半田商工会議所 THE HANDA CHAMBER OF COMMERCE & INDUSTRY

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お客様の笑顔のために

2025年10月2日(木)

内藤フルーツ

知多半田駅とJR半田駅の中間点に店舗を構える「内藤フルーツ」は、昭和22年に創業し、地元で長年にわたり親しまれてきた老舗の果物専門店である。創業者の内藤庄三氏が始めたこのお店は、戦後間もない混乱期に「新鮮でおいしい果物を通じて人々の暮らしを少しでも豊かにしたい」という想いからスタートし、現在は三代目の内藤雄三氏がその意思を継ぎ、地域に根ざした営業を続けている。
 店頭では、季節ごとに変わる旬の果物を中心に、国内外の選りすぐりの果物を幅広く取り扱っている。家庭用から贈答用、さらには冠婚葬祭などの籠盛り・ギフトにも柔軟に対応しており、その丁寧な仕事ぶりと品質の高さは多くのリピーターから厚い信頼を得ている。
 内藤フルーツの魅力のひとつである「フルーツサンド」は、完熟フルーツと甘さ控え目の生クリームを、しっとりしたパンで挟み、見た目にも美しく、味のバランスも絶妙。1日30食限定という希少性もあり、販売開始から瞬く間に地域の人気商品となった。リーズナブルな価格設定でありながら、素材へのこだわりが随所に見られ、多くのメディアやSNSでも取り上げられている。
 さらに、果物を華やかにアレンジした「フルーツブーケ」も評判で、まるで花束のように彩りよく盛りつけられたフルーツは、贈答品や手土産にぴったりで、特別な日のサプライズギフトとして人気を集めており、お客様のニーズに合わせたカスタマイズも対応している。
 また近年では、キッチンカーによる移動販売で、果物だけでなくフレッシュジュースやオリジナルハンバーガーの販売も行っており、柔軟な営業スタイルで、地域イベントやマルシェなどにも積極的に参加している。
 そして今年の4月には新たな挑戦として、武豊町に「JuiceFood Stand S&S Produced by NAITO FRUITS」がオープンした。「日常の中に、もっと果物を。もっと健康を。」という想いから誕生した新業態のカフェスタンドで、内藤フルーツならではの鮮度と品質を活かしたメニュー展開が特長である。
 店内では、厳選された旬の果物をふんだんに使用したコールドプレスジュースやスムージーを中心に、フルーツの栄養や美味しさをそのまま閉じ込めたドリンクメニューを多数取り揃えている。添加物を一切使わず、素材本来の甘みや香りを活かした味わいは、健康志向の高い方々や、美容に関心のある女性を中心に高く支持されている。
 また、ドリンクだけでなく、軽食やスイーツなどのオリジナルフードメニューも提供しており、フルーツを使ったサラダボウルやスイーツプレート、スムージー
ボウルなど、“見た目にも楽しく、体にもやさしい”ラインナップが特徴である。地元の新鮮な野菜や素材を取り入れたレシピも多く、地域密着型のスタンドとして親しまれている。
 S&Sの「S」は、「Smile」と「Satisfaction」の頭文字。「美味しさを通じて笑顔と満足を届けたい」という内藤フルーツの企業理念を、そのまま新しい形で体現した店舗で、老舗果物店の経験と信頼に、新しい感性とスタイルを掛け合わせたS&Sは、今後さらなる展開が期
待されている。
 果物を売るだけではなく、その先にある「お客様の笑顔」や「幸せな時間」を大切にしている。時代が移り変わっても、変わらないのは「丁寧さ」と「おもてなしの心」。これからも地域に根ざし、地元と共に歩み続ける存在でありたいと雄三氏は考えて
いる。 (取材:中満信宏)

【内藤フルーツ】
住所:半田市南末広町120-11
営業時間:9:00~19:00TEL:0569-21-1675
【Juice Food Stand S&S Produced by
NAITOFRUITS】
住所:武豊町南中根16-1
営業時間:11:00~13:45、17:00~20:45TEL:0569-72-5152




社員とともに

2025年10月2日(木)

瀧上 晶義氏 瀧上工業株式会社 代表取締役社長

1895年『鍛冶定』として名古屋市で創業した同社は、橋梁・鉄骨には、社事業を柱として発展してきた。半田市との関わりは1963年、当社の業の主力工場として半田工場の操業を開始したことによる。2012年には、橋梁を主軸とする同社にとって、『第二の創業地』とも言える半田市へ本社を移転した。地域への想いは強く、『半田市福祉文化会館』のネーミングライツに協力し、『瀧上工業雁宿ホール』となった。地域への想いは強く、『半田市福祉文化会館』のネーミングライツに協力し、『瀧上工業雁宿ホール』となった。(常滑・りんくうゲートブリッジには、「つくった会社は‥瀧上工業㈱」とユニークなメッセージが添えられ、同社のネーミングライツ1号となっている)。また、今年9月、創業130周年記念イベントとして、市民も対象にした記念講演会を『瀧上工業雁宿ホール』で開催した。
 「不透明な時代、今後の方向性を照らす灯台の明かりのような役目を果たせればと、薬師寺の大谷徹奘師をお迎えし、「ステージチェンジと生き方」をテーマにお話いただきました。社員、家族、多くの市民の方々に参加いただき感謝しています。私は現職に就いて15年、経営の難しさ、環境の厳しさを年を追うごとに実感しています。まるで下りのエレベータに乗っているような状況の中、必死に走り続けなければ現状維持はできません。常にもがきながら、就任時から温めていた構想を一つずつ形にしてきました」
 創業者、瀧上定治郎氏を祖父君にもち、家庭で会社の話題が出る際、若さ故、自身がイメージしている会社とのギャップを感じることもあった。そのため、後継者となった折には自分なりの会社経営をしていこうと考えた。大学卒業後に会社経営を金融面から見ることも大切であると、㈱三菱銀行(㈱現三菱UFJ銀行)に入行し、5年後の1990年同社に入社。48歳で現職となり、ガバナンスの再構築に取り組んだ。新規事業として太陽光発電による売電事業を開始し、事業基盤の強化を図り、新たにマニラ駐在所を設置し、不動産事業を再スタート。また、関連会社を完全子会社化し(現在7社)、長年に亘り培われてきた、ゆるぎない技術と技能を持つ『総合エンジニアリング企業』としての地位を確立した。
 「業界には自社をアピールしないことを人徳とするような雰囲気があったように感じていました。もっと外に向けてアウトプットする必要があると前々から考えており、その一つがネーミングライツへの参加でした。 BtoB(企業間取引)形態の当社では、それをしたから橋が一本オーダーできるということはありませんが(笑)、何をしている会社であるかは認知されたのではないかと思っています。自分が勤めている会社がどういうことをしているか分かってもらえてないのは、社員も寂しい思いをすることでしょう。外へのアウトプットによって人材確保にも良い影響が出ているようです。今では社員の6~7割が知多半島出身者です。『橋梁事員ともっと喜びを分かち合える会社にしたい』という夢があり、ステークホルダーである社員は大切な人財です」
 就任当初から書き続けてきた『社長日誌』は200号を超えた。会社の現状、自身の考え方、時にはお孫さんのことなどプライベートにも触れ、月1回グループ会社も含めたWeb上の掲示板に配信し続けている。「文章を書くのは好きかもしれない」と語るように、入社式・創立記念日・年末・年始・賞与時など年間20回に余る挨拶文等を、自分の言葉で伝えるために、締切に追われながら『想い』を綴る。
 「給与・賞与明細は紙で配布し、そこにも私のメッセージを添えています。社長就任時には『社長賞』を設けていた時期もありましたが、今年から表面に現れる輝かしい業績を上げた社員だけでなく、縁の下の力持ち的存在の社員にスポットを当てました。清掃を頑張ってくれている、さりげない心遣いでみんなを元気にしてくれるなど、社員からの推薦、私目線での推薦者を幹部で検討し、この春には20名に寸志を贈り、一人ひとりの推薦理由を引用し、感謝の想いを綴った私の言葉を添えました。「こんな所まで見てくれていた」「頑張ってきたことが評価された」と驚きや喜びの声が上がっていると聞き、このことで働き方や日常生活の次へのエネルギーとなったら尚更嬉しいことです」
 橋梁は道路、海、川、谷などの障害物を超えて通路を提供し、人や物の移動を助け経済発展にも繋がり、まちとまち、人と人とを繋ぐ交流の架け橋となっている。そういうインフラ整備に関わる企業としての存在意識をもち『世の中に無くてはならない企業』としての自負心を持って欲しいと、社員に語りかける。現に同社は衣浦大橋、東海道新幹線六番町跨道橋、本州四国連絡橋の施工は、その時代においてのレガシーとして語り継がれ、人々の生活に利便性や心の豊かさを提供し、日本経済の発展に寄与してきた。
 「中国の兵法書『孫子』の格言『巧遅は拙速に如かず』は長年私が心掛け、新入社員に向けて発している言葉です。日本人の特性かもしれませんが、うまくやろうとするが故に、迅速に物事を進めない傾向にあるように思います。私がせっかちで楽天的なせいかもしれませんが(笑)、『やってみなはれ』的な考え方をしていて、失敗したらやり直せばいいと思っているのですが、現状はなかなか難しいようです」
 社歴を紐解くと、社長就任直後に半田に本社移転し、数年の内に温めていた構想を次々と形にし、その言葉を実践してきた。その柔らかな笑顔からは想像できない強靭な精神と実行力が宿っているようだ。創業130周年を迎え、社員と共に次代に向けたレガシー創出のための一歩を踏み出した。

●ちょっと一息●
 仕事は一人だけでは出来ません。いかに協力・共鳴者を増やし、やる気を持って働ける組織作り、環境作りを行うことが私の使命と考えています。そのためには私の考え方や私の人となりを社員に知ってもらうことが大切です。『社長日誌』もその一つですが、かねてから組合幹部に「私との懇談会を企画してもらえないか」というお願いをしていたことが、昨年9月から開催の運びとなりました。私が勝手に『車座の会』と命名し、10名ほどの社員と2時間ほどお菓子やお茶を楽しみながら『互いの想いを語り合う会』として、全社員とその機会を持つ予定です。私自身は社員との距離感は近く、フルネームでは呼べないにしても、社員のことは分かっているつもりです。社員から見たらどうでしょうか?敷居が高いのでしょうか?色々な取り組みを通して、社内の風通しが良くなったという声も聞こえ、「そうであるなら、失敗してもいいからもっとチャレンジして欲しい」と期待しています。
 趣味を聞かれる度に料理、日曜大工、家庭菜園と答えていますが、最近、草取りも仲間入りしました。朝の5時半くらいから自宅付近の草取りをし、熱が入ってしまい中央分離帯の草まで取ったり、会社でも思わず草むしりをして、社員から「やめて欲しい」と言われています(笑)。仕事柄でしょうか、綺麗になったまちを見るのは気持ちの良いものです。

1961年名古屋市生まれ、名古屋市在住。85年早稲田大学法学部卒業。同年㈱三菱銀行(現㈱三菱UFJ銀行)入行。90年同社入社。97年取締役営業本部営業部長。2006年取締役兼執行役員営業本部長兼名古屋支店長。07年取締役兼執行役員管理本部管掌兼企画管理室長。08年常務取締役企画管理室管掌兼生産本部管掌兼工事本部管掌。10年現職。当所議員。  



『護身術×護心術』で安全な今を!

2025年10月2日(木)

Anela hair 三浦 有美さん

振り返ってみれば、強くてカッコいい人が好きで、私もいつかそんな女性になりたいと思っていました。小さい頃に行っていた美容院のお姉さんがカッコよくて憧れました。お姉さんとのお話は楽しく、私自身も髪を触るのが好きだったので、「みんなをキレイにしたい」という思いで、美容師になりました。色々な技術を学ぶために13年間で3店舗に勤め、その間に同業者である主人と結婚し、二人のお店を持って13年になります。
 美容師の多くは自分のお店を持ちたいと思うことは夢の一つで、私もお店を持ったら、ただ髪を整えるだけでなく、お客様にとって心の拠り所となり、ホッと安心できるようなお店を作りたいと考えていました。大型店が苦手、スタッフが入れ替わるのがイヤ、周りが気になるという方もいらっしゃると思います。そういうお客様のために、ヘアスタイルの悩みなどをじっくりお聞きし、シャンプーからブローまで全ての施術ができるように、二つの個室を設けています。プライベートなゆったりとした癒しの時間をお過ごしいただきたいという想いも込めています。
 お客様と接していて、『いつもと違う自分になりたい、ちょっと変わりたい』という願望は多くの方が持っていらっしゃると感じています。そういう時に、お客様の心に寄り添うというか、気持ちを組んで差し上げ、「ちょっと冒険してみましょう」と背中を押して、『新しい自分発見』のきっかけになればと思っています。お客様の要望をお聞きしながら、その方にお似合いの髪型を提案させていただいています。
 また、今までと変わった自分になったり、キレイになると、お帰りになる時は笑顔になり、表情まで変わってきます。髪型が変わったことで、ネイルに興味を持たれたり、ピアスを開けたり、おしゃれを意識し始めるお客様を多く拝見してきました。性別、年代を問わず、おしゃれは元気の源と思っています。美容の世界も進化し続けています。学ぶことは楽しくて、新しい技術にいつもチャレンジし、『髪質改善』、『ヘッドスパ』、『リラグゼーションメニュー』など、好評をいただいています。
 お客様のお話は楽しくて、お喋り好きな私もついつい引き込まれています(笑)。かつて私も色々思い悩むことがあり、『変わりたい』と断捨離し、家の中のものを手放していきました。そうすると足りないと考えるより、今あるものを活かしていく方向に変わっていったんですね。その時に『整理収納アドバイザー』の資格を取得し、それがきっかけになって食べ物で身体は作られている『腸活』の大切さも実感し、発酵食品のことをもっと知りたいと、『発酵食品マイスター』の資格も取得しました。今では甘酒、味噌、塩麹は自家製です。日本古来の食品は本当に素晴らしいですね。私は以前は年に数回皮膚科に通っていましたが、今ではすっかり改善されました。健康は幸せに繋がっていると信じていますので、私自身のそういうお話がヒントになれば嬉しいですし、お客様が悩みや楽しみを気軽にお話していただけるような、お客様の専属美容師になれるよう努めています。
 休みの日には、家族共通の趣味であるキャンプや釣り、ダイビングなどを楽しみ、一緒に遊ぶ時間を大切にしております。思いつきで体験した護身術に何?この楽しさは?と親子ではまり、武術を習い始め、さらに私は剣護身術の総合護身インストラクターを学び資格取得し、今年の3月から吉祥会として護身術教室を始めました。
 護身術は、危険から身を守るためだけでなく、心と身体を整え、自分に自信を持てるようになる学びです。私は楽しく身につけて、日常に安心を広げたいという想いでお伝えしています。いざという時に身体が自然と動くように稽古をしております。力に頼りませんので、運動が苦手な方でも大丈夫です。小さい頃からカッコいい人が好きで、精神的にも強い人にも憧れるようになった私にとって、『護身術』は求め続けていたものだったような気がします。息子も武術と出会いドンドン変わっていきました。姿勢が良くなり、目力が強くなり、自信がついたように感じています。今は教室で私のサポート役として頑張ってくれ、頼もしいパートナーです。
 美容師と護身術、関連が無いようですが、護身術は身体を動かし自分の軸を感じることで、心に自信と落ち着きを育むので、仕事の精度も上がったのではと、密かに思っています。外側と内側を整え、『護身術× 護心術』で多くの皆さんに、安心な今を送っていただきたいと願っています。

ご子息 綾斗さん(八光流柔術 皆伝師範)の言葉
 「私もまだ経験が浅く、武術の本質的なことを語るには、50年早いと思っています。ですが、少しでも多く護身の大切さを伝え、勇気を与えたいと思い協力しています。それと同時に私達も共に稽古に励み精進していきたいと思います」

護身術教室
  練習日:毎週金曜日 17:00~18:30 会場:有脇公民館
  対象年齢:子ども(4歳~)、親子 月会費:4,000円
 女性クラス、シニアクラスも開催予定

Anela hair
■ 半田市有脇町2‒39‒1  ■ 営業時間/9:00~18:00(完全予約制)
■ 定休日/毎週火曜日、祝日(土曜祝日は営業)  ■ TEL/0569-89-2499
  



印刷を通じて夢の実現 ~自費出版・小ロットの印刷・製本~

2025年9月1日(月)

㈲一粒社

 ㈲一粒社はオフィス1階に「印刷ギャラリー」があり、自社出版の書籍を展示。本屋のような空間で文化の伝承と保存を目的に書籍の魅力を伝えている。

 昭和23年創業。文字物印刷を中心に文字組みの歴史を歩み続けている。創業間もないころは筆耕という鉛筆の形をした鉄製の筆でロウ引紙に手書きで原稿を書き写していた。版を作成するために、社会人や夜学生が夜な夜な文字を書いていた当時から、文字ものを中心とした印刷物を得意としている。

 特に1,000部以下の小ロット印刷においては、社内一貫生産体制により高品質、短納期、低価格を可能としている。昨今ブームの自費出版は、「NPO法人自費出版ネットワーク」の立ち上げメンバーとして参画。出版社一粒書房として地域の方々や国内外からの要望に、自費出版アドバイザー資格者が著者の想いをカタチにしている。サービスの詳細は一粒書房自費出版Webサイトで確認できる。最後までお客様のイメージを丁寧に聞き取り、最適な本づくりから書店流通までの提案、装丁デザイン・組版編集・印刷・製本まで全てを行っている。 WebサイトにはAI技術を活用したPR動画もあるので注目していただきたい。

 「設備が仕事を創る」の考えから、平成7年に日本に導入間もないアメリカ製デジタル印刷機を導入。デジタル印刷がまだ一般的でない時代、この設備投資は重荷となった。しかし、とあるメーカー企業からの「在庫レスで印刷物を納品できないか」の問い合わせを機に奮起。改善を重ね、生産・納品体制を構築し、近年はさらにバージョンアップ。受注データをデジタル印刷機へ自動で流し込み、無人印刷化の実現、省力化と生産性向上を果たす。

 現在は、1,000種類を超える多品種かつ、モノによっては一桁数量の小ロット印刷物を、余剰在庫ゼロでの納品体制を確立。また制作工程では、AIの活用を進めて入稿データ処理の効率化を図り、労働環境の改善を進めている。IT技術への積極的な情報収集を通じて、これからの情報媒体のありかたを探求したり、直近では小ロット向けのカッティングプロッタを導入。型が不要で、紙を抜き取ったり、抜き切らずにハーフカット加工ができる機械で、シールやラベル作成に適し、今後はペーパークラフトにも取り組みたいとしている。

 また、ご好評をいただいている失敗しない自分史作成システム『MY LIFE STORY 私の自分史年表』もAmazonと全国書店で販売中です。

 現代表はリーマンショックのあった平成20年の春に半田市に移る。他業種からの転身で、経営者としての責任と、重圧に耐えられるのかと自問自答を繰り返し、その気持ちは今でも変わらないと言う。経営者諸先輩の背中を日々追いかけ、働く仲間に敬意を払い、「謙虚にして驕らず」をモットーに精進している。「毎日仕事ができるのはお客様があってのこと。日々のご愛顧に深く感謝です。また、きめ細かい対応、丁寧な仕事をする社員には感謝しかありません」と話す。お客様の満足、社員の働く満足の追求が未来への発展につながっていくと信じ、印刷を通じてお客様の夢の実現に、今後もお手伝いをしていく。 (取材:中村真由美)

【住所】半田市有楽町7‒148 ‒1  
【代表】宮原健太郎  【創業】昭和23年
【営業時間】 平日 8:30~17:30 
【TEL】 0569-21-2130



お客様本位に徹する

2025年9月1日(月)

(株)三菱UFJ銀行半田支店 支店長 柳川瀬 崇氏

チャレンジと縁の下の力持ち。両者を絶妙にバランスを保ちながら歩んできた。幼少期から自然に自らの立ち位置を考えるようになり、ある時はチャレンジ精神を発揮しリーダーとして仲間を導き、ある時はリーダーを尊重し、縁の下の力持ちに徹した。チャレンジ精神を気質と捉えると、他方は常に『人のために』と行動してきたご両親の背中を見てきたことが起因するのではないかと分析する。
 「メーカーは商品を売る。金融は自分自身を売り込む職種と先輩から言われ、自身の可能性に挑戦出来るかもしれないと㈱東海銀行(現㈱三菱UFJ銀行)に入行しました。尾西支店(現一宮支店)を皮切りに、ほぼ営業担当者として25年余。色々な仕事や多様な方々との出会いでは、いつも相手のことを第一に考え、接してきたつもりです。それは両親の姿がベースになっており、社会人になってからは、改めて私にそういう考え方を醸成してくれた両親に感謝する機会が増えています」
 
 営業担当者は契約数や収益額などの目標達成が大きな指標となるが、相手の求めるものを提案し続け、その目標に達しないこともあった。だが数年後には、「柳川瀬さんだから取引したんだよ」という言葉と共に、更なる成果を上げたことも度々あった。お客様を好きになれば、本気になってその人、その企業のための提案ができると、自身の経験を語る。
ニーズを的確に判断するために、幾度もそこに足を運び、 face to faceで話を聞くことで、お客様のファンとなっていった。「スピード感を意識して取り組め」と上司から苦言を呈されることもあったようだが、『お客様本位の仕事』を、いつしか『柳川瀬スタイル』として確立していった。

 「担当したお客様を好きになるタイプですが、人見知りである私は若い頃には、新規のお客様には毎回緊張しながら訪問していました。自分なりには頑張ってきたと感じています。ただ運は良かったと感謝しています。仲間や上司に恵まれ、色々な仕事に関わる機会もいただきました。営業として個人、法人(中小企業から大企業まで)を担当し、大企業に関わった時には日本・世界経済が動くような仕事をして日本経済新聞の一面を飾りたいと頑張りました。新聞に載った案件にいくつか関わりましたが、一面には届きませんでしたね。東京・名古屋で本部(市場営業部)の仕事に従事した際には、専門知識を学ぶことに苦労しましたが、営業担当者として培ってきた笑顔とface to faceを武器に、大企業担当者のサポート役として、お客様のお役に立てたと思っています。また、取引先の十数年に一度の設備投資案件や、大型のM&A案件が、自分の担当時に取引先で発生するなど、たまたまの巡り合わせに、本当に運が良かったと実感しています。ただ、どんなに良い提案をしたとしても自分の力だけでは成し遂げることはできません。タイミングと仲間に恵まれてこその結果です。大きな案件を成し遂げた時の仲間との打ち上げでは、毎回美味しいお酒を楽しく飲み明かしたことも良い思い出です」

 従業員組合の専従者としても1年間勤務した。そこでは海外で働く組合員の労働実態を把握し、より良い条件下で仕事や生活が出来る環境作りに努めた。また、組合員の一体感の醸成のため、組合イベント開催も仕事の一つだった。ディズニーランドでのショーベースイベントを企画し、担当地区10,000人以上の組合員やその家族などに向けて、イベント開催のための案内や申込対応、チケットの発送・集計、当日の運営等、一連の業務を担った。当時はまだ紙媒体の時代、煩雑な作業であったが「一人でやらなければ」という使命感の下、365日休みもなく取り組んだ。イベント当日、楽しむ参加者の姿に、達成感で涙が出てきたと語る。激務は色々あったが、ベスト3に入る思い出深い仕事だったと振り返る。 

 「また、従業員組合で勤務していた際には、徹底的に『傾聴すること』を叩き込まれ、以後の仕事でそのスキルに救われることも多くありました。昨年4月に半田支店に支店長として着任、立場上多くの権限が与えられ、多くの部下と接することになりましたが、常に『傾聴』の大切さを痛感しています。今は60名の部下と共に働き、安心・安全に仕事が出来る職場の環境作りを日々進化させ、知多半島全域のお客様のお役に立てる仕事、半島を盛り上げていく地域貢献活動に力を入れています。MUFGグループとしても数年前から、地域貢献活動に力を入れて取り組んでいますが、半田支店はトップクラスの活動実績を誇っています。行員自ら、地域や社会の課題解決のために資する活動を企画し、賛同者を募り、当日はボランティアスタッフとして参加するスタイルが浸透し、現在では半田ユニット(半田・常滑・東海支店)として知多半島全支店メンバーで活動しています。最近では『半田運河発酵マルシェ』や『闇バイト加担防止イベント』等でのボランティア活動に取り組んできました」

 支店長着任と同時に多くの公職にも対応し、毎日多忙な日々を送る。支店長として常に外に出て営業活動しているのが理想であり、外に出ることを自らの仕事と考えている。たまに支店内にいる時間が長い時には、[これで大丈夫かな?」と思うことがあると笑う。
 「お客様への訪問時に、会話の中で必ず出てくる歴代の支店長や担当者の名前があります。私もそのように取引先ですぐ名前が出てくる一人になりたいと思っています。歴代支店長や担当者が脈々と築き上げてくださったお客様や地域との強い信頼関係を維持、発展させると共に、1つでも多くの「柳川瀬さんだから、取引した」という最高の褒め言葉をいただけるよう、両親から学んだ『お客様本位』の『柳川瀬スタイル』でこれからも邁進し続けていきたいと思っています」

●ちょっと一息●
 小学校から高校まではサッカー、大学ではまだ日本では目新しいスポーツ、ラクロス(棒の先に網のついたスティック(クロス)を使い、硬質ゴム製のボールをゴールまで運んで得点を競う団体球技である)を始めました。『まだこの辺りであまりやっていない。日本代表になれるかもしれない」という先輩の口説き文句に乗せられ(笑)、勉強そっちのけで楽しむほど熱中しました(笑)。体を動かすことや仲間と一緒に行動することが好きなんだと思います。今も毎週のようにゴルフに出かけ、汗を流し気持ちの良い時間を過ごしています。一緒にラウンド出来る仲間がいる幸せを感じています。ラウンド中に飲むビールも、いつも楽しみにしていますが、半田に来てからは日本酒を飲む機会も増え、お酒の美味しさ、奥深さを知りつつあります。まだまだ未熟ですが。
 最近では、一年に1つずつ新しいことをやっていこうと思い、今年は『一人飲み』出来るお店の開拓に努めています。人見知りのため相当な覚悟を持ってお店の玄関の敷居を跨ぐことが、私の細やかな挑戦です。また、なぜか道を歩いていると人に道を尋ねられることが多いんですね。この間、東京に出張に行った時は一日に3度もそんなことがありました。尋ねられる回数が多いことも私の特技となりました。暇そうに見えるのでしょうか!?(笑)。

1976年滋賀県大津市生まれ、名古屋市在住。99年滋賀大学経済学部卒業。同年㈱東海銀行(現㈱三菱UFJ銀行入社。尾西支店、桑名支店、従業員組合、新宿支店/支店長代理、市場営業部/調査役、営業本部/上席調査役、名古屋営業本部/次長、名古屋営業部/副部長を経て、2024年現職。半田・常滑商工会議所常議員。当所地域力創造委員会副委員長、半田市中心市街地活性化協議会監事等。