2023年6月1日(木)
「人の笑顔が好き」そう語るのは店主の山田晃さん。今回は地元半田で親子2代、50年にわたり地域の皆さんに愛され続ける中華料理屋「一品香」のご紹介。
元々は父親である先代がラーメン屋として開業したのがはじまり。高校卒業後に5年間名古屋の中華料理屋で修行していた晃さんが、父から「一緒にやらないか」と誘われたのがきっかけで中華料理屋としてリニューアルし、現在に至っている。
老舗の二代目である山田さんにオススメの一品を尋ねると、「オススメは全部だけど、まあ強いて言うなら僕とのおしゃべりかな。あと・山田さんじゃなく、マスターで(笑)」と、満面の笑みで茶目っ気たっぷりなご返答を頂く。味に自信がなければなかなか言えないセリフである。筆者も何度かこっそりランチで訪問させて頂いたが、確かに何を食べても絶品。プリプリとしたエビが7尾も入ったエビチリ、表面を香ばしく炙った肉厚のチャーシュー、モチモチとした食感の生地に包まれた肉汁たっぷりの焼売などなど、オススメは全部と言えるのも納得の味である。
そんな腕にも人にも味があるマスターをホールで支えるのは、若干40歳にして大番頭を任されている竹内一将さん。高校時代のアルバイト期間を含め、20年以上一品香でホールを担当しているベテランで、親しみやすい人柄と爽やかな笑顔で接客するだけでなく、一品香の魅力をより多くの人に知ってもらう為、YouTubeチャンネルの開設やホームページのリニューアルなど、多岐に渡る活躍を見せてい
る。マスター曰く、「竹内は一品香のブレーン」とのこと。そして竹内さんもまた「人の笑顔が好き」であり、マスターも自身と同じ気持ちを持つ竹内さんに絶大な信 頼を置いている。この二人を中心とした一品香に来店されるお客さんの顔を見ると、笑顔が絶えない。
今年の4月にリニューアルしたホームページの挨拶欄に、マスターである山田晃さんの熱い思いが書かれている。そこには「人の笑顔が好き、人を笑顔にするのも好き。“食”は人と人を繋ぐ架け橋。驚き・感動・喜び・そして笑顔。笑顔は私とお客様を幸せにする最高のmagic(魔法)。生きる喜び・食べる喜び・美味しいと感じる喜び、その瞬間に成るよう私にお任せください。最高な一日を提供します。」と書かれていた。・・
「自分の作った料理で人を笑顔にしたい」。あなたも命店一品香のmagicで笑顔になってみませんか。(取材:小林裕也)
※命店(食でお客様の健康と命を支えられる店)という想いが込められた言葉
【住所】半田市青山6-23-11
【代表】山田晃
【営業時間】ランチ 11:30~14:15(ラストオーダー13:45)
ディナー 17:00~22:00(ラストオーダー21:00)
【定休日】毎週水曜日
【TEL】22-8328
2023年6月1日(木)
ご縁を大切にしながら道を拓いてきた。就活時(1987年)、同社に勤める隣人から「これから伸びていく会社」と薦められた。同社は2代目にバトンを引き継ぐ時であり、若き社長の補佐役を求めていた。それまでは大手企業を視野に入れていたが、同社の方針や想いに触れ『歯車になるより、自らの手で事を成し遂げたい』と入社を決意した。
「若い会社(1960年創業)で、勢いがあり楽しく仕事ができる雰囲気でした。入社1年間は岡山工場で研修し、配属予定の関西営業
所が閉鎖したため、2年目からは本社(半田)で、社長の鞄持ちとしての日々が始まりました。仕入れ先のトップの方とお会いする機会も多く、『利は元にあり』という言葉通り、仕入れの重要さを実感しました。私は元々営業志望で、営業マンは売り上げが全てと考えていましたが、仕入れの大切さを理解し、『どのような営業マンになりたいか?』と様々なタイプの営業マンと接しながら、考え続けました」
辿り着いた先は、マニュアルに頼りきらず、相手と一緒に悩みながら課題を解決し相手の立場に立った、人間関係に重きを置く営業スタイルだった。社長にお供した4年間は、営業マンとしての心構え(相手の望むことは何か?)、仕事の楽しさなど、ビジネスの基本を学んだ貴重な時間だったと振り返る。岡山・関東営業所で営業マンとして飛び回り、岡山営業所長時代には全営業所売上1位の名古屋営業所を追い抜くことを目標として、その悲願を達成した。
「当社は業務用大型クラフト紙袋の製造・販売を主業務としています。この業界に限ったことではありませんが、同じような製品を作ることはどこの企業でも可能です。そこに品質、価格、そして営業力が加味されてお得意様となっていただけるのではないかと感じています。八方美人的かもしれませんが(笑)、どなたとでも気軽にお付き合いをしてきました。営業マンにとって必要な要素ではないかと思っています。今も各工場に行ったり、営業所の社員に同行しお得意様回りをしますが、動き回ることは私に合っています」
アンテナを張って磨いた会話力とその資質が味方した。生まれ持っての好奇心の旺盛さは、新しい職場、出張、出張の連続の激務もにならなかった。むしろ1ヶ所に長く勤務するより、次々と新しい土地で働くことが性に合っているようで、常に新しい出会いを求めた。知らない土地で仲間やお客様と話し、食べ、飲みながら和気藹々と過ごし、行く先々でのご縁がつながった。まさに人対人の付き合いだった。本社への2度目のご縁が始まったのは2015年。営業部長として着任し、翌年取締役営業本部長、そして昨年6月に現職に就いた。
「前任社長は若く、そのまま続行されると思っていましたので、昨年3月の突然の社長要請に戸惑いながらの就任でした。特に昨年は原材料の高騰により1年に2回の価格転嫁があり厳しい決算結果になりました。そんな中での就任でしたので、全国に挨拶回りに伺った時に、皆さんから『大変な時期に、ご愁傷さま』と言われることも多かったですね(笑)。就任後は前社長の方針を守ることが精一杯で、今振り返ってもこの1年間の記憶がないほどドタバタしていました。今、やっと気持ち的にも落ち着いたような気がしています」
2年目を迎えた今期は営業利益の黒字を第一目標に、営業畑で培ってきた人脈や知識を活かして新規開拓しシェアアップを図る。同時にコンプライアンスの徹底、安全(労災ゼロ)厳守、人材育成、生産面でのロス率の軽減と課題は山積している。
「営業畑を歩いてきて売ることが最優先で、経営や管理部門は門外漢でしたので、今は学ぶことばかりです。課題に追われる今、『経営者は孤独』という言葉が身に染みています。大好きなお酒を飲んでいる時も、仕事上の愚痴は言えませんからね(笑)。若い頃は飲みにいけば、仲間と一緒になって上司の愚痴を言ったりしてストレスを発散していました(笑)。楽しくいい時代でした。ただ私は、悩み続けているのではなく、やるしかないと、その辺りの切り替えは早い方だと思っています。一晩寝たら、心機一転ですね。また、一言の重みも実感しています。今までは多少の失言をしたとしても、背後の社長が支えてくれていました。でも今は私の一言は会社の言葉す。この1年間で、その責任の重さを痛感しました。話し好きの私も、少し無口になったのかもしれません(笑)」
人対人との付き合いを重要視し、自ら働きかけてきた。それは『よそ者だったからかもしれない』と自己分析する。勤務した岡山(大阪から西日本地区)関東営業所(北関東地区)は広域をエリアとし、文化、習慣、風習がそれぞれ大きく異なり、新天地に赴いた時には戸惑いもあっただろう。だからこそ、その土地の違いを積極的に楽しんだ。
「そこに長く住むか住まないかということではなく、その土地に住んでいる間はその時々を楽しく充実した時間にしてきました。よそ者意識を持っていたのでは何も始まりません。自ら人との出会いを求め、こちらから話しかけてきました。そうすると自然にご縁は始まり、つながっていきます。たまたま隣に座った人と仲良くなる。それもご縁だと思い、今を大切に生きていきたいと思っています」
●ちょっと一息●
「本社勤務になってからは単身生活が9年目を迎えました。一人でじっと部屋にいるのが苦手な私は、社内の単身仲間と定期的に旅行に行ったりしていた時期がありました。今はその仲間も散り散りになってしまい、家の近所で一人でブラっと行ける居酒屋を何軒か確保(?)し、飲み仲間も出来ました。『職業不詳の酒好きの親父』として通っていますが、社長就任時に、この『カイギショゲッポウ』で紹介していただき、身元がバレてしまったことがありました(笑)。
岡山に住む家族(夫人、二人の息子さん)の元に帰るのは月に一度ほど。この4月に初孫のお宮参りで岡山に帰り、親の務めを果たしてきました。8年も子どもと離れていると実感が湧かず、おじいちゃんになったと言われても不思議な感じです」
1964年兵庫県尼崎市生まれ、半田市在住。87年関西学院大学社会学部卒業。同年中部紙工(株)に入社し、岡山工場で研修。88年本社購買業務、92年岡山営業所、97年関東営業所営業課長、2001年岡山営業所長、15年本社営業部長、16年取締役営業本部長を経て、22年現職。当所議員。
2023年6月1日(木)
亨右さんと私それぞれが旅行会社と材木店の代表を務め、互いが両社に関わり二刀流です(笑)。20年前に亨右さんが旅行会社『ダイトウツアー』を創業し、私もサラリーマンを辞めて手伝い始め18年になります。4年前に材木店qをしていた父が急逝し、私が『大藤材木店』の6代目を継ぎました。その後コロナ禍になり旅行会社の仕事がなくなり、時間が出来ました。それで材木店の倉庫整理をしていたら、当時使っていたノコギリや、銘木といわれている木が出てきました。父は晩年常々『趣味、道楽、ボランティア』と言い放ち木に生きた人で、趣味で集めた貴重な磨き丸太や床柱も保有していたようです。住宅の洋風化でそういう材木を利用する機会もなくなってしまったので、商品の企画・販売のショップ『DaitoWoodWorks」を立ち上げました。「せっかくの銘木が勿体ないね」と言われることはありますが、使えるモノに変えていけば、身近においていただき、木の良さを知っていただけることにもなると思っています
二人とも木を扱ったことがなく、YouTubeや友人から教えてもらい機械の使い方から勉強しました。最初はトーチやまな板作りから始まり、インテリア、生活雑貨、キャンプ用品などアイテムも少しずつ増えてきました。木は一つとして同じ表情のものはありません。それぞれの良さを活かしたシンプルなデザインを心がけています。昔はまな板として使ったものを今はどう使うかなど、新しい木の使い方を提案しています。私たちの技術も上がってきて(笑)、「自分たちで作っているの?」と聞かれることもありますが、全て私たちの手が掛かっています。
2年くらい前からマルシェやイベントなどにも参加し、出店していると異業種の方達ともお会い出来、情報も入り仕事の幅も広がりました。最近はレーザー彫刻の看板や木に QRコードを彫刻した商品が好評です。商品は通販サイトでも販売しています。亨右さんは細かい作業をキレイにこなしますが、私は大雑把で「こんな感じかな?」と商品イメージを膨らませるなど、それぞれ得意分野が出てきて、新たな発見もあり面白いですね。得意なことは早く上手に出来るので、それに向いた人が担当していますが、嫌なことは押し付けあったりしています(笑)。
互いが会社の責任者なので、最終決定はそれぞれという線引きは出来ていますが、隣り合った両社間を行き来しながら午前は旅行、午後は材木店の仕事ということもあります。旅行と材木、業種は異なっていますが、『良いと思うものをお勧めする』『お客様のニーズにお応えし、個性的なものを提供』というコンセプトを共有しています。私は飛行機に乗ってみたいという想いから旅行会社に勤務し、日本全国、諸外国を周り、『ダイトウツアー』として団体旅行やオーダーメイドの旅行をお受けしています。営業は主に私、コース作り、見積もりなどは主にそのさんが担当し、最初の相談から添乗まで全ての責任を持ってやらせていただいています。今はインターネットで簡単に旅行の申込が出来る時代になりましたが、お客様が本当は何を求めているか?そこを大事にしたいので、お客様とのコミュニケーションを大切にしています。
私も添乗業務にご指名をいただけるようになりました。でもやはり旅行業界に長い経験者の亨右さんの的確な判断力や会話力、出会った頃の走り回っている人という印象通り、フットワークの軽さには敵いません。旅行に関わる人としてピッタリの要素を持っている人ですね。だから仕事が好きで、家族旅行も話題のスポットや気になる旅館やホテルに泊まり、旅行の下見のようです(笑)。
自分の目で見て肌で感じることが重要で、既存のお客様を大切にすることを心がけてきました。「良かったよ。次はどこがお勧め?」と声をかけて下さるリピーターの方も多く嬉しい限りです。義父の知り合いに当社を利用していただいたりして『大藤(ダイトウ)』という名前に助けられているとつくづく感じています。
老舗材木店が時代に合った新しい木の使い方を提案する店として新聞やテレビに紹介されたら、「あの大藤材木さんが新しいことをやり始めたの?お父さんはいい人で、よくお世話になったよ。頑張ってね!」と皆さんから励ましの声をいただきました。父も『大藤』という名前が残ったら嬉しいと言っていましたので、私も少し親孝行をした気分になっています。その名に恥じないような仕事をして行きたいと思っています。
小澤亨右さん そのさん
■武豊町字小迎200 ■72ー8803
2023年5月24日(水)
「『失敗も成功も自分のモノ』という世界で、やりたいことをしたい」そう決意した代表の冨田氏が、20数年続けたサラリーマン生活に終止符を打ち、【麺屋春花】は始まった。
冨田氏は、学生時代にアルバイト先の飲食店で調理全般を任され、そこで調理の楽しさを知った。「自分でなにかを始めるなら、飲食店がいい」と思うのは自然な流れだった。ラーメン屋をしたいと決めてからは、泊まり込みのラーメンスクールに参加し、知識や技術などノウハウを学ぶ中で、自分の目指すラーメンの方向性を固めたという。様々なご縁にも恵まれ、2020年4月に無事開店。新型コロナウイルス感染症による第1回目緊急事態宣言の最中のことであった。
開店当時は、1日限定30食・昼のみの営業に絞り、使い捨てのレンゲや箸を用意するなどイレギュラーな対応で始まった。ただ、冨田氏は「限定数での営業は、開店直後の慣れない期間に良い慣らしにもなった。時短営業の協力金が貰えたことは収益の助けとなったし、今となってはコロナ禍で開店したことは良いタイミングだったと思う」とポジティブに語る。
麺屋春花は、想いとこだわりが詰まった店である。アメリカントレーラーハウスを改装した店舗は、「ラーメン屋らしくないラーメン屋」・「女性でも1人で入りやすいカジュアルな店」を目指しているとの言葉通り、まるでカフェのような外観と内装となっている。ラーメンは全て、無添加にこだわり「淡麗&ヘルシー」なカラダに優しいラーメン。厳選した小麦粉による自家製麺は、気温や湿度によって加水率を微調整して作られ、小麦の香りを味わえる細麺である。イチオシは「特製海老花麺ミニ鉄鍋雑炊セット」。天日干しで丁寧に作られた由比桜海老は味が凝縮され、香りが他とは一線を画す。
そんな桜海老の香りが広がる海老花麺を楽しんだ後、〆の雑炊を鉄鍋という熱々の器で再加熱することによって、海老の香ばしさが復活し、最後まで
海老を堪能出来る。よって、海老花麺の雑炊がセットになっているわけが納特製海老花麵ミニ鉄鍋雑炊セット得できる。
また、海老花麺に関わらず、麺屋春花のメニューは、素材・スープ・麺…全てにこだわった、妥協のない繊細な味である。「ラーメンは、ただ味が濃ければ良いというものではない」そう語りかけられるような気分になる。一般的なラーメン屋のイメージとは異なるこの店は、今後洋風系のテイストも展開予定だそう。
【麺屋春花】という名前は、物事のスタートを連想させる「春」を由来にしているとのこと。筆者は、心が落ち着くような…新しいものに何かワクワク
するような…そんな「春」のような気持ちにさせてくれる空間とラーメンにピッタリの名前だと感じた。そして、長く続いたコロナ禍という冬の時代は終わりに近付き、これから「春」が訪れることを期待するばかりである。(取材:大島菜乃)
【住所】半田市住吉町7-13 【代表】冨田 一
【開店】2020年4月
【営業時間】
[火水木]11:30~14:00[金]11:30~14:00/18:00~21:30[土]11:00~14:00/18:00~21:30[日]11:00~14:00/18:00~21:00
【定休日】月曜日
【TEL】 090-6085-1515
【HP】 https://menyaharuka.com/
2023年5月24日(水)
『子曰く、四十にして惑わず、五十にして天命を知る』。論語の一節に例え、56歳になった今、まだ天命を知るべくもないが、惑わずこのバス業界でお役に立とうと決意したのは12年前だったと振り返る。『電鉄はいいよ』という先輩の言葉と地元で働きたいという思いで名古屋鉄道に入社。時はバブル期、総合職の同期入社は80数名という異例の大量採用時だった。「何となく、ホワ~ンと入社しました」と笑う。
「入社4年後の1995年、グループの遊覧船事業である日本ライン観光に配属されました。安近短がもてはやされた時代、木曽川を下る
『日本ライン下り』の乗船料は3,400円と高額なため、集客に苦労していました。足繫く訪問しても成果が出ず、コースを組む提案型の営業をはじめました。周りから売れないと反対される中でも、上司からは理解してもらい、ヒット商品につながりました」
今でこそ当たり前になっている取り組みであるが、当時は全く新しい発想だった。自社の施設だけでなく、地元施設、周辺の見どころ、季節の商材等を絡ませ、地域一帯を巡る旅だった。鵜飼いもセットし季節は限定されたものの、初年度には1,000人が楽しんだ。負けず嫌いで、数字や結果にはとことんこだわり、成果を出すために常に真摯に取り組んだ。今もその姿勢は変わらない。
「2000年に名鉄本社の自動車企画管理部に配属となり、それ以降バス業界に関わっています。宮城交通に転勤し、運輸営業の部長として会社の再建に取り組んでいた2011年に、東日本大震災に遭いました。帰宅困難者の輸送を最優先にし、震災当日の深夜に臨時バスを出発させました。家族が行方不明の従業員、私は単身赴任で家族は安全地帯にいる、そんな後ろめたさを感じながら、震災後も欠かさずバスを走らせ続けました」
刻々と変わる状況の中で3~4日ごとにダイヤ改正をし、バス停の時刻表入れ替えの手伝いもした。ある日、いつ来るか分からないバスをポツンと待つ高齢者と出会った。高齢者は涙ながらに『宮交さん、本当にありがとうね。こんな時にバスを走らせてくれてありがとう』と声をかけてくれた。その言葉に震撼し44歳だったその時、惑わずこの道を進もうと決意した。今までは予算を達成したとかICカードを導入したなど自己実現のための関わりだったが、バスはなくてはならない生活の足、地域社会のために、安心で便利で安価なバスを走らせ続けようと誓った。同時に従業員あっての事業、自宅の片づけも後回しにして懸命にバスを走らせる従業員への感謝を新たにした。
「バス業界に関わり23年、志を共にする全国の同世代の同業者の仲間との絆も深まりました。電話1本で悩みを解決し、最新情報の収集も瞬時に可能な『戦友』もいます。名鉄バス時代、訪日外国人にとって日本は安心な国であるが、便利な国にはほど遠いと、仲間たちと『JAPAN BUS LINES(全都市を結ぶ訪日外国人向けバス乗り放題パス・60数社加盟)』を立ち上げました。しかし今は全国を視野に入れるのではなく、知多半島にしっかり根を張った活動をしていきます」
久しぶりに知多半島に縁もゆかりもない社長(13代目)として就任したのは1年ほど前。『現場を見て、現実を知ることが大切』と短パンとTシャツ、サングラス姿で週末に半島中の路線バスに乗車し、客層、路線の状況、乗務員の対応等を把握した。現実を知ることにより的確な対処ができ、地域に根付いた貢献が可能になると語る。着任後、新たに2市町のコミュニティバスも受託し、現在は7市町(美浜町・南知多町・阿久比町を除く)で運行。暮らしに密着した移動手段として地域貢献を果たしている。
「半田市は自治体だけでなく様々な団体や民間企業も積極的にいろいろなことに取り組み、元気がある地域だと感じています。その恩恵を受け、当社も多様な方面に伸びしろを期待でき、今年6月に創立80周年を迎え地域の皆様、従業員に感謝を込めて様々な企画をスタートしています。4月からはバスの後ろに『安全のため、左折時、交差点で一旦停止します』と記したステッカーを貼り、事故防止と乗務員に安心して停止できる背景を整え、ひいては地域の交通安全につながっていければと思っています。目標は高く掲げつつも一段ずつ登っていき、先ずは次のステージ『安全管理2.0』その次は『3.0』とバージョンアップしていきたいと思っています」
ICカード乗車券の拡張、バス停標識のリニューアル、系統ナンバリングなど分かりやすい、利用しやすいバスを目指し、代表を兼任する名鉄知多バス旅行の『謝恩かもめツアー』を実施する。同時に従業員同志の連携・感謝のために、クラブ活動への支援、班活動の実施、担当役員制度を新設し、部下とのつながりの強化、またカタチも大切と半田営業所の建て替えを計画している。
「地域のため、従業員のために何をしたらいいのか?通勤中も街を歩いていても考え、会話からヒントをもらったり雑談から閃いたことも多くあります。だから従業員と一緒に喫煙所で嗜むタバコは止められません(笑)。楽しく仕事をすることがモットーですので、考え悩み続けていても、ストレスチェックでも、全くストレスなしという結果です。『やってみなはれ』の精神で、何でもやってみようと思っています」
惑わずこの道を進もう。その思いがカタチとなり、生活の一端となって、天命を知る日は近いだろう。
●ちょっと一息●
「サラリーマン人生が終わるまでに趣味をいっぱい持つといい」という叔父のアドバイスに影響され、
色々なことを始めました。横浜、大阪に住む大学時代の友と『振り子の法則』で3人の住む町を拠点に年1
回、自転車旅行をしています。昨年は知多半島一周でした。雨が降ったので半分は車でしたね(笑)。折り
たたみ自転車を携え、民宿やゲストハウスに泊まる気心知れた友との気ままな旅は私の大切な時間です。
家族との時間も大切にし、息子1人、娘2人は私がスポンサーになる時は付き合ってくれますが、私が話
し出すと鬱陶しがられ長時間一緒は持ちません(笑)。妻には年1回、ちょっと豪華な食事会をセットして感
謝を伝えています。大学時代に出会った妻には感謝の一言に尽きます。
1966年岐阜県墨俣町(現大垣市)生まれ、稲沢市在住。1991年神戸大学教育学部卒業。同
年名古屋鉄道(株)入社。95年日本ライン観光(株)、2000年名古屋鉄道(株)自動車企画管理
部、08年宮城交通(株)営業推進部長、15年名鉄バス(株)経営統括部長、17年取締役経営企
画部長、21年取締役運輸本部長を経て、22年現職。当所常議員。