2025年4月3日(木)
JR半田駅からすぐそばの「酒場やみくろ」は、開店してから20年を迎え、江口氏が店長に就任してからは11年目に突入した。大学卒業後、マイナビ本社でイベント統括として働いていた江口氏。特に3年目には年末年始以外休みがないほどの激務をこなしていた。しかし、その中で音楽への情熱が再燃し、最終的に地元での生活を選択。そんな折に出会ったのが、渡邉純氏が経営する『酒場やみくろ』だった。
店の内装と雰囲気に魅了された江口氏は、翌日にはアルバイトを申し込んだそうだ。約2年のアルバイト期間を経て、彼は店長に昇進した。「社員1人に1つの店を」というオーナー・渡邉氏の考えのもと、『酒場やみくろ』の経営を任された。その後、渡邉氏は「リトルピープル」「カオナガ酒店」と新たな店舗展開を進めていった。
江口氏が店長として迎えた最初の転機は、開店から2年目のことだった。1年目は元々オーナーの常連客で成り立っていたお店が、2年目になると急に客足が遠のいた。料理経験の浅さが原因だと気付いた江口氏は、常連客の奥様が生ハムとイチジクの料理を一口食べてすぐに返されたことを契機に、料理の腕を磨き直す決意を固めた。現在では、その努力が実を結び、常連客も増え、他のお客様からも好評を得るようになった。
2回目の転機は、コロナ禍に訪れた。時短営業を余儀なくされた中で、江口氏はお客様の支えを受け、テイクアウトのハンバーガーを新たに展開した。特に「Pain Est」というパン屋から仕入れた良質なバンズを使ったハンバーガーが評判を呼び、売上を大きく伸ばした。また、29種類の創作ハンバーガーを作り、その中からグランドメニューに加わったものもある。特に思い入れがあるのは、桜と菜の花のハンバーガーで、春の期間限定メニューとして多くの人々に親しまれている。
江口氏は、飲食店は「社会の縮図」であり、スタッフ一人ひとりが成長し、コミュニケーション能力を磨く場所だと感じている。アルバイトの若者たちには、「ここでの経験を通じて、成長し自信を持って社会に出てほしい」と伝えているそうだ。そして、その仲間たちが次々と自分の道を歩んでいくことが、江口氏にとっての喜びであり励みになっている。
20年という節目を迎えた『酒場やみくろ』。氏は「本当に人に支えられてここまでやってこられた」と感謝の言葉を口にする。その言葉には、周囲への感謝と共に、さらなる高みを目指す決意が垣間見えた。 (取材:藤井悠美)
【住所】半田市山崎町34
【オーナー】渡邉 純 【店長】江口 誠
【営業時間】11:30~14:00(13:30 L.O)17:00~23:00(22:30 L.O)
【TEL】 22-8051
【定休日】昼の部 日・月・祝 夜の部 日・祝
2025年4月3日(木)
小学校のPTA仲間であり、家族同士、親戚のようなお付き合いをしている、平成28年度青年部(以下YEG)会長の坂田篤氏から誘われ、同年にYEGとの縁が始まった。3年後、半田のこども育成委員会委員長として、行政、企業やメンバー事業所などに協力を仰ぎ『バスロゲイニングin半田ナワバリバトル』を企画した。昼食はメンバーの店でワンコインランチを提供してもらい、当時、試運転を開始したコミュニティバス『ごんくる』で市内を巡った。小中高校や名所、文化施設などをチェックポイントとし、チームで得点を競い合うゲームに、280名の参加者たちは熱狂した。当時のメンバー140名の人的資源を活かし、将来、まちをデザインするであろう子どもたちに半田の魅力を知ってもらうこと、『ごんくる』の改善提案の寄与を目的とし、その使命を果たした。
「まだ若かった私は委員長として結果を残したい、今までとは違うことにチャレンジしたいと思っていました(笑)。また、人望の厚い坂田会長からの紹介だから中途半端なことは出来ない。入会後も多くの先輩方に支えていただき、恩を返したいという想いがいつもありました。入会当初、右も左もわからない私をサポートしてくれた大橋委員長は令和4年度の会長。翌年担当してもらった池田副会長は令和2年度会長。ナワバリバトルで苦楽を共にしてくれた鈴木専務理事は令和5年度の会長に就任しました。本当にいつもいい縁に恵まれています」
入会後は渉外委員会委員、研修委員会副委員長・東海ブロック出向を経て、初の委員長となり役員を歴任してきた。様々な事業の足跡を残し、4月から令和7年度会長に就任する。発足60周年事業を終え、新たな10年に向けたファーストステップを踏み出す年度として、スローガン『NEXT10デザイン』~未来的価値の創造~を掲げた。
「60年という長い歴史の中には多くの学びがあります。それを受け入れ守るべきことは守り、時代に即した形で進化させながら、YEGの可能性を示し、地域と共に継続的に発展していくために必要な価値を創造していく1年にしたいと思っています。私たちが出来ることは沢山ありますが、必要なファクターが整っていない、もしくはシナジーが生まれにくい状況の時もあります。メンバー全員がそれに気づいた時に、大きな力が生まれてくると信じています。歴代の会長も言われているように、事業は主催する委員会のものではなくYEG全体のものであり、全員で作り上げていく意識を持つことが大切なことだと思っています。決定したことを当たり前に実行し、当たり前に参加する。そんな簡単なことで信頼関係も生まれ、大きなステップを踏み出すことが出来ます」
150名を超えるメンバーの職種は様々で、メリットの享受もそれぞれである。色々な人との出会いや研修での学びは財産であるが、目に見えて劇的な変化が起きることはあまりない。未来の会員を含めた全てのメンバーにメリットが生まれる価値を提供したいと、親会が発信する補助金や助成金、研修の活用などの浸透を目指す。団体の基盤強化のために活動の軸は対内に置き、生成AI、対内取引の推進・HPの活用(HPを一新し、会員事業所のための営業マンとして進化)、BCPの作成、BCPの推進、地域振興、こども育成、国際視察などを『半田YEGロードマップ』として提唱する。
「所信、基本方針、WAY、戦略実行システムなど、あえて私の想いや方向性、考え方を詳細に示させていただきました。今も各委員会で目標に向けて実行する道筋を模索しているという話も聞こえてきます。そういう風土を作り出すことが大切であり、そこへのアプローチや方策を私なりに表したつもりです。様々なチャレンジや取り組みが、私の在任中に完成することはないでしょうが、その動きが次代へ繋がっていくことを願っています。きっと次の誰かがブラッシュアップしてくれるでしょう。それをとても楽しみにしています。私は会長としての強い責任感は持っていますが、お任せして温かく見守る存在でありたいと思っていま
す。好きなこと、得意なことをやるのではなく、やるべきことを実行しようとするタイプの私は、会長というより参謀役に向いていると思っていますけれどね(笑)」
人に恵まれ、色々な影響を受け今日があると振り返る。坂田歴代会長のような、『人と人を繋げる人になりたい』と語る。かつて多くの人からの縁をいただき、繋いで難局を乗り越えてきた。高校生時代に周りの環境から苦境に陥った時、支えになったのは同級生の現夫人だった。その夫人とは高校卒業式の日に入籍し、新たな生活を築いた。妻子を養うために昼夜働き始め、恩師と慕う人と出会い21歳の時に社業(電気通信設備の保守)を興し、人と社会との繋がりを大切にしている。2019年、サロン事業部『カプセルサロンLITTLE TREAT』を立ち上げ、夫人が運営し公私とも良きパートナーとして歩んでいる。
「経済的に苦労していた時は、昼間は通常の仕事をして、早朝2時から朝刊を配っていました。寝る間もなく本当にきつかったですね。多くの人に支えられながら目一杯努力をしていました。今はいい言葉ではないかもしれませんが、その時は『この努力が必ず報われる』と確信していました。また、私は本が好きで、その影響も大きかったですね。今この状況も私の人生の定めであり、努力によってこの先には必ず豊かで幸せな人生があると信じていました。もし、これからどんな苦境があったとしても、私は絶対へこたれません。上手くいくためにどうしたらいいかと考え、クリアしていくと思いますし、今までもそうしてきました」
NEXT10としてビジョンを見据えた初年度、その踏み出し方で、今後の方向性が決まる可能性もある大事な一歩となる。苦い経験、諸先輩方からの温かい支援や指導、それらの貴重な経験を踏まえ、確かな一歩を踏み出すだろう。かつて自分磨きに必死だった時代を経て、会長という立場に立った今、メンバー事業所・地域の発展を願い、チャレンジャーの顔を持ちながら始動した。
●ちょっと一息●
趣味は旅行です。知らない景色を観ることで新しい観点を得る感覚が好きです。妻と娘(トイプードル2匹)とキャンプ等、車での国内旅行もよく行っています。
昨年12月に日本商工会議所青年部の国際事業がセブ島であり、極貧地域での炊き出しに参加しました。環境に嘆くことなく暮らす子どもたち、子どもたちが理解していない劣悪な状況を根本から改善しようと支援している日本人の姿。個人的な旅行では経験できない、考えさせられる内容でした。今度は従業員や家族と一緒に行こうと思っています。
半田YEGの皆様には、仲良し夫婦として知られている我が家です。息子たちも独立し、私たち夫婦も心身ともに健康で、時間にゆとりができたこのタイミングで、会長職をお預かりすることになりました。YEGの活動には多くの時間が必要となりますが、夫婦仲良く、社業も発展させながら、人生を楽しんでいきたいと考えています。そして、そのような姿を次代を担うメンバーにお見せできればうれしい限りです。広い視野を持ちながらも、日常にささやかな彩りを添えていく。そんな会長を目指して、精一杯務めさせていただきます。
1983年半田市生まれ半田市在住。2001年阿久比高校卒業。04年ヤマモト通信創業、12年CTリング㈱に社名変更し法人成り。16年半田商工会議所青年部入会。19年酸素カプセル、コラーゲンマシン、セラゼムマスター等を提供するサロン事業部『LITTLE TREAT』開業。25年半田商工会議所青年部会長。
2025年4月3日(木)
女性会設立20周年という節目の年に会長の重積をお受けすることにしました。「私で良いのか?」と悩みましたが、会員の皆様に助けていただきながら、この1年頑張って行きたいと思います。皆様、宜しくお願いします。 女性会に入会して10年、日々の活動に女性ならではの力を発揮される姿を拝見するうちに、私も刺激を受け楽しみながら活動しています。いろんな事業で皆様の力に感動をいただいてきました。今まで気にかけながらご縁のなかった、子ども食堂やフードドライブでは底知れない力を持つ皆様が集結すると最強のパワーとなり、大きな事業となると改めて感じ、感慨深いものがありました。また、入会前は家と会社との往復で限られたお友達との交流でしたが、女性会で様々な職種の方とお会いでき、お知り合いも増えました。家業で経理を担当する私はお客様と『顔の見えない関係』で、直接お礼が言えないことに歯がゆさを感じていました。入会後は活動等を通じて、お客様に感謝の気持ちを直接お伝えする機会も出来、入会して本当に良かったと思っています。これからも多くの方との出会いを楽しみにしています。
この4月から10年に一度の大事業である20周年事業を展開します。女性会の立ち上げ、育んでこられた先輩方の活動や想いをリスペ
クトし、スローガンは『20年の歩み、愛と感謝を未来につなげよう!」としました。女性会の未来を始め、子ども支援、半田市の活性化、住みやすい街、出会い、交流の場を作り未来の人口増加へ繋げるなど、明るい未来を想像し、いろんな事業展開をしていきたいと思っています。また、通常、3委員会が独自で多彩な事業を主催してきましたが、本年度事業は合同事業として会員一丸となって開催します。メンバーが張り切って企画中です。楽しみにしていてください。
女性会の活動は家業あってのもので、私も仕事と女性会活動の配分に悩んだこともありました。ついつい楽しい活動に目が向き、女性会に注力しがちな気持ちにブレーキをかけた時もありました(笑)。昭和4年『酒井印刷所』を設立した弊社は、平成11年地域情報誌『Step』の発刊以来、知多半島のお店や企業の応援を目標にしてきました。そのノウハウを活かし地域創生を目的とした『ココジモプロジェクト』『オリーブプロジェクト』『動画マーケティング(ちたたびTik tok)』を展開しています。
昨年1年間は新事業(就労継続支援A型事業所『サイラス』)の立ち上げに関わり、こちらの準備に注力しました。制度の勉強から始め、書類の山に囲まれながら、同業者さんに情報をいただき、昨年11月にようやくオープンすることができました。12月には見学や体験希望者が知多半島各地から来られ、働く場所を求めている障がいをお持ちの方が沢山いらっしゃることに驚きました。個々の能力やニーズに合わせた就労支援や訓練を提供し、仕事に必要なスキルを身につけ、その方の目標に合わせた社会復帰を応援します。一言で障がいと言っても、お一人おひとり性質は様々で、多様な仕事が求められます。そこにはグループ会社からの仕事を請け負ったり、地域の企業様からお仕事をいただけたり、これまでの出会いに感謝しております。全国には働きたいけど働く場所がない障がいをお持ちの方が、960万人いらっしゃるとお聞きしています。その方たちのお力になりたいと思います。
『Step』がご縁で、素敵な出会いもありました。「知多半島をオリーブ半島にしたい」という情熱に感銘を受け、『オリーブプロジュエクト』に着手し、昨秋で2回目の搾油を終えました。知多半島産100%のオリーブオイルを生産するためのオリーブ栽培農家を増やし、地域活性化のお手伝いができればと思っています。今、弊社も400坪の畑地にオリーブの苗を植える準備をしています。秋までに植え終えてどんどん新しい畑も開拓したいと考えています。
高校の同級生でもある主人はチャレンジャーです。初代が印刷所を設立する前はカブトビール瓶のこもづくり、半田港が活況を極めた時は海で働く沖中士のために一文菓子屋を商っていたと聞いています。主人もまた、時代の流れに敏感で要請に応えています。その動きに、時にはハラハラドキドキすることもありますが(笑)、私もその波に乗って楽しんでいます。これからどんなことが起き、どんな出会いがあるのか?ワクワクしています。
弊社のモットーである『人をつなぎ、地域をつなぎ、時代をtsunag』ために、お役に立ちたいとっています。
■半田市栄町3ー123 ■TEL.21-2051
2025年3月4日(火)
「最近、どうも寝つきが悪い」「体がだるくてやる気が出ない」「イライラしやすくなった」もし、このような悩みを抱えているなら、それは「脳疲労」である。現代社会は情報過多で、常に何かに追われているような状態だ。脳は休む暇もなく働き続け、疲労が蓄積されていく。
そんな現代人の救世主とも言えるのが、ヘッドスパだ。ヘッドスパは、頭皮をマッサージすることで血行を促進し、脳の疲労を回復させる効果がある。また、自律神経を整え、リラックス効果も期待できる。今回は、2024年7月にヘッドスパ専門店としてリニューアルオープンした【Cure】店主 斉藤氏に、ヘッドスパへの思いやこだわりについてお話を伺った。
斉藤氏は長年美容師をされており、2014年からは新居町に美容室として【Cure】を営んでいた。「美容室」として、カットやカラー、パーマ等のメニューを提供しており、ヘッドスパはオプションとして行っていた。斉藤氏自身も、シャンプーやマッサ
ージをすることが好きで、お客様に「気持ちよかった」と言ってもらえることがとてもうれしかったそうだ。当時から、ヘッドスパの重要性を感じていた。また、この地域ではヘッドスパ専門でやっているお店はほとんどなかった。『ないなら自分で作っちゃおう』と思い、今回、店舗を移転するにあたって、ヘッドスパ専門店としてリニューアルオープンした。
斉藤氏は、ヘッドスパを通して、お客様に「癒し」を届けたいと考えている。現代人はストレスを抱えやすく、心身ともに疲れている人が多い。ヘッドスパには前述の通り、脳疲労の回復、自律神経の調整、リラックス効果、血行促進、頭皮環境の改善といった効果が期待できる。ヘッドスパを通して、少しでも多くの方にリラックスしていただきたい。
そのため同店のヘッドスパには次のような特徴がある。1つ目は、丁寧なカウンセリングである。お客様の状態をよく観察し、どこが疲れているのか、何が原因で不調なのかを丁寧にカウンセリングを行う。2つ目は、こだわりの施術である。カウセリングからお客様一人ひとりの悩みに合わせた施術を提供する。3つ目は、リラックスできる空間である。施術だけでなく、空間にもこだわり、お客様がリラックスできるような雰囲気作りをしている。施術後には、お客様が笑顔で帰っていただけるように、アドバイスやホームケアの方法も伝えている。常にお客様に寄り添った時間と空間を提供している。
今回の取材を通して、ヘッドスパの奥深さ、そして斉藤氏の熱い想いに触れることができた。ヘッドスパは、単なるリラクゼ
ーションではなく、心身の健康を保つための重要なケアである。「美容×癒し×健康が提供できるお客様に合わせたオーダーメイドスパ」を提供するCureのヘッドスパは、お客様一人ひとりに寄り添い、心を込めて施術を行う。初回限定のメニューも提供しており、ぜひ一度足を運んでほしい (取材:濱島千尋)
【住所】半田市亀崎常盤町3-62-3 【代表】斉藤雪美
【リニューアルオープン】2024年7月 【営業時間】9:00~18:00
【定休日】月曜、第1・3日曜定休(不定休あり)
2025年3月4日(火)
「イオンに働きに行かない?」という友からの一言が将来を決めた。美容師の姉の影響で美容師を目指し、インターン生活を控え、美容院が入店する総合スーパーのアパレル店(神奈川県)でアルバイトしていた時だった。お客さまに喜んでいただけることにやりがいを感じ、興味を持った小売業への転身を視野に入れていた時だった。
「イオングループはグローバル企業であり、ありとあらゆる業種と職種が詰め込まれ、お客さまに喜んでいただける手段が多様にあります。自分の力を試したいと思い、迷うことなく1998年に当社に入社しました。オシャレなアパレルで働くつもりが、配属先は宮城県多賀城店の水産担当部門でした。私はスーパーの鮮魚売り場の匂いが苦手で且つ生魚をほとんど食べられないという状態でしたので、入社した1年くらいは思い描いていた仕事とのギャップに苦しみました(笑)」
朝4時に起き、市場で仕入れ、店頭に立つうちに『お客さまに喜んでいただいている』反応をダイレクトに感じ、いつの間にか魚への苦手意識から卒業していた。情報交換をしながら魚を仕入れ、捌き、的確な(時にはお勧めしない)調理方法を探り、自分の舌で確かめた。『聞いて、見て、触る』という信条は高い訴求効果に繋がり後年、神奈川・千葉・山梨で水産担当者として関わり、土地柄によって接客の違いの重要性を体感した。
「海の近くに住む方と、都会の若い世代では魚の知識量やニーズが違い、鮮度や価格の一本槍のアプローチでは説得力に欠けます。地域性も考え、お客さまの背景を想像して接客していました。持ち帰った魚を、ご主人のため、お孫さんのためにどう料理をするのか?そこをイメージし応対すれば会話も広がり、次のステップに繋がります」
その土地を知り、人と知り合うことは大事なことと、お客さま・共に働く従業員と会話のキャッチボールを楽しみ、大切にしてきた。新店オープンのサポートに赴いた時、ミャンマーで現地の従業員に教育係として駐在した時も同様だった。その土地土地で汗を流した仲間とは人と人として繋がり、今も連絡を取り合う。13拠点で勤務し、半田店長に着任したのは2023年9月。鳥羽店に次ぎ2店目の店長として、新たな取り組みをスタートした。
「先ず従業員に1週間分の『いつもの食卓』の写真を持ってきてくださいとお願いし、その献立に沿った商品をヒントに陳列しています。ほんの一例ですが、食卓を知るという事実を元に行動を起こせるのは大きな自信となり、その土地の生活習慣を知ることにもなり、未来予測も可能です。業績を伸ばすために売りたいものを売るという店サイドの都合ではなく、お客さまが求めている商品を安価で提供することが最も重要です。極端なことを言えばいくら陳列棚全ての商品が揃っていても、お客さまが求めている商品やサービスがなければお客さま満足度に100%応えられないと考えています」
『ニーズに応え、お客さまが満足し喜んでいただく姿勢』を徹底し、店内設置の『お客さまの声』の要望にもスピーディーに応える。店を我が家の冷蔵庫代わりとして、出勤前、帰宅時、休日に来店というような生活の一部になっていただけたらと願う。同店は開店して30年。歴代店長が次の店長にバトンをしっかり繋ぐために尽力してきたように、氏も次代を見据えて今このタイミングで出来ることを全力で取り組んでいる。昨年6月より段階的に店舗を改装し、10月から食品売り場を24時間営業にして利便性を図り、『我が家の冷蔵庫』に一歩近づけた。
「パートも含め200名ほどの従業員の多くは、社会や家庭で人生経験を積み、次のステップとして熱い想いを持って働いています。『自分家(ち)だったら』と思い、それぞれの得意分野の中でその人なりのアプローチをしていただきたいと考えています。例えば自分の家にお客さまがいらしたら、想いを込めておもてなしをします。そういう気持ちで接すれば、お客さま満足度も向上するはずです。私たちはお客さまとの会話を楽しみにしています。ぜひ気軽に声をかけてください。また、当社は各店の店長がそれぞれの強みを活かして店の特色を出しています。“水産出身”の私は魚売り場が気になり、ちょくちょく顔を出しています。売り場は担当従業員のフィールドで、私はお手伝いしか出来ませんが、そこで働く従業員から学ぶことも多くあります。店長は全ての仕事や売り場に関われるのが特権です。カートを片付けたり、衣料品売場や専門店に行こうかなと思ったらいつでも行けます(笑)。日々楽しんでいますよ」
今までの出会いや経験が人格形成となり仕事の姿勢となっている。未来予測もその一つで、甲府昭和店(山梨県)のオープン初日に発災した東日本大地震で考動した一人の社員から影響を受けた。騒然となる店内で我先に寝具売り場から布団や毛布を運び出し、お客さまの最大の脅威になるだろう寒さ対策に備えた。
「この社員のようにとっさの時こそ、次のステップに向けて的確な考動ができるようになりたいと強く思いました。あらゆる事象にスピーディーに的確な判断ができる人間になれば、本当の意味で『お客さまに喜んでいただけること』に貢献できると思っています。振り返ってみると、人格形成で行き着く所は母親かもしれません。福島で生まれ関東で逞しく飲食店を営んできた母親の生き様は、私の中で教科書として生きています。母親が信じた道を一直線に進んでいた姿は、私に勇気を与えてくれ、私もそう生きたいと思っています」
●ちょっと一息●
店舗から徒歩圏に居住することが望ましいという自身の考えから、店舗近隣に住む単身生活も15年になります。神奈川県に住む家族の元に帰った時は大学生の息子観察を楽しんでいます。今時の若者は夢や希望を声高に発する社会環境ではないと感じているように見受けます。当社に勤務する若者が気持ちよく自分の夢や希望を語り、より良いパフォーマンスができる環境を作るためにどうしたら良いのかを息子を通して考え、息子観察はもはや趣味の境地に至っています(笑)。
「座右の銘はなんですか?」時折聞かれますが、「ありません」と答えています。自然体であれば良しと思い、座右の銘に縛られるのが嫌なのですね。その時に自分が信じることにベストを尽くして進むだけです。そうは言っても日々右往左往していますが(笑)。
1974年福島県会津若松市生まれ。7歳で神奈川県相模原市に転居。武豊町在住。98年イオン㈱入社。宮城・神奈川・千葉・山梨・東京・三重などで水産担当、新店サポートや店舗開設に関わる。2016年現地営業担当としてミャンマーに駐在等。23年現職。当所議員。