半田商工会議所 THE HANDA CHAMBER OF COMMERCE & INDUSTRY

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”一番”になる醍醐味

2018年6月13日(水)

rooms(株)

 寄らば大樹の陰…。長いものには巻かれろ…。「社内?2の座はいつも居心地がよかった。何かと責任が付きまとう“一番”にはなりたくなかったね」そう振り返る矢野孝弘氏が独立開業し、あれほど毛嫌いしていた“一番”になったのは4年前のこと。阿久比町出身の氏は東京の大学へ進学。青春時代を東京渋谷で謳歌し、生きる場所を東京に決めた…はずだった。東京に本社を置く大手ハウスメーカーに就職するも初任地は名古屋支社、新人研修を終え配属先は半田の事務所、と何の因果か生まれ故郷へ戻される形に。都会での生活に憧れ続ける田舎者(筆者も同郷なので勘弁を)は、辞表を提出するやすぐに上京。しかしフリーターとしての生活は4年で限界を迎え、再び地元へ帰ることとなる。「帰って来ても何もする気力がなかった」と人生のどん底を経験し、ふと何気なく電話をした相手はハウスメーカー時代の先輩。既に独立していたその先輩の経営する土地家屋売買の仲介業へ就職し、止まっていた氏の時計の針が動き出すと、”資格マニア”と揶揄されるほど稼業に関わる国家資格を多数取得して行った。当所青年部にも自ら志願して入会し、46歳となった今では半田法人会青年部でビッグプロジェクトの責任者を任されるまでに。「いろんな人との出会いが自分を変えた。その中で経営するという醍醐味を教わったよ」と“一番”になったタネを明かしてくれた。現在の従業員は4名。金融機関出身者もいて、資金面を含めた顧客のニーズに強力に応えている。「お客さんに感謝してもらえることはもちろん嬉しいけど、従業員たちがお客さんに感謝されて満足している顔を見るのがもっと嬉しいね」と語るのはすっかり経営者の顔。「自分の仕事が地元の街づくりに少しでも貢献できているといいな」…そうです。あなたの生きる場所は東京ではなく、最初からこの地だと決まっていたんですよ、先輩。

(取材:森 啓貴)

事業所名/rooms(株)(センチュリー21加盟店)
所在地/半田市昭和町1-3 森半田ビル2F
TEL/89-8800
代表者:矢野孝弘
創業:平成26年3月
定休日:年中無休
営業時間:9:00〜18:00



所在地:
代表者:
TEL:(0569)-
定休日:
営業時間:時〜時、時〜時(オーダーストップ)



Good HANDA Quality

2018年6月13日(水)

東京海上日動火災保険株式会社 半田支社長 日吉 二郎 氏

 小学校の書き初めにも書いた『気力と充実』。たまたま見かけた言葉だが、いつも心に刻み、道を拓いてきた。高校まではサッカーに明け暮れ(中学3年時、東京都大会3位)、大学ではボートに熱中し(全日本大学選手権6位)、そのボート部OBも多く在籍していた同社で、社会人としてスタートした。そこでもボートの三菱選抜に入り、海外遠征も経験。
 「大学のボート部監督に、同級生との今の絆を一生変わらぬものにするためにも、みんなそれぞれ別の会社に行けと言われ、同期みんなで話し合って、私は学生時代一番尊敬する先輩が在籍していた当社に入社することに決めました。今では当時監督が言われた言葉の真意が解る年齢になりました。新人で本店営業部に配属されて以降の15年間は東京、名古屋で営業を担当しました。企業の皆様に直接保険のご提案をすることが好きで、東京では当時はさほど大きくなかった企業に根性だけで飛び込み、取引していただけるまで粘り、取引後の企業と共に成長できることに喜びを感じて日々営業をしていました。名古屋でもその手法で、街に多くの看板が出ている企業に目を付けて飛び込み続けたのですが、厳しい現実が待っていました」
 以後その失敗を教訓にして、自らが飛び込む営業スタイルを改め、代理店さんと共に企業の皆様にご提案することに重きを置くようになる。流れを見て調整しながら動く。それはスポーツを通じて培ったもののようだが、スポーツトレーナーを夢見たこともあるほど運動は身近なものだった。
 「スポーツマネジメント関連業務を志し、グループ会社に異動願いを出して異動を認めていただけたのですが、なぜか企業のメンタルヘルス対応に没頭する5年間が待っていました。当初メンタルヘルスに門外漢の私は周りの専門職の意見や要望を収集し続け、1年かけて何とかメンタルヘルス対応商品を開発しましたが、発売当初はまったく売れずに事業撤退寸前まで追い込まれました。しかし、色々な方との出会いを通じて、撤退ギリギリの時期に私のことを以前より知ってくださっていた方が支援者として現れ、事業として動き始めることができました。この時ほど、人とのつながりや縁を深く感じたことはなく、今でも感謝の気持ちで一杯です」
 今ではその商品『TMS NAVIGATOR』は同社の主力商品となり、様々な業界から注目されている。この仕事の影響もあってか、資格マニアにもなり健康管理士、衛生管理者、健康経営アドバイザー、福祉住環境コーディネーターなどの様々な資格取得にも挑戦し続けている。
 「それらの資格は私の財産で、いつかは健康管理に関わりながら、社会のお役に立てればと思っています。そんな夢を抱きながら、昨年4月半田支社長として着任しました。1年経った今、地域に密着する大切さを痛感しています。会社も今年度より『クオリティNo.1への挑戦』を新中期経営計画のタイトルとしていますが、半田支社でも『Good HANDA Quality〜知多半島の豊かで快適な社会生活と経済の発展に貢献する〜』を掲げ、代理店さん、社員のスキル・チーム力のクオリティアップを図り、お客さまのために、出来得ることはすべてやろうと支社メンバーと共に取り組んでいます。東京2020オリンピック・パラリンピックゴールドパートナーとしての、オリパラを軸としたイベントの開催等、地方創生に資する活動に、半田市をはじめとした様々な行政とも連携していきたいと思っています。そして本活動を通じて、一人でも多く方々に、東京海上日動のファンになっていただければと願っています」
 自らの資格を活かした健康経営セミナー等の活動も企画中で、健康管理を通じて社会に貢献したいという、夢の実現も同時に適えようと邁進中である。そして、地域密着がより図られるようにと半田ロータリークラブにも入会し、さらに知多半島をPRするためにボクサーとしても『知多の赤龍、日吉二郎』(赤は好きな色で母校のスクールカラー&龍は小学生時代よりファンであった中日ドラゴンズマスコット)のリングネームで40歳代のスーパーフェザー級日本チャンピオンを目指し、5月20日にゴングを鳴らす。5年前には日本フェザー級チャンピオン、昨年11月には中部・北陸地区ライト級チャンピオンに輝いた。
 「次戦は40代で3階級制覇を達成できる最後のチャンス。どんなに飲んだ翌朝も、朝焼けの運河沿いを毎日5キロ走り、帰宅後は筋トレ、休日はジム通いで特訓中です。仕事も試合も考え思い悩むこともありますが、最終的には、やるとなったら今がベストと開き直れます(笑)。いつも勝つために全力で戦っていますが、ダメなら次また挑戦すればいい。常に挑戦!日々、ポジティブシンキングで、『気力と充実』です」


ひよし・にろう氏プロフィール
昭和43年東京都生まれ。平成5年一橋大学法学部卒業。同年東京海上(現東京海上日動)火災保険(株)入社。本店企業営業部門配属。9年東京でのエリア営業部門、15年愛知県でのエリア営業部門。20年東京海上日動メディカルサービス(株)。25年医療福祉分野営業部門。28年再び愛知県でのエリア営業部門。29年現職。家族は横浜市在住。当所議員。金融部会副部会長。
 




美は人生を変える

2018年6月13日(水)

ヴェーネレ半田 間瀬 智恵美さん

――姿勢、とても美しいですね。
 姿勢の良し悪しで、その人の印象は大きく変わってくると考えています。ヴェーネレ美容法の教室(表情筋トレーニング、健康促進の足つぼ指圧、立ち振る舞いなどのトータル美容)の講師として、その辺りは気をつけなければと心しています。私は目立ちたくないと、人の陰に隠れるように控えめに生きてきましたが、人前でも積極的に出て行くことができるようになりました。
――ヴェーネレとの出会いで、生き方が変わってきたんですね。
 そう思います。以前は惰性で生きているような部分もありましたが、何事にも前向きに取り組めるようになりました。出会いのきっかけは、40歳を過ぎた頃にカラダに老いを感じるようになって(笑)。このままじゃいけない、何とかしたいと思った時に情報誌の表情筋セミナーの案内が目に止まり、何か一つでも覚えたいと軽い気持ちで参加しました。以前に主宰者の本を読んだことがあって、半田でその人のセミナーがあることを知り興味津々でした。その考えに共感し、その場で入会し、頑張って1年半くらい経った頃には講師の資格を取得していました。
――その頑張りの要因はなんでしょうか?
 息子の彼女に間違えられたり、娘からは「以前より若くなったんじゃない?」と言われご機嫌でした(笑)。それまでの私は飾り気がなく、ジーパンとTシャツやトレーナーを愛用し、楽でジャブジャブ洗える服が一番と思っていました。でも自分に自信が持てるようになってくると、お化粧や洋服にも気を遣うようになり、スカート丈も短くなっていき(笑)、いつでも笑顔で暮らせるようになりました。
――笑顔は幸せを運んできますからね。
 お母さんの笑顔は家庭を明るくし、家族みんなの幸せにつながっていくと信じています。先ずは家族それぞれが幸せになって、その幸せの輪が全ての家庭に広がっていくことを願っています。自分を磨き笑顔になると心に余裕が生まれ、キレイな洋服を着たくなり、お出かけもしたくなります。そういう機会が増えれば、半田の経済効果が上がるんじゃないかしら。
――半田の活性化のためにも、先ずは魅力的な女性が増えることですね。
 そのためのお手伝いをしたいと思っています。会員制ですが、週に半田で4回、名古屋で1回教室を開いています。興味のある方はご連絡くださいね。以前『半田1万人笑顔プロジェクト』、『女性が心も体も健康で美しく』というテーマで、表情筋セミナーと体操の会を企画したことがありますが、笑顔いっぱい、元気いっぱいの女性が増えれば嬉しいですね。
 ヴェーネレはイタリア語で『美の女神』という意味です。美しくなるためにはイメージが大切で、「こんな風になりたい」という、具体的な目標を持つことが理想に近づく一番の近道です。私はオードリー・へップバーンの写真を身近に置いています。
――『ヴェーネレミラクルチェンジコンテスト』も開催されているんですね。
 過去の自分より、どれだけ美しくなったかを競うコンテストです。優勝を目的とするのではなくて、美のプロフェッショナルを育成するために開催され、全国から多くの方が参加されます。私は名古屋で開催された大会に出場し、ファイナリスト50人として舞台に立てたのはとても嬉しかったですね。その時、母も参加しました。母は脳梗塞や圧迫骨折をして、一時は無気力のまま生きていましたが、体操したりお化粧をしたりして意欲を取り戻し、今イキイキと生活をしています。
 美しくなるということは、単に外見が変わるだけでなく、女性として自信を持つことだと思うのです。ご一緒に自分磨きをしませんか?


ませ・ちえみさん
南知多町生まれ、半田市在住
趣味:絵を描くこと
ヴェ—ネレ半田
半田市岩滑高山町1-40-9
TEL:080-4303-3915
体験見学募集中
第1・3火曜日 13:30〜
第2・ラスト木曜日 19:00〜
個人レッスン随時予約中




笑って、楽しく喋って、食べる

2018年4月27日(金)

KAMEKICHI

 亀崎には地元の人に愛される飲食店が沢山ある。その中で、『亀崎にいい店ないかなぁ』と、ふと考えた時、浮かんでくるお店の1つは「KAMEKICHI」ではないだろうか。大通りより1本中に入っているお店は、場所が分かりづらくちょっと入りにくいのですが、勇気を出して入ってみると隠れ家っぽい雰囲気であり、料理も接客も素晴らしいお店に巡り合うことがあります。KAMEKICHIもその一つ。亀崎の隠れ家とも言えるこの洋食店はお客様との距離感を大事にしたアットホームな雰囲気を醸し出し、背筋を伸ばさず気軽に楽しく食べて欲しいという店主の想いから生まれたお店である。
 店主の中山氏は南知多町生まれで、学卒後すぐにやりたかった飲食業に就き、東京などで修業をした。そして、時には長期休暇を利用し海外にも勉強のため赴いた。趣味は美味しいものを食べに行く事と、根っからの料理人である。メニュー看板は毎日変化しており、その時の旬の食材でパスタのソースやスープなどを提供している。
 平成29年8月からは店舗近隣に「亀崎COFFEE STAND KAMECO」をOPENさせた。KAMECOは改修工事を経た木造の3軒長屋で、亀崎にフラッと立ち寄れるドリンクショップをテーマに、レトロな佇まいの中、香り高いコーヒーを提供する。おススメはカフェラテで、見事なアートを描いてくれる。『友人との会話を楽しむ場や一人じっくりとコーヒーを味わいたいとき、亀崎散策の休憩スポットとしてもぜひ足を運んでみてほしい』と、中山氏は思っている。
 「余所者である自分を亀崎は受け入れてくれた」その亀崎地域とお店を馴染ませることが一番大変で、お店に来られたお客様皆さんが、笑って、楽しく喋って、料理を食べて過ごした時間が、いつまでたっても忘れられなくなるような、亀崎に認められるお店にすることが今の目標とのこと。「お客様の『美味しい!』の一言を聞けるのがうれしくて、真面目に、丁寧に作ることを心がけています」と語る中山氏は、空間や時間までも幸せにすることができる人間である。
どれも本格的で、素材にこだわり季節に応じた食材の味を楽しめるKAMEKICHIならば、いつもよりリッチな気分が味わえるはずです。ここでしか出会えない極上の味を是非ご賞味ください。

(取材:中満信宏)

所在地/半田市亀崎町5-189
代表者/中山裕太
創業/平成27年10月      
営業時間/13:00〜16:00、17:00~23:00
定休日/火曜日
TEL/090-2610-7900



所在地:
代表者:
TEL:(0569)-
定休日:
営業時間:時〜時、時〜時(オーダーストップ)



電力の仕事はチームプレイ 各々が職責を全うする

2018年4月27日(金)

中部電力株式会社 電力ネットワークカンパニー半田営業所長 佐藤晋吾 氏

 北アルプスを望む急峻な山合いの農家に生まれ育った。谷を越え、山を登り登校した。冬は、満天にままたく星灯りを眺めながら帰途についた。
「豊かな環境が故に自然の脅威には逆らうことはできず、台風襲来による地滑りにより生家は倒壊し、山から町に避難(転居)しました。その後、父が急逝し進路変更を余儀なくされましたが、どんな時代にも予期せぬ出来事は起こります。起きた時にどう対処するのか、その心構えを準備しておくことは大切なことと思っています。これも育ってきた教訓から学んだことかもしれませんね。それが影響した訳ではないでしょうが、安定志向を求め中部電力を志望しました」
 地元長野県で勤務と思っていたが,名古屋支店勤務となり春日井営業所に配属された。当時の事務系男子新入社員に課せられた現場検針業務からスタートし、電気料金に関わる様々な業務を経験した。独身寮があった名古屋市名東区は当時まだ自然が残り、歳が近い仲間との生活は、見るもの聞くもの全てが新鮮でワクワクしながら毎日を送った。 
 「その後名古屋支店人事課に異動し、採用・教育・人事評価等に7年携わりました。仕事柄、多くの社内外の人達との出会いがあり、そのことが私の大きな財産となっています。電力の仕事は多岐に亘り、チームでの仕事が求められますが、人材が財産と実感したのもこの時代でした。現在、働き方改革が叫ばれていますが、当時の人事課では既にライフワークバランスを重要視した働き方をしていました。後年管理者になった時にも、この時代の学びや経験が大いに活きてます。人生において最も吸収力のある20代に、この部署に所属したことは、社会人としてとても幸せなことと感謝しています」
 以後、検針員や収納業務を担う人達が加入する第2労働組合員との労使交渉や、電気料金滞納者との折衝と神経を使う仕事も「偉大なる鈍感力」で乗り切ったと笑う。世の流れは電気料金の支払いをコンビニエンスストア・クレジットカード会社が担う時代になり、その交渉に当たった。また、電力の自由化進展に対応する新たな電気料金メニューの制度づくりに奔走するなど、無駄な仕事は一つもなかったと断言する。そんな様々な経験と知識を携え、平成28年に現職となり半田の地に赴いた。
 「所員には、?各々が職責を全うする?よき社会人であれ?健康第一、と言い続けてます。電力の仕事はチームプレイ。誰もが役割を担っている。私たちの仕事は社会のお役に立っているという誇りと自信を持ち、その使命を果たすことが大事。半田営業所は中部電力の中でも有数の伝統ある事業場です。古くから皆さまにお世話になっており、地域のお役に立つことであれば可能なかぎり関わります」
 その対外的なお役目も相当数あり、その時々の出会いを楽しみ絆をつなぐ。いつもどんな時も旺盛な好奇心と、ユーモアあふれるセンスで対峙する。
 「半田市の条例『知多酒で乾杯』を所内で推奨したところ『日本酒好きの所長が勝手に作ったルール』と誤解されるほどの上戸で、半田の地でまず調べたのは『知多半島に酒造が多いのは何故か』です」
 幼少期から体を動かすのが習慣になっており、あらゆるスポーツに熱中した。歳を重ねてからは、チームでも一人でも出来る趣味が主になり現在は、ロードバイク・MTB・登山、冬はスキー・スノーボードに興じる。
 「人生は3万日といわれ,最初の1万日(28歳頃)までが修業、2万日で社会に還元していくものと聞いたことがあります。今、2万日目を疾走中です」



さとう・しんご氏プロフィール
昭和37年長野県北安曇郡生まれ。昭和56年長野県立豊科高等学校卒業。同年中部電力入社、春日井営業所配属。名古屋支店総務部、名古屋市内営業所、本店営業部、名古屋支店営業部務等を経て、平成28年現職。半田商工会議所工業部会部会長。当所常議員。一宮市在住。