2021年9月16日(木)
青山駅から徒歩3分の場所にリニューアルオープンしました。
明るく開放的となった店内では、女性からの人気No1の4Dハイフや脱毛、マッサージの他、知多半島では数少ないメンズ脱毛、メンズエステも行われています。
仕事終わりにも通うことのできる時間まで営業しており、身体の疲れや悩みを解消してくれる、癒しのスペースに足を運んでみませんか?
代表/岩井里美
住所/半田市有楽町4-29 森田ビル2F
TEL/0569-25-0026
営業時間/月・水・金・土 10:00~21:30(最終受付21:00)
火 17:00~21:00
木・日 10:00~17:00(最終受付16:30)
定休日/不定休
2021年8月24日(火)
コロナ撲滅キャンペーンとして、コロナワクチン2回接種のお客様で、1,000円以上お買い上げの方に、お好きな大福1個プレゼントしています!
写真 上:ぶどう大福、下:わらび抹茶大福
キャンペーン期間:9月末まで(予定数がなくなり次第終了)
※2回接種完了証明書をお持ちください。
※数に限りがございます。キャンペーン終了時には悪しからずご了承ください。
代表者:平野敬幸
住所:半田市本町7-20
定休日:火曜日(月1回不定連休あり)
TEL:21-0391
URL:http://maruhatsu.jp
2021年8月10日(火)
技術や経験が豊富な美容院は半田市に沢山ある。その中の1店舗である「ひまわり美容室」について今回はピックアップした。
名鉄成岩駅近くの住宅街に1958年からオープンしているひまわり美容室は、コミュニケーションを大事にしており、カットや会話を通じて「毎月会っている友達」のような感覚で、お客様の生活の一部になれることを喜びに感じている。
代表の山本氏は、横浜で7年の修行の後、1993年に母親から店を受け継ぎ、美容師としてベテランの域になったが、高校3年生まで美容師になることは考えてもいなかった。「美容師は極めることが多く、深い職業。親子3代ご利用頂いている方もおり、世代を超えて愛されていることを誇りに思い、日々営業をしています。」と話される。
提供するメニューも、髪の毛のダメージを防ぐカット(CRE’PS・テクニック)や「髪を元気にしながら思い通りスタイリング」の特許技術の縮毛矯正など、髪でお悩みのお客様に寄り添ったメニューが豊富だ。「大手にはないお客様一人ひとりに寄り添った親近感、スタッフとのコミュニケーションがとれる店舗で、気さくな会話をしながら、当店にしかない付加価値や髪のお悩みの解決方法を知ることによって、髪へのストレスを解決されるお客様がいます。当店は、髪の疲れを少しでも緩和したり、代り映えのしない見た目のスパイスになることができ、誰もが得ることができる美しさを提供していきたいと思っております。」と話され、将来のビジョンを「当店の強みであるクセストパー®※ を知多半島中に広めたい」と考えている。
店舗運営はもちろん、美容業組合や商店街の理事も務め多忙の中、この度2号店『CRE'PS HAIR HIMAWARI』を半田市山代町の県道沿いに、縮毛矯正の特殊技術専門サロンとして10月1日にオープンする。
独自のシャンプーやトリートメントも作りあげるほどの発展力で、老若男女問わず、幅広く当店をご利用いただきたい想いが溢れている。普段はもちろん、卒業式や成人式の着付けで大忙しの時などでも常に笑顔で、明るい雰囲気がひまわり美容室の特色であり、今日もお客様への感謝の気持ちで溢れているお店である。 (取材:中満信宏)
※特許取得の独自技術により、クセのレベルを6段階で分析し、レベルに合った最適な施術を行うことで健康で自然な傷んでいないストレートヘアが実現できる。
【住所】半田市栄町1-45
【代表】山本嘉雄
【営業時間】9:00~19:00
【定休日】毎週月曜日・火曜日
【TEL】0120-06-6126
◉毎月クセストパー®練習会を実施
2号店
CRE'PS HAIR HIMAWARI
【住所】半田市山代町1-106-7
2021年8月10日(火)
地元企業で働こうと大学卒業後は名古屋鉄道に入社。同社は入社後1年間は駅務・車掌などの鉄道事業での研修があり、最初の研修配属先は知多半田駅だった。小学1年生の時に東浦町に転居し、知多半島は馴染み深い土地ではあるが、半田との関わりはここから始まった。1年後にはグループ会社への研修出向で、北海道・網走市でホテルと観光船の業務に携わった。ちょうどその頃(1991年)網走流氷観光砕氷船の運行が開始され、立ち上げ当初の業務にも携わった。
「世はバブル期でホテルには日本はもちろん、海外からもお客さまが殺到し、多忙な毎日でした。この業界での働き手は少なく、当時は自分で言うのも何ですが、結構必死に働きました(笑)。再度、網走勤務になった時、ホテルか観光船のどちらの勤務を希望するかを問われ、ホテル勤務を希望しました。大変だった仕事の方が深く脳裏に刻まれ、仲間と一緒に乗り切った達成感が得られる方が、私の性に合っていたようです。今も、あの頃の仲間たちの顔を思い出すこともあります」
人事採用、広報宣伝、文化レジャー、不動産部門と様々な職種に携わった。採用時代には求人のために長崎まで飛び、文化レジャー勤務時には、新しい遊園施設を誘致するために、岡山まで行った。
様々な土地で、色々な人々と出会い、企業人としての姿勢を学び、それは大きな財産となった。
「2007年、名鉄交通に配属以来、タクシーと関わることになりました。名古屋、半田、豊橋、岐阜などで働き、再度半田に現職として昨年の6月に着任しました。タクシー事業は究極の移動手段だと考えています。鉄道やバスは、ダイヤに合わせて駅やバス停まで自力で行かなければ利用出来ません。タクシーは24時間、自分の行動に合わせて自宅まで呼ぶことが出来ます。この事業は、常日頃からお客さまにご利用いただくことで成り立ちます。特にコロナ禍で人の動きが制限されている今、乗車いただいていたことがどれほど有難かったかということが身に染みています。『ご乗車いただけない』ことを経験した私たちは、アフターコロナ時代に向けて、次なる策を考えなくてはなりません。新しい時代に新たな挑戦を、そう考えるとワクワクしてきます」
特に現場の実績が業績に直結する業界での事業継続には、雇用確保の継続も重要な仕事であり、氏の使命でもある。方針を出し、それを達成する方法を考える。同時に事務所スタッフと一緒になって現場で働く人たちの環境を整え支え、縁の下の力持ちとなって仕事をサポートする。コロナ禍の中でも乗務員数がほぼ変わらず推移しているのは、そういう日々の努力が形になっているのだろう。
「乗務員も事務スタッフも、全ての人たちが幸せになることで、会社としても上手く回っていくと感じています。私たちは知多半島を商圏としています。そこに住み働く人々全てに喜んでいただけるような輸送体系を整えること、それも大きな使命と思っています。入社して30年ほどになりますが、社歴から見ると在籍しているのはわずかな期間です。その間に何が出来、お役に立てるにはどうしたら良いのか、常に模索しています。そんな中で、これから先100年、150年と続いていけるような状況の会社にして、次代にバトンタッチをしていくことが出来ればと思っています」
かつて先輩から『次の時代の人が、自然に業務を継続していけるような仕組みを作ること、それが仕事をしたことになる』と言われたという。その言葉が根底にあり、次代のステージ作りに尽力する。見えにくいがために地味に思われがちではあるが、礎とも言える仕組み作りをする。それが氏にとって大きな課題であり、日々思案する。
「振り返ってみますと、今、コロナという禍に見舞われ、社会人となってから一番苦しい時代を過ごしているかもしれません。少しずつ灯が見え始めることを信じて、社員一丸となって今を必死で生きています。だからこそ、この半田での勤務時代のことは、私の仕事人生の中でも印象深く残ることでしょう。やはり、半田とはご縁があるようです。
当社の旅行業はリコリスツアーと名付けています。リコリス(彼岸花)の花言葉は『また会う日を楽しみに』です。またと言わず、いつもいつも皆さまにお会いしたいですね(笑)」
●ちょっと一息●
一時、体を壊し医師からはタバコも禁止されたので、休日は家内と一緒に自宅付近を歩くようにしています。お洒落なカフェでモーニングをし、リフレッシュしています。
子どもも離れ家内との二人暮らしですが、10年ほど前に家内が猫を自転車でひき、以来その猫と同居することになりました。そのうちに近所の方から「猫がいるんだけれど・・」とか言われて、あれよあれよと言う間に、気がつけば、人間ふたりと猫10匹の大家族になってしまいました。家内とも猫の話題で盛り上がり、「最近生まれたばかりのこの子が天寿を全うする20年後くらいまでは元気でいなければね」と話しています。休日は散歩以外は猫の世話で明け暮れています。本来、猫をあまり好きではなかったのですが、今は大好きになりました。
1965年京都府舞鶴市生まれ。小学1年生で知多郡東浦町に転居。1989年中央大学法学部卒業。同年名古屋鉄道株式会社入社。北海道網走市にグループ会社への研修出向、グループ人事採用、本社(広報宣伝・文化レジャー部門)、名鉄不動産、2007年名鉄交通(株)、名鉄タクシーホールディングス(株)などを経て、2020年現職。当所常議員。名古屋市在住。
2021年8月10日(火)
間瀬 僕は、今年の1月にITイノベーション事業部を立ち上げた。その際、大学時代に一緒にIT会社を立ち上げた同級生(北端)に声を掛け相談した。その内は『中小企業は、人が辞めれば仕事が止まり、生産効率が落ちてしまう。そんな悩みを少しでも解消できるプログラムを作り、中小企業をサポートしたい。・(中略)このビジネスモデルであれば、必要とされるはず!改めて、スタートアップとして、弊社に来て欲しい!』と彼を口説き、入社してもらった。
北端 夜の10時から会議というのもしょっちゅう(笑)。大学時代もこんな生活だった。昼寝が出来ると邪な気持ちで保育士を目指したが、教育実習で現実を知り断念。編入した大学で、彼らが立ち上げた会社の後輩に誘われたのが出会いだった。僕は株や投資に興味を持っていて、パソコンスキルも『オタク』と言われるレベルだった。その会社の技術担当者が彼だったが、当時一部の技術では僕の方が詳しかった(笑)。
間瀬 2年生まで日本全国をドライブして遊び回っていた僕を「このままじゃあダメ」と発破をかけてくれた人が、僕の人生を変えてくれた最初の人。その言葉と、学生に実践経営の観点で経営学を教えてくれた先生の後押しもあって、産官学連携で16名の学生と会社(とれび)を設立。中津川市の空き店舗を借りて、中津川商工会議所の支援を受け、町を挙げて応援してもらった。日本で最初の産官学連携の会社になるはずだったが、1週間前に設立した会社があり、僕たちは第2号だったが、新聞やテレビ局から取材攻撃を受けた。ビジネスモデルの原案を38回中津川商工会議所会頭に見せて、ようやく決まった事業内容はインターネットカフェ、パソコン教室、ホームページ作成で、ホームページ部門で彼が収益を上げてくれた。
北端 トップだから頑張らなければいけないというオーラ全開で、猪突猛進の彼は初めて出会うタイプで新鮮だった。いつの間にか二人でいるようになり、会社で寝泊りし、商店街の会議にも参加していた。その商店街の関係で、町おこしの一つとして立ち上げた第1回中津川映画祭も手伝った。僕たちもウグイス嬢(?)になって、街中を看板をぶら下げて練り歩いたりして回った。それをニュースで放送されたのは、ちょっと自慢できる思い出(笑)。
間瀬 その頃はこの経験は将来役に立つ、アルバイトを辞めて会社に来い!と平気で言っていた(笑)。それで半年で半数が辞めたが、そういう人のグチや僕のストッパーになってくれたのが彼だった。補助金を受け、町や会議所がバックアップしてくれている。中途半端な気持ちでは大学のメンツも潰れると熱量がハンパでなかった。今では色々な考え方があるから面白いと考えられるが、あの頃は僕の気持ちが分からないかと怒っていた(笑)。彼ともぶつかったが目的はとれびを良くしようという想いで、互いに私利私欲がなかった気がする。
北端 彼は当時本当に志が高かった。経営を成功させる想いがとても強く率先して先導したが、そのストイック過ぎる熱量に周りが付いて来れなかった。僕が何かしなければこのプロジェクトは人が辞めすぎて破綻すると思い、僕なりに必死だったが、最後は二人とも会社経営を楽しんだ。あれから20年も経ったが、彼は何としてもやり遂げようといつも燃え続けている。卒業後はそれぞれの道に進み、僕が会社を辞めて人の役に立ち夢のあることをしようとフィリピンにいた時に、仕事でバングラデシュにいた彼から連絡があり、今回の話につながった。
間瀬 彼のビジネスセンスに感服していたので、社会貢献可能なビジネスモデルを作って、スタートアップしようと声をかけた。ちょうど彼は大手企業のシステムエンジニアを辞めたばかりで、ラッキーだった。僕は人との巡り合わせが良いと思う。入社したベンチャー企業の社長は、僕のビジネス人生を変えてくれた永遠の師匠で、今も家族ぐるみでお付き合いさせていただいている。
北端 僕も強運で、おばちゃん受けするタイプ(笑)。僕は人を支えていく裏方が性にあっていて、人生楽しくいきましょうと常に思っている。そのためには何かしらの形で努力をしているけれど。将来は長野に住んでスキーや山登り三昧で暮らすために今ガンバっている。
間瀬 僕たちはこのビジネスモデルを成功に導くという目的は一緒だがゴールは違う。彼は奥さんと楽しく暮らすというライフスタイルをゴールとし、僕は利益を追求すると共に、経営理念「全社員の幸福を求め、社会に貢献する」を実行し続け、このモデルを成功させることが責務。
今は名立たる会社も最初は中小だった。ベンチャースピリットを忘れず、どんな時も恐れずチャレンジし、走り続けたい!
■ 所在地/半田市亀崎町6-78 ■ TEL/28-0258 ■ http://suzukawa.co.jp/