半田商工会議所 THE HANDA CHAMBER OF COMMERCE & INDUSTRY

会員トピックス
全てのトピックス

半田商工会議所 THE HANDA CHAMBER OF COMMERCE & INDUSTRY

会員トピックス
全てのトピックス

立ち位置の重要性を学ぶ

2023年7月28日(金)

株式会社大清工務店 代表取締役社長 近藤 勝美 氏

 人生は選択の連続で、あの時のこの選択があって、がある。サーフィンを一生やっていこうとオーストラリアに行くばかりになっていた時に、結婚という第二の人生を選択した。アルバイト先で出会った夫人は、建築会社のご息女で3人姉妹の長女。夫人の背景を考えつつ、出勤前に海でサーフィンを楽しみ会社で現場監督として働き仕事に邁進した。
「結婚して2年後、義父(現会長)に仕事を手伝ってくれと言われ当社に入社したのと同時に、半田青年会議所(以下JC)OBの義父
に勧められ、JCに入会しました。私は名古屋生まれの名古屋育ち、地元とは縁がなく同世代とのネットワークを構築したいと入会し、多くのことを学びました。膨大な時間を使いましたが、何ものにも代え難い貴重な経験をさせていただきました。今の考え方や生き方をしているのも、JCに入会したからこそと勧めてくれた義父に感謝しています」
 様々な貴重な経験の中には、胃が痛くなるような日々もあったと振り返る。特に2014年理事長に就いた年は半田JC発足50周年の節目の年であり、日本JCの事業(世界の約70か国のメンバーが1週間の研修プログラムに参加)を主管する一大事業が控えていた。世界のJCは4つのエリアに分かれるが、その各エリアに大会PRのために赴いた。道中スピードラーニングを聴き発音を確認しながら、与えられた3分間でPRに臨んだ。7月に国内外140名ほどのメンバーが知多半島各所に集い、9月に周年事業という息つく暇もないほどのスケジュールをこなしてきたが、その間の記憶が全くないほどと語る。
 「私はメンタルが強いと思われているようですが、そうでもないのですよ(笑)。理事長時代は私はその場に行って挨拶をするという役割でしたが、現場のメンバーは本当に大変だったと思っています。それらの経験から、どんな難題にも対処できるようになり、自分の置かれている状況を的確に把握する必要性を学びました。今、自分はどういう立ち位置にいるかと確認し、その状況の中でどう動くかと常に自問自答をしています。また、人としての礼儀や思いやりを持ち、相手の立場に立った考え、偽りのない生活をしていれば、間違った方向には行かないと確信しました。私自身が営業活動にはそんなに熱心な方ではありませんが(笑)、そういう想いから自然に営業につながったということが幾度もあります」
 2017年、現職に就任した時も、先ず立ち位置を考えた。同社は初代の『大工の清治さん』が『大清工務店』を創業した。初代は現場、先代は営業畑、3代目として両方に関わる立ち位置にあると考えているが、営業的な動きの方が多いと顧みる。現場に出たい、そういう気持ちを抑えながら、業界や地域等に請われて多忙な日々を送る。
「JC時代に返事は“ハイ“イエス”と育てられましたので(笑)、頼まれごとは可能な限り引き受けてきました。『頼まれごとは試されごと』です。困っているなら協力したいと思うのは人の道だと思っています。私は長いものには巻かれてきて(笑)、体育会系なので、頭より体を使ってきました。出来る、出来ないということは別にして、先ずはそこに行って動くということを大切にしてきました」
 反面、自身が潰れないためには、時には依頼話が来ないように立ち振る舞うようにすることも必要だと思ったときもあった。だが、現実には断ることを良しとせず、今年の10月28日・29日両日に開催される『第九回はんだ山車まつり』でも重責を担っている。先輩JCが始めたはんだ山車まつりを守り伝える『半田山車祭り保存会』に事務局の一員として、当たり前のように誘われた。前回から本格的に関わり、今回の祭りでは要となる運行警備部長として運行ルートや警備計画の調整に飛び回っている。日夜あちこちの地区や保存会での話し合いが続き、それぞれの課題にぶつかることも多く、JC卒業後以来は遠ざかっていた胃痛が久しぶりに訪れたと苦笑する。
 「周りの人に支えられ、育てられてきました。今も半田ロータリークラブで、諸先輩方の教えを請いながら、週に一回の例会に出席しています。人に恵まれ、運の良い人生を歩んでいると思います。家内も一昨年、宅地建物取引士の資格を取り、グループ会社(セイワハウス)で働き、会社を育てるために二人三脚の日々を送っています。私の最大の任務は次代に繋ぐことだと肝に銘じています。『継続は力なり』と言いますが、本当にその通りで、続けることも大変なことですが、どれだけ繁栄した状況で次代に繋いでいくのか。それが重要なことだと思っています」
 自らに課した次代への継承、これまでの人生の選択の集約であり、立ち位置を自問自答した答えであるようだ。

●ちょっと一息●

「地域とつながろうと同年会に参加しました。その後、息子が地域の祭り『大獅子・小獅子の舞』で『ささら摺りの童子』をお受けしたので祭りに参加し、祭りは見るものから参加するものへと変わりました。それまでは酒が飲めない私は『祭りをやらないか?』と声がかかる度に、いつも逃げ回っていました(笑)。外から入った私は寄付集めや警備などの裏方の仕事に徹していましたが、そんな私に42歳の時に神祭長の役が回ってきました。小さい頃から祭りに親しみ祭りを熟知している同年の中で、お引き受けするのを固辞していましたが『勝ちゃんを支えるで、やってくれ!』という声に押されてその大役をお受けすることにしました。その年は長男はささら童子(長男・二男で6年間ささら童子をお受けしました)で、親子揃って祭りに参加した良い思い出です。
 一生続けていこうと思っていたサーフィンはJCに入会してから遠ざかっています。結婚記念日を刻んだサーフボードは青春の思い出と共に、今も床の間に鎮座しています」

1976年名古屋市生まれ、半田市在住。99年愛知工業大学土木工学科卒業。土木会社を経て、2007年同社に入社。17年現職。当所議員・建設部会長。



明日を見つめて今全力

2023年7月28日(金)

東海樹脂工業(株)東海隆彦さん 

明日を見つめて今全力


 父親(現会長)の『後継者は長男、二男は会社に関わらない』という意向に従い、僕は大好きな車の仕事をしようと修理や販売、店長として働いていました。今も隙あれば車屋をやりたいと思っています(笑)。5年くらい前に会社を継いだ兄からの要請でサラリーマンを辞めて当社に入社しました。労務や経理、人事を担当しましたが、経験のない分野で戸惑うことも多く、社業とはいえその頃はちょっと辛かったですね。
 当社はアルゴン溶接等アルミ加工を得意とし、創業当初から車のガラスの精度等をチェックする検査機器を製作し、樹脂型検査ゲージ、検査治具の製作等を業務としています。中でも40年以上、お客様の製品の品質向上に貢献させていただいている特許取得の自社センサーを取り付けた樹脂型検査ゲージ製作は、当社の大きな武器の一つです。2016年にドイツの工作機械メーカー『FOOKE』からアジアでの拠点を作りたいと声がかかり、業務委託を締結しました。現在国内で3台あるこの5軸加工機『ENDURA』はプログラミング次第で、自動車、船舶、鉄道、航空、宇宙どの分野にも対応でき、用途に応じた使い方ができます。人が何十時間もかかる作業を短時間で、加工面も極めて精緻な仕上がりとなり、今業界に求められる『意匠面の厳密な再現』に対しても目覚ましい効果を発揮します。新規事業として、この加工機の販売とメンテナンスを請負っています。僕が所属している総務部ではDXの導入により業務の効率化を図り、手持ち無沙汰になったので(笑)、その分営業に力を注ぎ始め、攻めの営業活動をしていこうと思っています。 
 この加工機の定期点検・メンテナンスは当社でしか請け負えないという武器を活かして商圏は日本全国です。社員は何ヶ月もドイツに行き、その技術を学び100%サポートが可能です。販売後の定期メンテナンスや不慮のトラブルが起きた場合には、その会社と当社をつなぎ遠隔操作で解決する方法も考えています。また、交換部品も当社がFOOKEから仕入れ、お客様に販売する商社のような役割を果たせたらとも思っています。そしてメンテナンス等に関わる、オペレーターを養成する学校を作れたらいいなとも夢見ています。
 2019年には生産工程における品質管理の最適化を図るため、ドイツに拠点を構えるLED外観検査機メーカー『Oligo』と業務提携をしました。社内に2社の製品のデモセンターを併設し、購入を検討される方に実際にその製品を見て試していただいています。それぞれの担当者は日々追われています。アジアの拠点作りというご縁をFOOKEからいただいた当社は、アジアへ、そして世界へと進出しようとしています。その夢が実現したら楽しいですね。
 この製品の素晴らしさを多くの方に知っていただくこと、それが僕の仕事と思っています。それと同列にするのも変かもしれませんが、僕は青年部の魅力を伝えていくことも、僕の役目かなとも考えています。 
 社業に入社したのと同時に、同級生の誘いを断りきれずに青年部に入会しました。会員50名増強の年で、その委員会に入ってしまい(笑)、先輩委員にお供して話を聞いているうちに友達も増えて楽しくなっていきました。紹介者の彼の顔を立てようと全行事に参加し、入会初年度には『新人賞』をいただきました。翌年は『MVP』を狙ったのですが、獲得に至らず涙を飲みました(笑)。青年部に入ったお陰で仲間からの声掛けもあり、『異業種交流展示会メッセナゴヤ』や『アライアンスパートナー発掘市』にも出展し、当社のPRをする機会をいただきました。青年部入会前はどこの経済団体との付き合いもなく、また当社の製品が一般消費者と直結していないので、ある意味謎の会社でしたが(笑)、少しは認知されたのでしょうか(笑)。県の連合会、東海ブロックに参加すると、当社を知っているメンバーとお会いすることもあり、青年部の繋がりの広さを感じています。僕は青年部に入会して友達も多くなり、様々な情報も入り、人生が豊かになりました。出席を渋っているメンバーや、これから入会を検討している方々に、青年部の魅力や楽しさを発信していこうと思っています。それが僕にできる青年部へのお返しかなと・・・。
 5軸加工機『ENDURA』の営業活動が軌道に乗ったら、夢の実現に向けて動き出そうと考えています。業界の研修で『今後は一企業で7事業を持っていないと生き残れない』という話を聞きました。7つとは言わなくとも、3つ4つの事業は必要かなと考えています。青年部メンバーと一緒に新事業を興すのも夢の一つです。
 仕事、青年部活動、趣味のジェットスキー、食べ歩きとスケジュール表に予定はビッシリで、ゆっくりする暇もありません。でもこうして動いていることに幸せを感じています。28歳の時、首のヘルニアで生死の境を彷徨いました。それからは、動けるうちは動かないともったいないと、家が好きだった僕は外へ出て行くようになりました。食べ物の好き嫌いをしていたらバチが当たると今は好き嫌いは一切ありません。 
 『明日を見つめて今全力』父が創業以来、経営理念としてきた言葉です。僕もその言葉を噛み締めながら、公私共に今日も明日も全力です。
 

■知多郡武豊町字前田34  ■TEL.73ー5101



~すべてのお客様の為の一杯~

2023年7月3日(月)

(株)イート・アップ 味噌蔵 麺四朗


うだるような暑さに身体が慣れず、夏バテしている方も多い今日この頃だが、「医者に金を払うよりも、みそ屋に払え」ということわざを知っているだろうか。これは江戸時代によく言われた言葉だが、現代においても味噌は人間の身体に対して健康に良い様々な効果があると言われている。今回は、そんな味噌にこだわり知多半島と三河を中心に味噌ラーメン専門店4店舗を展開する、(株)イート・アップの代表である杉浦淳一氏に話を伺った。
 スマートな立ち居振る舞いで穏やかな空気を醸し出す杉浦氏は、いわゆる“ラーメン屋の大将”という雰囲気を感じさせない。「実は麺四朗は、父親が個人事業主として2006年にオープンさせた知多店が始まりなんです。自分は20歳の頃から13年間は建設会社に勤めており、図面を描いたり施工管理を行っていました」
 2012年に半田市有楽町に2号店となる半田店がオープンし、事業が拡大してきた矢先の2014年、父親から麺四朗への入社を初めて打診された。「今思えば、自身の引き際を考え始めていたのかも知れません。私自身もこれまでに経験の無い飲食業でやっていけるのかという葛藤もありましたが、一念発起して2014年6月に入社しました」
 最初は飲食店の基本である洗い場から、パート・アルバイト従業員に仕事を教えてもらう日々が続いた。代表者の息子という周りからの視線もプレッシャーに感じつつ、仕事を覚えて信頼を勝ち取るまでは何も出来ず悔しかったと言う。その後も、既存の社員と意見が衝突するなど上手くいかないことも多々あったが、経営者の学びの場に積極的に出ていくなどして自身を磨き続けた。2018年頃には、プレイヤーからマネジメント業へシフトを図り、父親と経営について話すことが多くなった。2019年末から、会社設立と代表者交代について具体的に進めていく中では、父親との意思疎通が上手くいかないこともあったが、自身が入社した時の気持ちを改めて思い出し、2020年4月に(株)イート・アップを設立。社名は直訳すると「食べつくす・平らげる」という意味で、現業態の麺四朗だけに留まらず、他の飲食にも展開出来るようにと名付けた。
 経営理念の【すべてのお客様の為の一杯、そこから生まれるスタッフ皆の幸せ】には、初心を忘れないように創業者である父親の口癖から一部を取り入れた。今では会議資料のヘッダーに記載したり、定期的な社員面談の際にもしっかりと確認し、意識の共有を図っている。意識だけでなく理念の実現のための指針書も作成し、お客様と直接触れ合うスタッフが具体的に実践出来るように工夫している。
 また、経営者として、トヨタ自動車の豊田章男社長(当時) も会議で用いた「ボスになるな、リーダーになれ」という言葉を大事にしている。これは自身の過去の経験からも学んでいたことであり、社員のやる気を引き出すコーチングを意識している。因果関係があるかは分からないが、「社員が良く笑う店舗は売上が上がる」ということを事実として捉えているそうだ。
 最後に今後の展望を伺うと、次のように答えてくれた。「知多半島では『味噌蔵 麺四朗』の知名度は伸びてきたが、三河ではまだまだ低いと感じる。これまでは父親が一杯のラーメンから作ってくれた線路に乗っかっているだけだったが、今後は自分が作った新しい線路で、社員やスタッフ皆を幸せにするために引っ張っていきたい」こう話す杉浦氏の優しい笑顔からは、出来たてのラーメンよりも熱い想いが伝わってきた。 (取材:齋田哲資)             

【住所】半田市有楽町5-155-1(半田店)  【代表】杉浦淳一
【営業時間】(月・水~金)11:00~14:30、17:00~23:00
  (土日・祝)11:00~15:00、 17:00~23:00 ※日曜日22:00
【定休日】毎週火曜日  【TEL】89-0117(半田店)



モノを売ることは人を売ること

2023年7月3日(月)

名古屋銀行半田支店 支店長   山口 秀樹 氏

 入行当初は口数は少なく、人見知りだったと、笑顔を絶やさず軽快な口調で語る。商いをしていた父君の懐に入り仲良く話す銀行員の姿に憧れ、地元に密着しながら貢献したいと同行に入行した。内勤を経て3年目に渉外担当となり、新規開拓の任務が下った。
 「訪問先のインターフォンを押したものの、どう話そうか?自信がなく立ち止まり引き返す日もあり、このまま勤めることが不安でした。最初の勤務地の瀬戸支店は『信用金庫』が地元に根付き、お客様と友達のように接する信金の方を羨ましく見ていました。時は転職率も高いバブル期、私も辞めようと上司に相談したら『楽しいこと、面白い仕事もあるから続けてみなさい』と説得されました。高校・大学時代はラグビーをやり、人とのつながりを大切にしていましたが、いつの間にか人と対等に話すイメージが描けなくなってしまって・・。鍛錬して慣れよう、やるしかないと言い聞かせ、試練の日々(笑)が始まりました」  
それぞれの勤務地で自身に叱咤激励しながら働き、2000年に精鋭陣が勤務する異色の店舗、大阪支店への異動になった。そこで働くことに躊躇したが、赴任後は見るもの聞くもの新鮮で触発されることが多く、水を得た魚のようだった。名古屋銀行という社名は所在が明確であり、訪問先に安心感を与えた。
 「大阪は名古屋と比べると何十倍もの企業があり、有名企業も多くあります。取引を始めるのは難しいかもしれないが、大阪に来た記念に(笑)、大企業の門を叩きました。企業の規模に関係なく商談するのは1対1であり、様々な業種を訪れれば広く学ぶことも出来、色々な情報もいただけました。度胸が付き、どんな会社へも飛び込みで行けるようになり、いつの間にか性格が変わったように思います。『やらされている』から、『考えてやらなければ成長はない』と実感するようになったのも、この大阪時代からです。『地位は人を作る』という言葉に納得したのも、この時期でした」  
仲間からも大いに触発された。一人一人が個人事業主のような熾烈な競争を繰り広げる職場であったが、営業成績を上げるという同じ目標に向かって進んだ。出始めたWindows95にも挑戦し、仲間の話し方、接し方を見本とした。そして営業手腕に王道はなく、自身のやり方が大切であり、『モノを売ることは人を売ること』という想いに到達した。本来持ち合わせていた『笑顔』は、初対面のお客様にも、好印象を与えたようで、大きな武器となった。
 「以後、愛知県内の色々な支店や本店に勤務し、2010年に島田支店の支店長になりました。私の入行当時は多くの行員の最終目標は支店長でした。私もそうでしたので、目標を達成した時は嬉しかったのですが、今は世の中の考え方が少しずつ変わってきているのではないかと思っています。預かり資産、相続相談、法人業務など、その道に特化したスペシャリストの道を最終目標とすることも、銀行員としての一つの生き方だと思っています」  
 2022年8月、支店長として6店舗目の半田支店に赴任した。働きやすい職場環境を作ることを第一とし、行員満足度を上げることが、ひいてはお客様のためになると断言する。業界を取り巻く環境や商品は、常に新しい時代の対応が求められている昨今である。一緒にゴルフをしたり酒を飲めばお客様の懐に入れた時代もあったようだが、今はお客様の求めている情報を的確に提供することが最たる仕事になっているようだ。以前は資格取得のための勉強、今は情報提供のための勉強と、勉強一つを取っても大きな差異が生じている。学びが仕事と直結し、気の抜けない時間を過ごさざるを得ない状況の中で、行員満足度を高めることの課題も多い。
 「電子マネーやキャッシュレス時代になり、いずれかは対面での仕事はなくなるかもしれませんが、最終的には人と人とのつながりが大切で、以前より感じている『モノを売ることは人を売ること』に尽きると思っています。ただ、若者のコミュ二ケーション手段がSNSやブログなどが主流となっているためか、顔を合わせての言葉でのやりとりは苦手かなと感じることはあります。若い行員に近づきたいと1歩歩み寄ると、2歩後退されている(笑)、と感じてしまうことはあります。世代間を埋める特効薬は見つからず、色々と模索中です」  
 若者の離職率も高い今、かつての自分が辞めようと思った時の姿を重ねる。その時に上司からかけられた言葉『名古屋銀行の仕事は楽しいよ。面白いよ』そういう想いを持ってもらえるような人材育成をすることが『最後の恩返し』であり、支店長の使命であると語る。振り返れば新入社員の頃、血気盛んだった頃、色々な悩みや苦しみ、愚痴をこぼす日もあった。だが入行36年目を迎えた今思うのは、口数は少なく、人見知りで、自信も持てなかった氏を、社会人として育ててくれた同行には感謝の念が尽きないと言う。
名古屋銀行を愛する人の真の言葉であろう。

●ちょっと一息●
「家内の実家、常滑市に住んでいます。最初は潮の香りが気になりましたが、今ではすっかり慣れ、町代をやらせていただき祭りの打ち上げにも参加し、住めば都という言葉を実感しています。電車での通勤時間1時間をフルに楽しんで、途中下車してはあちこちで飲み歩いていました。名古屋銀行は何かと理由を見つけて飲む文化があって(笑)、どっぷりとその中に浸かって楽しんでいました。今は飲むと翌朝は起きるのが辛いと感じることがありますが、飲んだら酔っ払わないといけないと思って(笑)、今日も頑張っています(笑)。  
 1歳になった孫がいます。男の人に懐かない子だったのですが、最近私と二人でいても泣かなくなったので、だんだん可愛くなって来ました(笑)。6月生まれの孫と私、一緒に誕生日祝いをしました。57歳違いの仲良しの二人です(笑)」

1965年名古屋市生まれ、常滑市在住。88年愛知大学経済学部卒業。同年名古屋銀行に入行し瀬戸支店勤務。93年小牧支店、2000年大阪支店、中村支店課長、守山支店副支店長、本部営業統括部、島田・蟹江・枇杷島通・刈谷・津島支店長、本部法人営業部を経て、22年現職。当所議員。



「自信と信頼」人材のプロとして幅広い挑戦

2023年7月3日(月)

(株)ジェイワークス  中島真帆さん

今、こうしてここで働いている。それが一番の喜びであり、楽しみです。ここに辿り着くまで色んなことがありました。徳島の大学の教育学部で学んでいるうち、外国の人たちと関わる仕事をしたいと夢みて、「日本語教師になろう!」と考えるようになりました。で
も、「それでは食べていけない」という現実を知り、当時日本で外国籍の子どもが一番多く住んでいた愛知県で教師の道に進みました。ですが7年ほど勤めた時に「夢はどうなったの?このままでいいの?」と思ってしまったんですね。それで勢いで留学をしました。そのときはベトナム語を話す人も少なく、日本人がベトナム語喋ってたらなんか面白そう、食べ物も美味しいし・・とベトナムにいきました。
 調子よくベトナム語を学んでいたところ、コロナ禍に見舞われ緊急帰国しました。言葉だけでなく、人柄も国もまるごと好きになったベトナム。せっかく勉強してベトナム語を身につけたんだからと、役所で通訳などをしていたのですが、やっぱりどうしてもベトナムに行きたくて、何とか渡航した途端、またしてもコロナ禍の影響で立ち行かなくなってしまいました。ロックダウンで外出も禁じられるベトナムの街。外国の地で生きるということの意味を考えさせられた出来事でした。帰国を余儀なくされる中、日本でベトナム語を使う仕事をインターネットで探す日々でした。ただ、「ベトナム語を話す日本人が少ない」ということが裏目に出てしまい、ほとんどの会社では面接すら通らず…。そんな時に『ベトナム語を話す日本人なんて見たことないから面白そう』という当社に面接をしていただきました。面接官だった今の上司には感謝です。私の恩人です。その面接日が今思えば、人生のターニングポイントでした。
 ここに入社してまだ数年ですが、『私たちは、「いろいろなハ・タ・ラ・ク」を通して、互いを認め合い、人として成長し、自己実現を目指します』『私たちは、素直な心で対応し、豊かな創造性で、広く、永く、発展していきます』という経営理念の本当の意味について、少しずつ嚙みしめるようになってきました。弊社は人材派遣、海外からの特定技能の方や技能実習生のお世話、飲食業・介護施設の運営、求人媒体「専門生ナビ」の発行…と仕事は多岐にわたっていますが、根本にあるのは『ひと』です。スキルは経験でカバー出来ますが、一緒に働く人とはパートナーでありたいと思っています。この会社が「あなたがいてくれてうれしい」とお互いを認め合い、働く人の自己実現をサポートできる存在でありたいと思っています。
 経営理念に『広く』という言葉があるように、日本のみならず、東南アジアをはじめとした外国人の方の採用も積極的に行っています。外国の方は初めて来日される方も多く、そんな時には安全に安心して生活していただくために物心両面の支援が必要です。彼らが働く現場に顔を出して世間話をしに行ったり、一緒にご飯を食べたりすることも多いです。通訳、としてではなく、時には友達のように、素直な心で大笑いしたり一緒に悩んだりすることで、私という人間を知っていただくよう心がけています。
 経営理念「いろいろな『ハ・タ・ラ・ク』」「豊かな創造性」のキーワードのもと、やってみよう!と立ち上げた新規事業が『専門生ナビ』の創刊(29社掲載、県下160校の専門学校に配布、年1回発行)です。「求人票だけでは見えてこない、本当の企業らしさをアピールできる媒体をつくりたい」という想いのもと、愛知県内の人材を永く育てて伸ばしたい素晴らしい会社と、夢に向かって一生懸命な専門学生をつなげる媒体として、取材も編集も私たちでゼロから制作をはじめました。全くの未経験な分野だったこともあり『産みの苦しみ』を鮮烈に味わいましたが、2022年10月にプレ号を発行しました。就活の時期とズレてしまったなあと心配したのですが、昨年度、会社合同説明会も3回開催しました。このプレ号の配布・合同企業説明会から縁があり、掲載企業への内定を得た学生さんがいらっしゃったことが本当に嬉しかったです。私たちの媒体の目指す方向性が間違ってなかったんだ、という安堵と自信、学生さんと企業の新しいスタートに立ち会えた喜びが入り混じったあの感覚のことは、おそらく一生忘れません。
 創刊号は6月に発行しました(53社掲載)。学校との結びつきも強くなって、すでに合同説明会の開催も決定しています。掲載企業さんに出向いて取材や撮影を自分たちで行うことで、その企業さんのことをより深く知ることができます。だからこそ1社1社すべてに思い入れがありますし、どの企業さんのことも学生さんに自信をもっておすすめできます。学生さんに自分たちの言葉で企業をアピールできるのも他にはない強みだなと。媒体を通して学生さんが「知らなかった世界」とつながるだけでなく、お客さま同士がつながり、学校からのアイデアがそこに絡まり、新たな事業が始まっていく…そんな場面も何度か見て来ました。媒体が他の側面で化学反応を見せてくれる愉しみも感じています。何と言ってもまだ生まれたばかりの媒体です。地元のお客さまや学生を巻き込んで、試行錯誤しながら大切に育てていきたい、私にとってわが子のような存在です(笑)
 人材派遣から媒体作成まで、とにかく色んなことに挑戦させてくれます。わくわくする瞬間に満ちた会社だと思います。何事も中途半端で、それゆえに自信がなくてあれやこれや模索し続けていた私を仲間として受け入れ、少しずつ認めてくださった当社に、少しでも恩返しがしたい一心で仕事に熱中する日々です。『人材の会社で知多半島No.1になること』『一緒に働く人たちがいつか故郷で活躍すること』が私の密かな夢です。私にとって仕事は人生そのもの。生きることは仕事をすること。そんな風に思える魅力的な
仕事に出会えて、なんだかんだラッキーな人生を歩んでいると思っています。周りの皆さんに感謝です。

■半田市岩滑中町4ー73‒1 シャインステイビル NO.2 301号室 ■TEL.26ー7543