考えると特に深い理由もなく進む道を決めてしまったようにも思いますが、自分にあった選択だったと実感しています。何よりも、もの作りの世界は魅力的で、休みの度にあちこちに花を見に行っていたほど花が好きなので、花を題材にしたお菓子を作るのは楽しかったですね。和菓子職人は本物を見ることが大切で、趣味が学びになり得した気分でした(笑)。ただ手先が不器用なので、人より少し努力が必要だったと感じています。勤めた38年間に『技術と人間関係』を学んだことで今の私があると思っています。
『一級菓子製造技能士』の資格習得はひとつの目標でした。当時は子どもが小さかったので、騒がしい自宅ではなく、マンガ喫茶で勉強しました。久しぶりの勉強は結構大変でしたが、その目標を達成した時は嬉しかったですね。2019年、これからのことを考えた時に再出発するなら今と54歳で退職しましたが、運悪くコロナ禍の波が押し寄せてきました。変更を余儀なくされ、客として通っていた飲食店に雇ってもらいました。程なくして母が亡くなり、2023年の年明けには、父に余命宣告が
下され、介護に専念しようと2月に飲食店を退職しました。たった3週間後に父は旅立ち、またしても無職になった私は、5ヶ月後に和菓子店をオープンしようと動き始めました。十分に考える時間もないドタバタした毎日でしたが、飲食店で働いていた時に、一人で出来る範囲で商い、自宅の駐車場にキッチンカーを停めて、それを店舗にしようと決めていました。そして何気なく目にしたテレビで『きなこ』を作っていたのを見て「きなこを極めて、きなこにこだわった店にしよう」と密かに計画していました。
キッチンカーはタイミングよく知り合いから購入できたのですが、納得できる『きなこ』を完成させるまでに時間がかかりました。きなこは大豆を自家焙煎して作り、大豆の産地、焙煎具合によって色や香りに違いが出てきます。妹家族に何回も試食してもらい「これだ!」と思うものがやっと完成しました。付き合ってくれた友人にも感謝です。きなこを使ったお菓子屋だから『和風sweets きなこ』。難なく店名も決め、きなこの文字は自作です。少し酔って書いたので、書体と私の見た感じにギャップが
あるでしょう(笑)。愛車のオートバイも売り払い、昨年8月20日に心機一転、気持ちも新たにスタートラインに立ちました。
厳選した原材料に添加物を使用せず、健康を第一に考えたお菓子です。挽いたばかりの香り高い自家焙煎きなこで、こし餡を包んだ『わらび餅』。ぷるぷる、とろける食感の『羽二重餅』『くず餅』が自慢です。その他、四季折々の和菓子、シュークリーム、プリンなど和洋折衷の商品ほとんどに、きなこを使用し、きなこの販売もしています。きなこは動脈硬化の予防やエイジングケアにも期待ができるそうで、一度に300gもお買い求めになられる方もいて私も驚いています。和菓子は最初に目で味わうお菓子で、形が重要になってきます。長年勤めていた店のお菓子の形を手が覚えていて戸惑うことがありますが、その形をアレンジして『きなこ流』にするよう努めています。ハートが好きで、様々なお菓子にハート愛を込めています。
開店して1年余り、店舗が本通りから1本外れた所で分かりにくいので、まずは宣伝と姪っ子に指導を受けながらインスタグラムに商品を投稿しています。インスタの威力は凄いですね、遠くは岡崎や春日井からいらっしゃる方もいます。先日は姫路の方が「インスタを見て美味しそうだったから、旅行先をこちらにしました」と言われて感激しました。月に3・4回インスタを見たイベント主催者からの依頼で、キッチンカーで出店しています。色々な方とお会いできることは楽しくて、キッチンカー仲間との繋がりもでき、交友関係が広がりました。意外だったことは、テレビ局からも「インスタを見て取材に来ました」と言われたことです。SNS、Xなど始めればいいのでしょうが、とてもその余裕はありません。友人からは「1日に2回インスタに投稿しなさい」と言われるているのですが、新商品を作った時に投稿するのが精一杯です。
買い物も飲みに行くのも、いつでもどこにも着ていく、きなこ色のTシャツは私のお気に入りです。先日あるスーパーに行ったら「美味しそうな色のTシャツですね。どこにお店があるんですか?」と尋ねられました。早速、持ち歩いている名刺をお
渡ししてご挨拶したら、翌日買いに来ていただけました。このTシャツも凄いです(笑)。
「美味しい」に自信があります。きなこ色のキッチンカーで「美味しい!」を味わってください。
■ 住所/半田市住吉町3-177-2 TEL/090-3254-7321
■ 営業時間/9:00~無くなり次第終了
不定休になりますのでお越しの際はお電話いただけるとありがたいです
2024年9月11日(水)
知多半島をはじめとして、愛知県内で多くのホームページ制作するインターネット・プロ東海(株)は、運営サポートにも力を入れた「がっちりウェブ!!」をリリースいたしました。
創業から約30年の間に培った、経験豊富なデザインと制作にサポート力を加え、店舗や企業、事業所のご担当者様が抱えるホームページのお悩みや課題を「がっちり」解決いたします。
・売りたい商品で、どんな写真や文章が来店する人にとって魅力的なのかを聞きたい
・集客に「アクセス解析が最適」とセミナーで聞いたのだけれど具体的に教えて欲しい
・WordPressではどんなことが出来るのか知りたいけど、操作が難しそうなイメージがある
上記などのお悩みを抱えているご担当者様は、是非お問い合わせください。
代表者/後藤 克典
住所/半田市星崎町2-206-2 サンシャイン星崎102
TEL/0569-26-6420(担当:岩月)
E-MAIL/homepage@ipc-tokai.or.jp
https://web.mite.ne.jp/
2024年9月4日(水)
8月29日(木)にお肉専門店 石川屋岡崎戸崎店がオープンしました。
「よい肉を毎日食卓へ」をお客様への約束として掲げ、知多牛、知多和牛、知多半島産の牛豚を中心に、お肉専門店ならではのお惣菜、お弁当などを販売されています。
同時に青果コーナーも碧南市の「ぜんめいや」さんのご協力のもと地元の野菜・果物を中心に販売をしています。
ぜひごご来店ください。
<店舗情報>
「お肉専門店 石川屋岡崎戸崎店」
住所/岡崎市戸崎町屋敷93-1
TEL/0564-73-0009
営業時間/11時〜18時(月〜金)、10時〜18時(土、日)
定休日/水曜日
<事業所情報>
事業所名/株式会社石川屋
所在地/半田市十一号地18-28
代表者/石川大介
2024年8月30日(金)
【僕と社長】
「モノづくりを知りたい、伝えたい」
そんな気持ちでお邪魔したのは、港本町に工場を構えるセオ工業さん。
令和5年6月、それまで25年勤めた㈱間瀬工業(半田市州の崎町)から独立し、この場所(港本町)で事業を始めた。金属等の加工を行う、いわゆる町工場だ。とは言うものの、この場所は以前、㈱間瀬工業が稼働していた場所。13年前にこの港本町から州の崎町へ移転、しばらく使われていなかった工場。
移転後、州の崎町での勤務を続けた瀬尾さんだったが、今後について様々な想いを抱き悩んだ末、退職を申し出た。すると「この場所(港本町の工場)を使って独立しないか」と、社長から思わぬお声がけをいただいた。正直とても嬉しかった。「この会社で仕事を続けてきて、モノづくりが好きになり、長年お世話になった社長が僕の背中を押してくれている」この場所での独立を決意した。
【取り扱い内容】
取り扱い可能な材料は、鉄・アルミニウム・ステンレス・真ちゅう・銅・樹脂など。旋盤加工が可能な材料であれば何でも取り扱うことができる。加工の多くをNC旋盤で行うが、加工内容によっては汎用旋盤も使う。自動車部品をはじめ、美容グッズの部品など完成品の行き先は幅広い。
お客様から図面を受け取ると、それをパソコンに落とし込み、工具を選び、旋盤のプログラムを組み、刃物の動きを調整する。これがNC旋盤加工の流れだそうだ。「全てお一人でやるのですか?」と驚くと、「普通のことですよ」と瀬尾さんは言う。とても緻密な作業の積み重ねと感じないのはこの道27年の職人ならでは。この工程一つひとつがモノづくりなのだ。
【やりがい】
仕事を通じて一番嬉しいことを伺うと「きれいな品物だね」とお客様から言っていただけることだそう。万が一、お客様に心配事があっても、打ち合わせや調整をすることで、不良が無いよう最善を尽くす。
セオ工業さんのウリは「高品質・短納期・経験」。品質には妥協を許さず、自信をもって納品できるものだけをお届けする。品質と併せて短納期も心掛けている他、一(図面)を受け取るだけで、十(完成品)にしてお届けできる経験値にも安心感がある。
【これから】
独立から1年が過ぎたが、最近は社会情勢に影響され、順調な時ばかりではない。そんな時こそ焦らず、お客様とのコミュニケーションを図り、また新たな販路を見出すべく積極的に動くよう心掛けている。(正直、とても焦りますが、その気持ちをグッとこらえて踏ん張っています、と笑う瀬尾さん)
持ち前の明るさと誠実さが、この地域のモノづくりを支え、その楽しさを教えてくれた。延いてはそれが品質にもつながるという、まさにモノづくりの奥深さと魅力を発信してくれているようだ。(取材:加藤由香恵)
住所/半田市港本町2-119
代表/瀬尾聖史郎
創業/令和5年
TEL/090-6463-2487
2024年8月30日(金)
祖父君、父君とも社長という経営者一族の長男として(3人兄弟)生まれ、『経営者としてあるべき姿』は既に刷り込まれていたが、音楽が好きでカラオケ機械メーカーに入社した。どうしたら高得点を出せるか?気持ちよく歌えるか?を昼夜考え、機材やマイクの調整や保守のために自ら歌うことが仕事だった。
「趣味と仕事がマッチした順風満帆な8年間のサラリーマン生活でした。2010年に祖父が会長を務めていたカナマルの顧問から、後継者として戻ってきて欲しいと連絡がありました。こんなに楽しい毎日と別れるのは嫌だと思いましたが、『自分の運命』と受け入れました。全く違う業界で何も分からない上に、リーマンショックの影響で売り上げもダウンし、地を這うような状況下での入社でした。その後、病で社長が辞任、仕事も減り3日出社して4日休みという中で社員の士気も下がり、自分の無力さを痛感する日々でした。何とかしなければと「頑張って行こう!」と社員らに声がけをしても「こんな会社のためになんで頑張らんといかんのだ?お前が宇宙人に見える!」とさえ言われました。私自身も『引き継ぎもなく、赤字会社を丸投げされたか…』と憤慨しながらもやるべき事をやっていました」
2011年、中小企業家同友会に入会し、書籍『人を活かす経営』の一文『経営者はいかなる困難な状況にあっても、原因を他に求めたり諦めてはいけない』という言葉と出会った。その瞬間、全身に激震が走り、他責思考であった自分を深く恥じ、以後は全て自分事として捉えるようになった。社員と一緒に課題を解決し、経営理念や方針を掲げ、同友会の仲間にも包み隠さず悩みを打ち明け、アドバイスを受けた。現況を打破するためにやるしかないと自分を追い込み、一心不乱に働いた。
「2012年、社長就任時に会社を立て直していくことを宣言し、全社員と意を共にしました。以後、従来からの仕事、クレーンの重要部品の製造のみから業務拡大するため社員が一丸となり、今では建設機械、産業機械、各業種(輸送機械など)の溶接・機械加工・塗装・組立加工による製造業務を獲得しました。社員の結束力・技術力が花開いた結果だと感謝しています。一人では1馬力、複数では人数以上の馬力が出ることを実感しました。当社は図面1枚から材料手配-溶接-加工塗装-組立まで一連の工程をワンストップで対応できる強みがあります。その強みを実現するのに欠かせない広い工場と多様な設備を完備しています。また、得意とする厚い鉄同士の溶接は外面からはその品質は分かりません。しかしながら、当社の技術力を信頼していただけ
ているからこその仕事であり、付加価値の高い仕事に携わっている社員が誇りであり、カッコいいと思っています。夏は暑く冬は寒い工場内で、一生懸命モノづくりをしている社員たちには感謝しかありません。私自身は現場の仕事は分からないし、中途半端に関わっても邪魔になるだけなので、現場の作業は任せると決めています。自分の経験を会社の成長につなげて、社員みんなで成長していけるような、共に育つ関係でありたいと思っています。経営理念は『私たちは夢を形にするものづくりに挑戦します。私たちは笑顔で地域社会に愛される会社になります』です。「こんなものが欲しい」「あんなことに困った」など、多品種少量生産のお客様の要望(夢)も形にするために、知恵と技術と情熱でお応えするスペシャリスト集団です。主役はいつも人です」
社長に就任して12年。台風19号(2019年)の襲来により取引先の災害、コロナ禍など、時々壁にぶち当たって崩れそうになった時もあったと語るが、昨年工場を耐震補強して次代に向けて歩みを進めた。『AI時代が到来する』と言われる昨今、広大な工場や設備などを必要とするこの業界への新規参入はほぼなく、廃業する企業が増えているのが現状のようだ。技術力を誇る同社は、これからを担う人材育成に注力し、市場を拡大してきた。
「当社は新規受注も増え、間違いなく伸びていきます。モノづくり歴107年、積み上げた経験と実績が証です。1917年、金丸勇氏が糊付機、整経機及び織布準備機械の製造販売会社として金丸鐵工所を設立した当社は、1980年に資金的に行き詰まり倒産しました。業界にとって重要な機械製造に関わっていた当社が無くなると繊維業界に悪い影響が出るということで、当時繊維に関わっていた祖父の石川三三に白羽の矢が立ちました。負債額14億円を5年で再建しましたが、国内での繊維業界の衰退に伴い、90年(株)カナマルとして『建設機械の部品製造業』にシフトして行き、現在に至っています。今も祖父を知っている人に出会うと「偉大な人だったね」と孫である私を可愛がってくださる方も多くいます。そんな祖父を持ち光栄だと思っています」
創業者は米騒動が背景にある時代、繊維に着目して人々が少しでも豊かになることを願った。その使命感と不屈の精神が脈々と同社に受け継がれている。
「その継承は重いのですが、世の中のお役に立つためにチャレンジし続けます。それが私の使命です」
●ちょっと一息●
両親はビートルズ世代でいつも家には音楽が流れていました。父(家業の石三織布代表・当時)がギターを弾くのに影
響されエレキギターに夢中になり、だから大学は電気科に進みました(笑)。その頃からバンド活動をしてギター・ボーカルを
担当、大学を2年間休学して音楽活動に没頭していました。本当に自由に好きなことをやらせてもらって感謝しています。
そのツケが回ってきたのか(笑)、戻ってきてからは偉大な祖父のプレッシャーに押し潰されそうになりながら、娘が生まれ
た時も「会社が倒産したら育てることができるか?」と不安でしかありませんでした。その娘も今は4歳になり、私の好きな
釣りの英才教育をしています。そんな家族との時間は、日々の忙しさを忘れさせてくれるかけがえのない時間です。
1976年半田市生まれ。2002年大同工業大学電気科卒業。業務用カラオケを扱う(株)エクシング勤務を
経て、10年(株)カナマル入社。12年現職。愛知中小企業家同友会南尾張支部副支部長。当所議員。