2024年8月30日(金)
【僕と社長】
「モノづくりを知りたい、伝えたい」
そんな気持ちでお邪魔したのは、港本町に工場を構えるセオ工業さん。
令和5年6月、それまで25年勤めた㈱間瀬工業(半田市州の崎町)から独立し、この場所(港本町)で事業を始めた。金属等の加工を行う、いわゆる町工場だ。とは言うものの、この場所は以前、㈱間瀬工業が稼働していた場所。13年前にこの港本町から州の崎町へ移転、しばらく使われていなかった工場。
移転後、州の崎町での勤務を続けた瀬尾さんだったが、今後について様々な想いを抱き悩んだ末、退職を申し出た。すると「この場所(港本町の工場)を使って独立しないか」と、社長から思わぬお声がけをいただいた。正直とても嬉しかった。「この会社で仕事を続けてきて、モノづくりが好きになり、長年お世話になった社長が僕の背中を押してくれている」この場所での独立を決意した。
【取り扱い内容】
取り扱い可能な材料は、鉄・アルミニウム・ステンレス・真ちゅう・銅・樹脂など。旋盤加工が可能な材料であれば何でも取り扱うことができる。加工の多くをNC旋盤で行うが、加工内容によっては汎用旋盤も使う。自動車部品をはじめ、美容グッズの部品など完成品の行き先は幅広い。
お客様から図面を受け取ると、それをパソコンに落とし込み、工具を選び、旋盤のプログラムを組み、刃物の動きを調整する。これがNC旋盤加工の流れだそうだ。「全てお一人でやるのですか?」と驚くと、「普通のことですよ」と瀬尾さんは言う。とても緻密な作業の積み重ねと感じないのはこの道27年の職人ならでは。この工程一つひとつがモノづくりなのだ。
【やりがい】
仕事を通じて一番嬉しいことを伺うと「きれいな品物だね」とお客様から言っていただけることだそう。万が一、お客様に心配事があっても、打ち合わせや調整をすることで、不良が無いよう最善を尽くす。
セオ工業さんのウリは「高品質・短納期・経験」。品質には妥協を許さず、自信をもって納品できるものだけをお届けする。品質と併せて短納期も心掛けている他、一(図面)を受け取るだけで、十(完成品)にしてお届けできる経験値にも安心感がある。
【これから】
独立から1年が過ぎたが、最近は社会情勢に影響され、順調な時ばかりではない。そんな時こそ焦らず、お客様とのコミュニケーションを図り、また新たな販路を見出すべく積極的に動くよう心掛けている。(正直、とても焦りますが、その気持ちをグッとこらえて踏ん張っています、と笑う瀬尾さん)
持ち前の明るさと誠実さが、この地域のモノづくりを支え、その楽しさを教えてくれた。延いてはそれが品質にもつながるという、まさにモノづくりの奥深さと魅力を発信してくれているようだ。(取材:加藤由香恵)
住所/半田市港本町2-119
代表/瀬尾聖史郎
創業/令和5年
TEL/090-6463-2487
2024年7月31日(水)
有限会社榊原技建は、28歳で世代交代した榊原翼氏が今年で3年目を迎え、新しい事業に挑戦をしている。
同社は、平成元年半田市瑞穂町にて榊原技建として、前代表榊原渉氏が24歳の時に開業。総合建設業からスタートし、平成8年に法人成り、現在37年目を迎えている。渉氏は、60歳前後には代表取締役社長を後継者にバトンタッチをしたいと以前から考えており、令和3年に翼氏に世代交代をした。
同社の事業は、土木部門として、道路工事、下水道工事、災害復旧工事、河川造成工事、宅地造成工事。建設部門は、建築外構工事を迅速で丁寧な仕事を目指し、多くの同業者等の協力を得て手掛けてきた。現在は下請工事がメインであるが、いずれは自社が元請として工事受注できるように体制を整えている。
時代も変わり、今まで通りの事業だけではいけないと翼氏の考え方を取り入れ、㈱ゼニス・アドバンと代理店契約を結び、令和5年度から新事業として「テラヘルツ波」技術を利用した「テラヘルツ事業」に挑戦し始めた。
では「テラヘルツ波」はどんなものであろうか。以下は同社のHPからの拝借である。
『「テラヘルツ波」はNASAが発見した電磁波で、人体に良い効果を与える遠赤外線の一種であると発表されています。テラヘルツ波は、可視光線を含まない赤外線から、レーダーなどに使用されるミリ波まで、周波数と、とても幅広い領域です。
1Thz(テラヘルツ)とは、1秒間に1兆回の振動数のことをいいます。テラヘルツ波は、可視光線の光波とレーダーや携帯電話などの電波の中間の領域で、光の持つ直進性と電波の持つ透過性の2つの特性を併せ持つエネルギー帯。育成光線は、(テラヘルツ波)の中の遠赤外線の中の波長・周波数のエネルギー帯のことをいいます。この育成光線をさらに絞り込み、周波数(テラヘルツ)前後、波長(ミクロン)前後のエネルギー帯を開発しました。これを弊社では「TB波エネルギー(Tera Bio Wave Energy)」と呼んでいます。TB波エネルギーには大きな特徴があります。それは、このエネルギーを照射した物体は、TB波エネルギーを放射する物体に生まれ変わることです。これを弊社ではTB-Tech加工と呼んでいます。TB波エネルギーを使うことで、節電効果が実現します。大がかりな設備投資がいらず、効果抜群の節電プランです。』
「テラヘルツ波」は、世界中で医療や通信、工業、農業、美容など様々な分野で注目を集めており、さらには近年高騰している電気代削減にも多くの効果が期待できる為、同社は節電プランとして提案している。同社は、この節電プランを用いて、美容
クリニック外科、大手スーパー、フィットネスジム等の施工を手掛け、電気代の節約ができ、大変喜ばれている。また人材育成に
も力を入れており社員には2級土木施工管理技士資格試験等に挑戦してもらい、多くの資格保有をしている。翼氏は、令和6年度中に1級土木施工管理技士資格取得を目指している。
翼氏は「社員とのコミュニケーションを通じて、何を考え求めているのか把握することが大切である」と述べる。また、「同業他社と比べ平均年齢が若い人材で、迅速かつ丁寧な仕事を心掛けていきたい。建設土木工事とテラヘルツ節電工事を両立させ、事業拡大を行っていきたい。近い将来、宅地建物取引主任者の資格をとり、宅地造成事業にも力を入れたい」
と語る。(取材:中村稔晴)
【住所】半田市高砂町62-1 【代表】榊原 翼
【TEL】26-0609 【休日】土・日曜日
【HP】 https://sakakibaragiken.jp
【E-mail】 sakakibara.giken@nifty.com
2024年7月5日(金)
「心と緑の知多半島 生物皆家族」。代表の川口宗一さんが大切にされている言葉である。地元のお客様を大切に50年以上小さなお茶メーカーとして営業してきた川一製茶有限会社をご紹介。
同社は1967年に川口氏が当時二十歳という若さで奥様と創業された。それまでは他業界の会社に勤めていたが地元の半田にずっと居たいという想いで独立された。創業当時、川口氏は知り合いを中心とした家庭への訪問販売で事業を始めていった。当初の取扱商品は1種類のみであり、原付バイクで移動販売するということが1年程続いたという。
それからお客様の要望が徐々に増えていき、商品の種類も少しずつ増えていった。販売先は地元の商店や個人スーパーへ拡大し、販売業から卸業へ展開していった。その結果、売上、販売量ともに増加していった。しかし高度経済成長期に伴って大手スーパーが地元へ参入することで商品の卸先が減ってきてしまう。そこで打開策として店舗販売事業が開始される。
店舗販売をすることにより多くの人と関わりを持つことができるようになり、今では地元の菓子メーカー、学校関係、寺院関係等、多くの取引先ができた。また、茶道の先生とも接点を持つことができ、全知多茶道連盟に加入して知多半島を中心としたお茶会へお茶や茶道具を提供している。
川口氏は創業当初から今日までのことを振り返ると訪問販売から地道に取り組んできたことが今の糧になっているという。お茶の知識は全く無かったという川口氏は独学でお茶に関する知識を習得していき、茶葉の仕入から加工、ブレンドまでを独自で行っている。一番の人気商品である「熱出し玉露」は、かぶせ茶日本有数の生産地伊勢水沢冠山の里で生まれた最上の荒茶を精
撰仕上げした茶であり、玉露の味と香りを楽しめるのが特徴である。創業当初1種類だった商品も今では関連商品を併せて100種類以上取り扱っている。作業場である事務所はどこか懐かしい雰囲気があり、創業時からご夫婦で積み重ねてきた歴史や趣を感じられた。
現在は半田市と阿久比町にそれぞれ店舗があり、昨年まで青山にあった店舗「お茶の国」は移転をし、現在は自宅兼店舗「お茶の家」として営業している。お店に訪問した際はいつも抹茶を提供していただき、お店の名の通り自宅のような安心感のある空間となっている。
最後に川口氏はこの業界の日本文化、伝統の飲み物を大切にして専門店の価値を絶やさず残していきたいという想いとこれまで関わってきた皆様への感謝の想いを語ってくれた。これらの「想い」は冒頭で述べた「心と緑の知多半島 生物皆家族」という言葉に強く込められており、川口氏のお茶と人を大切にする気持ちに感銘を受けた。(取材:中野遥介)
〈会社概要〉
【住所】半田市新宮町3-137
お茶の家:半田市青山4-3-1
お茶の川一:知多郡阿久比町卯坂神田9-2
【代表】川口宗一
【創業】昭和42年
【HP】https://tea-kawaichi.jimdofree.com/
2024年6月3日(月)
半田市の紺屋海道沿いに位置する一軒の古民家。歴史ある町並みに溶け込み、地域の人々に愛されるこの和食会席料理店が今回ご紹介する「うさぎ屋」である。
現在の同社は明治時代から続くこの地で、落ち着いた雰囲気のなか地元の食材を活かした料理を提供してくれる。また、古民家を活かした空間で、季節の移ろいを感じながら、心温まるもてなしと共に、記憶に残るひとときを過ごすことができる。まず初めに、「うさぎ屋」を営むに至った歴史を前代表の榊原富太郎氏と、現代表の姉である亜美氏に話を伺った。
平成16年に創業した「うさぎ屋」は、現在の和食会席料理店としての顔を持つ前に、平成12年から現在営業している母屋の奥にある蔵にて、現代表の母が「ギャラリーはなくら」という喫茶店とギャラリーを経営し始めた。そのときは、三段弁当や軽食などを提供していた。そして、母屋を2年間貸し出した後に、平成16年から「うさぎ屋」として飲食業への道を歩み始めた。この飲食業への本格的な転身は、喫茶店を運営していた経験を活かす結果となった。
同社の魅力の1つが明治34年に着工し、翌年に完成した母屋である。濃尾地震や三河地震、伊勢湾台風を経験しながらも、現在も明治の遺構を色濃く残している。また、庭から見える景色は明治の時と変わらず、春なら椿や桜、秋なら彼岸花などの四季折々の植物がお客様を出迎えてくれる場となっている。他にも、大正時代に造られた電話部屋など多くの見どころがある。
また、食器に対するこだわりも「うさぎ屋」を語る上で欠かせないものだろう。現代表の母は、上記に述べたギャラリーを営
んでいたときから器や骨董品を収集していたそうだ。季節に合わせた食器(例えば3月はひな祭り、5月は五月人形など)や、うさぎをモチーフにした器などを集めており、中には独自に作ってもらった器もあるとのこと。そのため、「うさぎ屋」で食事をもてなす折には、食事だけでなく、視覚的な楽しみも提供してくれるだろう。ぜひ来店したときには、料理を載せている器にも注
目してみてはどうだろうか。
両氏は、「この店をお客様と長く付き合える店にしたい」とおっしゃった。コロナ禍以前は宴会で利用されることが多かったが、コロナ禍以後は還暦や米寿のお祝いなどで家族でのご利用が増えたことを大きな変化と感じているそうだ。重ねて、亜美氏は「結婚記念日に利用してくださっていたお客様から2.3年音沙汰がないと思っていたら、お子さんを連れて来店してくださったことがある」と教えてくれた。このように、お客様に寄り添うもてなしをしているからこそ、「また来たい」と思ってもら
えるのだと感じた。
この取材の最後に屋号の由来を聞いたところ、「うさぎは古来より縁起が良いため、それにあやかっています」と答えられ
た。調べてみると、ぴょんぴょんと跳ねることから商売が「大きく跳躍する」ということで、うさぎのものを持てば繁盛するといわれているそうだ。ほかにも、古事記内で縁を結ぶ役割を持っていたため、うさぎは縁結びの縁起ものとしても親しまれていた。
これは、両氏の想いと重なる部分があり、相応しい名前ではないだろうか。
最後に、この記事を通じて、「うさぎ屋」の歴史やこだわり、未来への展望を多くの人に知ってほしいと筆者は思う。そし
て、長く付き合える店を目指す榊原様方の想いは、訪れるお客様に必ず伝わるものなのでぜひ一度、「うさぎ屋」の扉を叩いて、その魅力を自らの目で確かめてみてほしい。(取材:藤井悠美)
【住所】 半田市堀崎町2-1
【代表】 榊原 舞
【営業時間】 昼の部 11:30~14:00
夜の部 18:00~21:30 ※事前予約制
【TEL】 26-6363
【定休日】 水・木曜日
2024年4月30日(火)
古くから日本国内で親しまれ、誰もが食したことがあるであろう“豆腐”。この“豆腐”を作るための道具を製造している会社が半田市亀崎町にある「株式会社かめさきカホリン」である。今回は代表の磯貝氏に、同社のこだわりや豆腐にかける想いを取材させていただいた。
同社は昭和25年、磯貝氏の祖父にあたる先々代の間瀬秀雄氏が現地にて創業、今年で74年目となる老舗企業である。創業当時は豆腐を固めるための凝固剤の製造販売を主
としており、社名である「カホリン」は凝固剤の一種である「カオリン」からきているそうだ。昭和30年代、それまで木製が主流だった豆腐の製造器具が、保健所の指導により衛生面から金属化(アルミニウムやステンレス製)の研究・開発がされ、同社も愛知県豆腐商工業協同組合とともに共同研究を行った。以降、凝固剤製造を廃止し、豆腐器具製造に特化して現在に至る。国内でも豆腐器具専業は同社のみであり、60年以上作り続けてきたことで蓄積されたノウハウを活かして早期納品、少量受注のほか、顧客の要望に応じた仕様での製造が可能となっている。『美味しい豆腐をつくりたい』という豆腐職人や豆腐製造事業者の方々と共に歩んできた同社は、美味しい豆腐を作るための良い道具、こだわりの道具を常に作り続けており、日本の伝統食である豆腐の文化を継承し、発展させるための役割を長年果たしている。取材をして初めて知ったが、豆腐のサイズは地域によって異なっていたそうだ。また、豆腐自体にも地域での特徴があるそうで、知れば知るほど奥が深いものだと感じた。
代表の磯貝氏は豆腐文化を絶やさないためにも、様々な活動を行っている。みなさまは【豆腐マイスター】というものをご存じだろうか。全国に4,959名の方が受講・認定されている日本で初めての豆腐の食育資格だ。「豆腐を通じて豊かな食を未来に継承すること」を基本理念に活動している(一社)日本豆腐マイスター協会(後援:(一財)全国豆腐連合会/国から認可された唯一の豆腐業界団体)が主催しており、磯貝氏は協会の代表理事も務めている。身近な存在である豆腐だが、現在は後継者不足による廃業等から豆腐職人・豆腐製造業者が減少しており、このままでは豆腐のことを伝える人が地域からいなくなり、豆腐のことを知らない子供たちが増え、豆腐という食文化が日本から失われていくのではないか、という危機感から豆腐マイスター認定講座は生まれた。豆腐マイスターは「地域に根付く食育の担い手を育てる」ことを目指し、豆腐に関する正しい知識を身につけ、日常的に豆腐を使うだけでなく、多様な情報があふれる世の中で、正しい情報の発信者として存在している。
豆腐業界全体の底上げをすべく、磯貝氏は日々活動している。昨年、当所主催で初めて開催した「はんだオープンファクトリー」でも、地域の子供たちをはじめとした参加者が同社を訪問した。工場内の見学のほか、同社の製品を使って実際に豆腐を作るなど、豆腐を身近に感じられる体験をした参加者からは笑顔があふれていたという。
磯貝氏は今後の豆腐業界について、「豆腐」というコンテンツをもっと広げていきたいと語った。豆腐マイスターは食育の担い手という、消費者の視点での学びが主であるが、そこから一歩進んで、業界として豆腐に関する知識・ノウハウを残していくことも重要だと考えている。最近では、豆腐業界の社員研修として豆腐マイスターを活用されることも多く、豆腐の基礎知識だけでなく、業界の歴史や動き、経営的視点などの情報も伝えていきたいと話された。さらに、近年では日本国内だけでなく、海外での豆腐需要も高まっているそうだ。ビーガンやベジタリアンといった菜食主義のスタイル、食の環境負荷に関する問題意識などの観点からも注目されており、業界としても前向きな動きだろう。
筆者も冷奴や鍋、湯豆腐など季節を通じて豆腐を頻繁に購入する。豆腐は食卓には必要不可欠なものだ。今晩のい出しでスーパーに立ち寄った際は、豆腐への熱い想いを頭に思い浮かべながら、手に取りたい。(取材:濱島千尋)
<会社概要>
【住所】半田市亀崎町9-123-11 【代表】磯貝剛成
【創業】昭和25年4月 【TEL】28-3141
【HP】http://www.kahorin.co.jp/