2023年9月29日(金)
亀崎で生まれた私は『潮干祭』とともに育ってきたと言っても過言ではないでしょう。その影響か、現在は民俗文化を本来の姿に再生する取り組みをしています。文化庁や各地域の依頼で色々な土地に赴きますが、そこに住む人たちは、その地域の歴史や本来の祭りのあり方に気づいていないことに時々出くわします。
修復には学術は欠かせなくて書物を紐解き調べものをしていますが、興味深いことに行き当たることもしばしばです。知多半島における民俗文化の繋がりという点から見ると、亀崎と師崎は1000年程前は海軍をつかさどる田島海部一族の本拠地でした。そこでは干潮時に渚を渡御した祭礼儀式が執り行われ、師崎の祭礼は『潮時祭』と呼ばれていた時代もありました。当時は両方で一つの祭礼と見なされていたようです。時代の流れで、それぞれの祭りの形は変わりましたが、今も山車(やまぐるま)の後下り、枝綱の縛り方、山車の曳き方などに共通点が見られ、随所にその名残をとどめています。
このような歴史を知ることで、ただ綺麗に元の姿に戻すことが修復ではなくて、町の歴史や成り立ちを知ることで、本来の祭礼のあり方が見えてくると考え、講演活動も大切にしています。そうするとそこに住む人々の意識が変わり、郷土愛も育まれ、町も活性化してくる様子を体感してきました。ただそういう祭りは、同じことを続けることが大事になってきます。連綿と継続していくことで先人の想いを肌で感じ、そこに住む人たちの民俗性が出来上がってくるのではないでしょうか?粛々と続けるということは面白くはないですが(笑)。
美術力、技術力も修復に必要な要素となってくると考えています。綺麗に再現するにはこの技術力を持っていれば、比較的容易にできると思われがちで、『匠の技』と表現されることがありますが、安易にそういう流れに走ってしまうことをやや危惧しています。元々、匠という語源は聖武天皇時代(728年)に設置された、宮中の器物や殿舎の装飾をつかさどった役所、内匠寮(たくみりょう)からです。その長い歴史の中から生まれた『内匠』の称号を立川が授かったことは、天下一品に値すると思っています。かつてそういうスペシャリストたちが関わっていた作品の修復をするためには、学術、美術力、技術力の三術が必要不可欠と痛感しました。1989年に日本の伝統美術の一つで、江戸時代の代表的な宮彫りの流派である「立川流彫刻」を研究し、その技術を伝承していくことを目的に『立川美術館・立川流彫刻研究所』を設立しました。美術家を中心に、プロの彫刻師、建築家、歴史研究家等各分野の人たちで構成しています。また、作品や資料を収集し、保存・公開することで、立川流彫刻の周知に努めて
います。10月には『第九回はんだ山車まつり』が開催されますが、山車まつりとセットで、当館に見える方もいらっしゃる予定です。
潮干祭の山車も創建以来何度も総造り替えや修復を経て、今日の姿になったように、文化は創作されながら受け継がれていくものと考えています。はんだ山車まつりも半田の文化を大切に思う若者たちによって創られた新しいイベント文化だと思っています。随所に新しさがあり興味深いですね。掛け声一つとっても、亀崎、乙川地区は「ヨイサー」で、綱引きもそうですが、引くときは「ヨイショー」でしょう。でも掛け声の多くは「ワッショイ、ワッショイ」。曳き手がピョンピョン飛んでいますので、自然に発せられた言葉なのでしょうね。
私は今、棟梁・アーティスト・プロデューサーという顔を持ち活動をしています。伝統芸術だから創作とは関係ないのではなく、立川流の技を踏まえて、新しい素材との融合に挑戦しています。教職に就いていた時もありますが、先生は定年になったら終わり、この仕事は生涯関われます。やることがいっぱいあって、時間が足らないくらいです。
自分の仕事があって、依頼の仕事があって時間に追われる日々ですが、この分野のことが多少なりとも解っている者、経験してきた者が伝統文化の再生に携わることが求められていると思っています。私自身、知多半島の山車彫刻を一手に引き受けてきた『彫常さん』の弟子として指導を受けた御恩に報いるためにも、今まで培ってきたノウハウをそういう場面で活かしていたけたらと思っています。豊かになった世の中で、人々の心が満たされた時こそ原点に返り、伝統文化の大切さを感じていただきたいと思っています。文化は人々に楽しさや感動、精神的な安らぎや生きる喜びをもたらします。私の民俗文化を本来の姿に再生する作業で、多くの方の人生が豊かになったら嬉しいですね。
■半田市亀崎町6ー81 ■TEL.29-5897
2023年9月1日(金)
働き方改革の一環として、労働基準法が改正された。自動車運転業務を含む物流業界に大きな影響を及ぼす、いわゆる2024年問題。その課題と向き合う事業所の一つとして、知多半島で活躍するオーヤカーゴ(株)さんにお話を聞いた。
本社を美浜町に置き、半田、常滑にも拠点を持つ、一般貨物自動車運送事業所だ。陶器、タイル、飲料などを中心に、県内はもちろん北関東や広島県・岡山県といった中国地方までお客様の大切な荷物を運ぶ。倉庫業、また製造業から出る産業廃棄物の収集運搬も行っている。
現在7名の社員を束ねる社長は現在48歳。オーヤカーゴ㈱を立ち上げて間もなく10年となるが、その始まりを回顧すると社長も思わず苦笑いをしてしまうほど“やる気”重視の行き当たりばったりの開業だったと語る。
仲の良い友人たちが自営業だったことに影響を受け34歳だった社長(当時:会社員)は、「40歳で自分の会社を立ち上げる」と心に決めた。トラックが昔から大好きで、“デコトラ”を見ては胸を躍らせていた少年が、大人になり、運送会社を立ち上げたのは38歳だった。開業を目標としていた40歳よりも早く自分の会社を持った。いざ自分の会社を持つことになったものの、開業することが目的になっていたことにその時ようやく気付き「この先、仕事はどうする」と焦りを覚えた。
「運送会社を新規で始める知り合いがおるで、よかったら使ってやって」友人たちが口コミで宣伝してくれた。思ってもみない営業チームが社長を応援してくれた。心強かった。「トラック業界は他の業界よりも義理人情に厚い社会。だからこそ運送会社の先輩方とご縁をつくる。お客様とご縁をいただくことです」友人や社長自らつないだご縁のおかげで、開業前の焦りから一転、開業当日から仕事が入りトラックを走らせることができた。その後も「会社の社判って何?」「印鑑ってそんなに種類があるの?」「請求書はどうする??」と難題にぶつかっては学ぶという行き当たりばったりの日々が続いたが、今では事務所での作業のほとんどを社長が担っているのだとか。事務作業のレベルアップは社長の入会する当所青年部での活動も役立っているそう。総務委員長として活動する現在、これまで無縁のPCソフトを操作したりプレゼンテーションの機会に出会い、それらに向き合うことで、仕事にも活かせるスキルを身につけることができた。
社長に社員さんについてお話を伺うと、家族のように想っているのが伝わってきた。社長と同じように自らの家族を持つ社員ばかりだそうで、何としても安全にその家族の元に帰ってもらわなければならないし、そのための車体の安全装備への投資は厭わない。実際に最新の居眠り防止装置や制限速度制御システム等が装備されている(大型トラックは高速道路でも90㎞までしか出せない仕組みになっているそうなのでご注意を)。環境に配慮したアイドリングストップのための装置も備えている。また、社員が理不尽な事故に巻き込まれそうな時は社長自ら話し合いに出向き、社員を守る。会社のトラックにも関わらず大切に乗ってくれる社員を見ていると、その想いを大切にしたいと思うのだ。時にはお客様からクレームを受ける事もあるが、それらは全て理由があってのこと。その理由をしっかり聞き再発防止に努める。「人間性に関するクレームを受けた事がない彼らなら、おのずとクレームも減るはずです」と信頼する社員もその家族も安心して働ける会社でありたいと願う。
冒頭に挙げた、いわゆる2024年問題も、社会全体で問題意識を持って取り組むべき課題と語る。「僕ら(運送事業所)ももちろん努力していきます。しかし僕らの努力だけではどうにもできない事があり、限界もあります。例えば荷受け時間を拡大していただくことで時間のロスが減らせる等、取引先様にも理解していただき、少し仕組みを変えていただくことで問題解決できることもあるかもしれません」と2024年問題に対しても高い意識を持って取り組もうとしている。やるべきことをやり、正しい方法で事業も安全も守っていかなければならない、と語る社長のもとに、新たなご縁がつながることを願う。(取材:加藤由香恵)
本社
【住所】知多郡美浜町上野間里屋敷18-5-202
【TEL】89-7086 【FAX】35‒7036
常滑車庫
【住所】常滑市古道
【代表】小猿 剛
2023年9月1日(金)
創業者(祖父君)の進取の気性に富んだ血脈は、脈々と受け継がれてきた。自社に入社して20年余。既成概念にとらわれることなく、や
りたいこと、できることをやろうと、氏もまた、受け継いできた気骨を遺憾なく発揮する。
「大学卒業後に当社の取引商社を経て、自社に入社し1年ほど豊田自動織機に出向しました。将来を見越して勉強の日々でしたが、人脈形成のために外部研修を常に受けていました。主要取引銀行の製造業対象の研修会は、20代の参加者は私ひとり。キャリアを積んだ諸先輩方の話についていけず苦労もしましたが、貴重な学びの機会になり、経営についての相談相手がいたことは心強かったですね。今もその研修会に参加していますが、同世代の参加者も増え、歳月の流れを感じています」
知識を蓄えるため、人脈作りのために様々な研修会、海外視察に積極的に参加し仲間との絆を深めていった。後年、これらの繋がりが貴重な財産となり、多方面に亘って好影響を与えることとなる。昨年6月に製造業の困り事を解決しようと、企業と技術、企業と人材を繋ぐ、工業系特化型のオンラインマッチングサービス『FactorX』を立ち上げた。今までのご縁が繋がり登録企業者が半年も経たずに、受注者700社以上、求人情報1,000件以上という数を数えた。
「1937年創業の当社は、10年後に豊田自動織機との取引を開始以来、フォークリフト部品と油圧シリンダーの専門メーカーとして、様々な部品・製品を製造してきました。お陰様で仕事は安定していますが、変化の激しい時代に既存の仕事を大切にし、新しい軸を作っていくことは必要不可欠なことと思っています。新規事業を始めたことにより、新しい人材、考え方、企業とのお付き合いが増えて、視野が広くなったように感じています。このことも私にとって大きな財産となっています。反面、失敗したら…という不安は常にありますが、祖父の手記に綴られている言葉『命まで取られる訳ではないから、一度の人生、やりたいこと、出来ることを頑張ろう』が私の支えとなっています」
新規事業の課題はアイディアであり、新たなビジネスモデルは雑談から生まれて来ることを実感し、時には食べながら飲みながら『ビジネスに関する雑談』を交わし情報交換をする。また、ベンチャー企業の経営者と話したり、大学との共同研究を試み、既成概念にとらわれることなく柔軟な思考で、様々な人との繋がりを大切にしている。確かに受け継がれている。
「当社は『ものづくりはひとづくり』『仕事の質は人から』という考えから人材育成にも積極的に取り組み、発言しやすい職場づくりに努めています。それは業務改善にも繋がり、工場内では、いつもどこかで何かが改善されています。私は人の話を聞きながら『それもいいかも』とまずは自分なりに咀嚼して考え、どちらかというとパートナーと一緒に仕事を進めていくタイプです。そういう多くの人と接する経験からも人の持つ力の偉大さ、影響力を感じています」
前社長は御母堂が務め(現会長)、今までの経験を踏まえた視点での改革が行われた。その一つに整理整頓に重きを置き、生産現場の安全衛生の改善に取り組み、労働災害が大幅に低減し生産性も向上した。それにより昨年、地域の中で安全衛生に関わる優良事業所として『愛知労働局長表彰 奨励賞』を受賞し、同社に大きく貢献し、進むべき一つの道を拓いた。
「当社はシステム、人、設備の中長期的な安全管理の仕組みを構築しています。これらを地域社会と共有し、地域貢献をしていきたいと思っています。祖父
の手記は幾度も読み返していますが、色々な人に助けられて会社を存続できてきたことを恩義に感じていたようです。強靭な精神力を持ち、新しいことを違和感なく受け止め人との繋がりを大切にしてきた祖父には及びませんが、その血が流れていることを誇りに思っています。新規事業を通して、私も多くの人に助けられていることを体感し、改めて地域との繋がりを深
め、地域貢献も当社の使命であることを実感しました」
今、やりたいこと、出来ることは『 FactorX』をより軌道に乗せるため、製造業の力になるためと、営業活動に尽力する日々を送る。東海3県下はもちろん、関西、北陸、東北にも足を延ばす予定だ。
「それぞれの土地の風土、文化、四季を感じながら、次々と新しい人、会社と出会い、新しい考え方や知識を得る機会に接することはありがたく楽しいことです。食べ歩きが好きな私は、その土地で美味しいものをいただけるという素敵なオマケの時間も大好きです(笑)」
創業者から一貫して『新しいモノづくりの未来へ』挑戦する精神は、確かに受け継がれている。
●ちょっと一息●
「当社に入社するまで地域との関係性は薄く、地元のことは殆ど知りませんでした。今年度、父も務めた雁宿小学校
のPTA会長になって初めて地域との繋がりが始まりました。学校には地域を山車が練り歩くなど独自の祭り『かりやど
祭り』があって、改めて地域との繋がりが強い学校だと認識しました。母校ですが、そのお役に就いて初めて認識を新た
にしました。来年は町内会長のお役目をいただきます。新たな出会いに今からワクワクしています。
『真面目で堅そうに見えるのに話すとフランクですね』と度々言われます。ギャップがあるようです(笑)。私自身、既成
概念は少ない方だと思っています。それは幼い頃から半田市の姉妹都市の学生さんなどをホームステイとして受け入れ
たり、私も交換留学生として訪れた機会もあったという家庭環境にもあるのではと思っています。半田市が繋いでくれた
ご縁ですね。そしてその気質もまた、祖父から受け継がれてきたものかもしれませんね」
1978年半田市生まれ、半田市在住。2001年日本大学理工学部電子電気工学科卒業。(株)東陽を経て、03年同社入社。当所常議員。
2023年9月1日(金)
「古」と「新」が混在するkonya
factory84は2015年の開業以来、「パソコンドクター119」をメイン業務として展開し、知多半島を中心に地元企業や個人のパソコン整備、ネットワークに関する困りごとの解決やIT環境の整備をしてきました。もともと私はWindowsが存在しない時代にシステム会社に就職をし、プログラマー、SE、社内SEと仕事をこなしてきました。当時はプログラムを入力することは簡単にさせてもらえず、ほとんどが紙ベースの作業でしごかれた記憶があります。パソコン同士のデータの
やり取りもすべてプログラムをする必要がありソフトだけでなくハードの仕組みも詳しくなっていきました。
あれから30余年が経ちパソコンの性能は格段にあがりましたが、基本的な構成は当時とあまり変わっておらず、当時叩き込まれたノウハウが現在の仕事にかなり活かされています。パソコン、インターネット、ネットワークは特別な人が使うものではなく、身近な物というより必需品となってきました。中小企業ではこれらの技術者を社内に準備することは難しく、そういう環境下で「パソコンドクター119」のサービスは誕生しています。
最近では働き方改革、インボイス制度など今までのビジネス環境から大幅な変化を求められる時代になりました。さらにコロナ禍もあり資格取得、起業思考も高まってきています。
「Office konya」はこのような背景と自社の技術力を結集することで誕生したコワーキングタイプのシェアオフィス(月契約)です。この空間は様々な会社のオフィスの参考にもなるショールームにもなっているのでお問い合わせ頂ければ見学も可能です。ご要望に合わせてオフィスのレイアウト、ネットワーク、データの保管方法などの設計、施工が可能ですのでいつでもご相談下さい。
シェアオフィスを半田市に作った理由は、いわゆる名古屋の会社へ通勤する方のベッドタウンになっているのと、知多半島の真ん中にあり官公庁が集中するエリアなので、都市部と同等の状況の中にオフィスを持つことが出来るからです。契約者へのサービスとしては住所使用可、専用ロッカー、認証機能付きコピー機、紙折り機、各種文房具などを提供しており、パソコンがあればすぐにでもお仕事が始められるのが利点になっております。現在は、士業、プログラマー、コンサルタントといった異なる職業の人たちが利用し、情報交換や交流を深めています。取引先の方との打合せや食事などは、1階にある「Cafe konya」のご利用が可能です。
「Cafe konya」もfactory84の事業のひとつになっています。カフェはモーニングタイム、ランチタイム、ティータイム、夜カフェ&BARタイムと時間帯によってメニューに違いをもたせて提供しております。また、パティシエとして起業されている方にカフェのスイーツ作りをお任せしています。それ以外にも地元の食材や調味料を取り入れ、窯元の作家さんによる手作りの器を使っております。カフェではこういった小規模事業の方々に支えられている面とお客様にその商材、関係
性をお伝えすることで、相乗効果が得られ面白い広がりをみせています。
働き方改革などで仕事のスタイルなどは変わってきました。さらに進化した働き方として「ワーケーション」という仕事を旅行先でも出来る考え方もあります。仕事をするのに今までの様なThe事務所のような環境でなくリラックスして働けたらというのも働き方改革の一端なのではないでしょうか。少しでもそのような環境にしたく古民家を昔ながらの日本家屋の良さを残しながらリノベーションしkonyaを誕生させました。仕事に疲れたらおいしい食事で休憩して、カフェのスタッフや
他の利用者と雑談をしてまた作業に戻る。これこそがこれからの時代に求められる新しい働き方だと思います。
起業家の方にはスタートアップの場所、士業の方には官公庁近辺にある作業場、テレワーカーの方は自宅とは違う仕事場所として地域を支える場所「Office konya」を活用して頂けたらと思っております。そしてカフェ共々、少しでも多くの方にこのkonyaという場所に慣れ親しんでもらえたらと思っています。
おまけになりますが、ここkonyaには古民家とは不似合いなFreeWi-fi、EV自動車用の充電設備、「酸素カプセル」なども設置しています。「古」と「新」が混在するkonyaは、これからも働き方の追求を続けます。
■半田市榎下町24-1 ■TEL.0569-89-9917
2023年7月28日(金)
現在、半田市内各所で掲出されている「新美南吉生誕110 周年ポスター」や、知多半島観光情報ポータルサイト「タビチタ」・動画「知多半島情景」「t abi chit a 」を一度は目にしたことはないだろうか。これらをデザインしたのが、今回ご紹介する株式会社エヌ・エフ・ユーである。
同社は、平成6年11月に学校法人日本福祉大学の出資により設立。【地域のふくしに貢献する「生活創造企業」】を経営理念に掲げ、子どもから高齢者まで誰もが住み慣れた地域の中で生じる様々な生活課題の解決や、企業・団体が抱える課題についても多様な関係機関・団体ともネットワークを形成しながら、支援していく企業を目指している。来年、設立30周年を迎える同社について、取締役副社長 中村聡氏にお話を伺った。
設立当初は、少子化を筆頭に今後増えるであろう大学運営に関する様々な課題を合理化し、運営をスムーズにしていくことが求められ、その役割を担ってきた。最初は問題も多かったが、その都度解決しながら組織運営を進め、現在は、教育に関する様々な業務のトータルアウトソーシングをサポートしている。
ここまで聞くと、大学運営を主として行っている同社が、なぜ冒頭に挙げたコンテンツのデザインを行っているのか、と疑問に思うかもしれない。それは、今から10年ほど前、大学運営の業務も軌道にのり、大学組織のサポートや人材運用で培ったノウハウを活かし、地域に向けた取り組みに力を入れたことが始まりである。
「日本福祉大学」の名の通り、ふくしサービス事業を中心に、様々なサービスを提供している。知多半田駅前の通りにある「Kurasot(t くらそっと:暮らしに“そっと”寄り添うの意・造語)」もそ の一つであり、暮らしの相談窓口として福祉用具販売や介護保険レンタル、介護保険販売の相談、住宅改修・福祉住環境に関する相談ができる店舗となっている。その他、地域支援事業の一つで、地域密着型のデザイン制作事業者として冒頭のようなデザインやPR動画、展示映像などの映像やパッケージ等のコンテンツ企画・制作等も行っている。実は、筆者が同社と関わりを持ったきっかけもこの地域デザイン事業からだった。
大学運営と地域支援という二面性を持つ同社の強みは、学生連携と地域密着の強さだと感じる。知多半島という地域に大学があることは、この地域の一つの資源である。また、日本福祉大学自体も知多半島全体をキャンパスとして捉えており、そこに通う学生は知識を学ぶだけでなく、地域とのつながりも得ることができる。一企業として、【地域・学生・企業】と連携ができることは同社の大きな特長だ。中村氏も、これからの同社の取り組みの中でも、地域支援事業を拡充していきたいと考えている。同社の持つノウハウや学生連携の付加価値を使って、地域や企業の課題を解決していきたいと話された。
企業が抱える悩みは様々である。その企業が得意とする分野以外で悩まれていることはないだろうか。例えば、障がい者就労に関すること。法定雇用率をクリアすればよい、ということではなく、誰もが働きやすい職場にするための職場環境整備を促進するなど、ふくしの専門家だからこそできる提案がある。『餅は餅屋』ではないが、少しでも企業・地域の課題が解決できるよう、同社ならではの支援があるので、ぜひ一度相談してみてほしい。
お話を伺った中村氏は、実は日本福祉大学の卒業生だった。一般企業での勤務を経験し、縁あって同大学の職員として入職、その後、株式会社エヌ・エフ・ユーの立ち上げに関わり、現在に至る。人生のほとんどを学生と共に過ごしており、今現在もラグビー部の部長として関わっている。日々、学生と接点を持つ中で、地域が学生を育ててくれるとも感じているそうだ。その地域にはもちろん企業も含まれており、その橋渡しの役割を担えるのが株式会社エヌ・エフ・ユーだと考えている。
大学運営から始まった同社は、来年設立30周年を迎える。地域・社会のパートナーを目指して、学生も、地域も『しあわせ』となれる取り組みを進める同社のこれからを見ていきたい。 (取材:濱島千尋)
<会社概要>
【住所】半田市宮路町533 イチノビル2F 【代表】岡崎 真芳
【創業】平成6年11月 【TEL】21-0560
【HP】https://www.nfu.co.jp/
会員訪問NO.485 Kurasot(t くらそっと) ユウナル東海店カフェ入口
Kurasot(t くらそっと)半田店
【住所】半田市南末広町120-9(半田ビル1F)
Kurasot(t くらそっと)ユウナル東海店
【住所】東海市大田町下浜田137(ユウナル東海1F)