半田商工会議所 THE HANDA CHAMBER OF COMMERCE & INDUSTRY

会員トピックス
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半田商工会議所 THE HANDA CHAMBER OF COMMERCE & INDUSTRY

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社会課題を解決

2019年6月13日(木)

半田中央印刷株式会社 代表取締役社長 竹倉幹雄氏

 創業は古く、江戸後期まで遡ることができる障子紙やふすま紙など生活用紙の小売に端を発する。1886年「竹倉商工店」として活版印刷を開始し、時代の変遷により、姿を変えながら今に至っている。3人兄弟の長男として生を受け、家業は何となく意識していたというが、社会人としてのスタートは出版社(大阪)だった。
 「法学部だったこともあり、関連のある分野に就職しました。主に法律、会計、行政関連(特に地方自治体関連)の実務書出版の会社で、奈良県のある自治体の市民憲章づくりは、最初の仕事として印象深く残っています。後、大阪の印刷会社で修業し、当社に入社したのは大学卒業6年後の1999年でした」
 創業の地であった市内本町から移転(1993年)、バブル崩壊後の苦しい時期で、経営再建という難題が立ちはだかり、貴重な経験をすることとなった。その後、東京のグループ会社(M&A先)に出向することとなり、同じく経営再建に携わり、様々な経験を財産にして昨年10月に現職に就いた。
 「創業当時から地域に密接に結びつき、地域の課題を解決するという考え方で事業を行なってきたようです。130年以上たって、当然業務の内容は大きく変化していますが、基本的な考え方は今も変わりません。地域が発展してこそ、元気であってこそ、会社も存続し続けられるのだと思います。経営に欠かせないものとして、社会貢献にも積極的に取り組んでいます。ゴールデンウィーク中に、半田運河沿いのイベントで、活版印刷を体験できるワークショップを出展しました。毎年秋には亀崎地区のイベントでも同様のワークショップを開いています」
 先代が何かの役に立てるようにと保存していた活字。巷ではレトロな雰囲気が味わえると、『小さな活版印刷機』が登場するなど、味わい深い魅力が再評価されているようだ。そんな中で、かつて実際に使っていた『活字』を使ってのワークショップは、老舗印刷会社ならではの取り組みである。珍しさからイベント出展を観光協会などから依頼されることもあるという。また、今年で7回目となる新美南吉記念館で開催されるホタルの鑑賞イベント『南吉さんの蛍まつり』は、最初は同社が単独で開催したイベントであり、半田市に主催が移管された今でも、共催として運営に携わっている。また、地域おこしの一助にと、潮干祭のお土産品として『串あさり』を商品化するなど、多様な分野で社員共々、取り組んでいる。最近では、知多信用金庫、CACと協力して『ちたクラウドファンディング』を立ち上げ、本年4月に半田市で説明会を開き、順次知多半島内で開催している。
 「それぞれが小さな取り組みであっても、地域の活性化につながってきます。プロジェクトが成功するまでフォローし、熱い想いで知多半島の未来を考え、夢の実現を目指す人たちの背中を押していきたい。半田での説明会には30名程が参加され、前向きに取り組もうと考えている方はかなりいらっしゃいます」
 創業当時から『地域の課題を解決する仕事』を追求してきた同社。長い歴史の中で経営者から経営者へ、そして社員から社員へとその風土が引き継がれている。
 「現職について半年余り。スタート台に立ったばかりですが、社員と共に成長したい。課題解決という本質を忘れず、本業である印刷とデザインで培った知見を生かし、社会に対して新たな価値を創造していける会社にしていきたいと思っています」


泳ぐのは得意で、幼稚園から始め大学でも水泳部で競泳をやっていました。今も週1・2回は泳ぎ、月に1度くらいはマスターズで近県の大会に出ています。ほとんどの大会で表彰台には上っていますね。自分の納得感だけでやっていて、結構ハードなので、カラダに良くないかもしれませんね(笑)。
 トライアスロンをやっていた頃もあり自転車も好きです。時には仲間や社員と一緒に知多半島などを走っています。頭をカラッポにして泳いだり走ったり・・有意義なひと時です。


たけくら・みきお氏プロフィール
1970年半田市生まれ。93年立命館大学法学部法律学科卒業。同年(株)ぎょうせい入社し印刷会社を経て98年同社入社。2018年現職。
当所常議員。




感謝と謙虚さ

2019年5月24日(金)

株式会社 三菱UFJ銀行半田支社 知多半田地区支配人 兼 半田支社長 森田耕治氏

3歳のころに東海市に転居し、半田高校で学び、東京の大学ではテニスサークルに所属、学生生活を満喫した。縁あって同行(東海銀行)に入行し、どこかのタイミングで地元に帰ることも視野に入れてはいたが、社会人としてのスタートは関東圏を望んでいた。
 「ところが配属されたのは豊田支店(愛知県)。その後は名古屋、東京で勤務し、昨年4月に現職に就きました。地元の赴任が多くない中で、故郷とも言える半田支社への辞令を受けたのには、大変驚きました。」 
 入行以来、大半は愛知県内、東京都内で法人営業に携わり、様々な業種のお客さまを担当してきた。現職に就いた今も、外回りは銀行の営業活動の基本と、お客さまの下に伺う。お客さまのなかには高校の大先輩も多く、会話がスムーズに弾む反面、期待に応えられるかという不安にかられることもあると言う。
 「その不安が頑張ろうという原動力につながり、励みともなっています。先輩に何回生と聞かれ、覚えていなくて困ったこともありました(笑)。ご縁で当支社に赴任し、金融を通じて地元が元気になるよう、お客さまの成長に貢献できたらと思っています。そのためにはお客さまの歴史、経営者のお考えなど、お客さまをよく知ることでしょうね。それがあってこそ、次に向けてのご提案が可能になると考えています。どの業界にも言えることでしょうが、『人と人との信頼関係』が大切と肝に銘じています」
 また、お客さまは多数の金融機関の中から同行を選んでいただいている。先ずはそのことに感謝すべきと語る。そしてお客さまの成長が結果的に銀行の成長につながるため、互いに長く続く関係を保つような謙虚さを持って仕事に向かう『感謝の気持ちと謙虚な心』が銀行員として、人として大切であると強調する。
 「当行は『世界に選ばれる、信頼のグローバル金融グループ』を中長期的にめざす姿としています。部下には積極的に海外勤務を希望して欲しいと言っています。特にアジアは労働人口が若く、経済も成長しています。そこでは日本では感じられない世界を実体験でき、視野も広がり考え方も変わってくると思っています。色々な世界を見て、自分の成長につなげて欲しいですね。当地に赴任して、改めて地元との付き合いが始まりました。会議所さんのにぎわい創出委員会副委員長として、色々な事業に関わり、新しい出会いもありました。昨年はキャナルナイトに出かけて、半田を堪能しました」
 多忙な毎日だが、土・日曜日の仕事のない日は夫人の住む川崎に帰る。仕事を持つ夫人を気遣い、一緒にアルコールを嗜んだり、旅行にでかけ、二人の時間を大切にする。大学時代に出会って30年の付き合い、仕事にも理解を得て、夫人は最大の応援者であり、その存在は明日への原動力にもなっているようだ。
 「妻とはLINEで生存確認をしています(笑)。食事は外食が基本。自炊に挑戦しようと思いましたが、調味料を一から揃えなければと考えた瞬間、あきらめました(笑)。その変わり、掃除や洗濯はお手の物です。運動不足が続いていましたので、学生時代に打ち込んでいたテニスを2年前から再開しました。。半田、川崎、それぞれの場所で楽しみとやりがいを見つけるようにしています。半田と川崎での生活、公私とも充実した日々を過ごしています」


もりた・こうじ氏プロフィール
1970年岐阜県生まれ。93年慶応義塾大学法学部法律学科卒業。同年(株)東海銀行(現三菱UFJ銀行)入社。豊田支店、愛知県、東京で勤務し、2018年多摩中央支社副支社長を経て現職。
半田金融協会会長。当所にぎわい創出委員会副委員長・常議員。





すべての仲間と新時代への挑戦

2019年4月18日(木)

2019年度半田商工会議所青年部会長 榊原顕太郎法律事務所 榊原顕太郎氏

 『行動力のある青年部に入会したら』と父親から勧められ、仲間入りしたのが弁護士事務所を開設した1年後。半田市に勤務し、当所とも関わりが深かった父親から、お墨付きでのスタートだったが、多忙なこともあり、出席率は50%ほどだったと言う。
 「入会3年目に委員長になったのが、僕の青年部活動の分岐点でした。新設の国際教養向上委員会で、メンバーたちとどんな委員会にしようかという議論からスタートしました。事業、研修会、懇親会(ウーロン茶で盛り上がる)が楽しく、鰻登りに出席率も上がりました(笑)。中学校から外に出ていたので、最初は誰ひとり知り合いがいなかったのですが、地元に帰ってきたと実感したのも入会したからこそと思っています」
 全ての要職を経て、今年度会長に就任した。氏曰く、『あきっぽくって面倒なことが嫌い』今まで長続きしたことはあまりなく、気がつけば10年という歳月が流れていたと振り返える。それほど青年部活動は楽しく、実のあるものだった。だから、今までの感謝を込め、会長の椅子に座ることを決意した。
 「元号が変わり新時代が到来します。何か新しいことをみんなで考えて挑戦していきたいという想いで、スローガンは『すべての仲間と新時代への挑戦』です。新しく『半田の子ども育成委員会』を組織しました。従来のサンタクロース委員会を、夏でも子どもたちのお役に立てたらと思い改称しました。子どもたちには将来半田を背負ってもらいたい、青年部にも入会していただきたいという願いも込めています」
 また、かつて初めて委員長となって開眼したような自身の経験からも、各委員会の活動方法等はみんなで悩み、交わりながら作り上げていって欲しいと期待する。そこまでの過程こそが大切で、達成した暁にはそれぞれが大きく成長すると確信する。
 「どんな事業が生まれてくるのか、ワクワクしながら楽しみにしています。僕もあと2年で卒業です。もう2年しかないので、メンバー全員と交わることが念願です。顔も見たことがない、話したことのない仲間もいます。暇を見つけて、1回でも参加いただければきっと新しい何かを得ることができると信じています。僕もそうでした。修業時代も今も少人数で仕事をしていて、大きな組織の中で働く機会に恵まれていませんでした。でも青年部では会員130名ほどの中で、ある時は中間管理職、部長というようなポジションをいただき、日常では得られない人との関わりを経験しました。人との接し方に幅が出たのではないかと自負しています。一番は友だちが出来たことですが、青年部は僕に多くのことを教えてくれました」
 同時に友との関わりは、新たな仕事にもチャレンジするきっかけとなった。メンバーは事業主が多く、企業についての悩みを抱えていることもある。そんな時にアドバイスをしたいと、中小企業診断士の資格を取得し、知識の引き出しも増え、仕事の幅も広がった。
 「いつも新しいことに向かっていきたいと考えています。先ずは手始めに(笑)、僕の大好きなアイドルグループのももいろクローバーZ(ライブにも行きます)に因んで、会員手帳と名刺(一部)をピンクにしました。快進撃を続けるももクロ同様、半田商工会議所青年部も新時代へ向けて走り続けましょう!」


さかきばら・けんたろう氏プロフィール
1975年半田市生まれ、在住。2002年早稲田大学大学院法学研究科卒業。03年弁護士登録。08年榊原顕太郎法律事務所創立。半田市人権委員。半田市農業委員。




「而今」を心に記す

2019年3月20日(水)

東海東京証券株式会社半田支店 支店長 加藤千晴 氏

 経済状況、企業データやテクニカル分析を突き詰めるほど成功率の高い『株式投資』に向き合う父親の姿を見て、株式に興味を持った。就活は金融関係に絞り当社(当時の丸万証券)に入社。個人営業部に配属され新規開拓に明け暮れる日が始まった。1日200軒ほど訪問し、入社半年間で120件ほどの口座を開設するに至った。
 「初めてお会いした時の会話を記憶し、次回はさらに発展した話をするように努め、その中からニーズをつかみ対応してきました。会社資料は当然ながらお客さまが望まれるものを自分なりに分析し情報提示していました」
 心を配りながら人間関係を築き、お客さまのためにあらゆる努力をした。その結果、会社の収益増大、資産の純増に貢献し、幾度となく表彰を受けた。だが、常に自身との闘いの日々であったと言う。
 「この提案で良かったのか?もっと早めに対処すれば良かったかもしれないと、常に悩んでいました。本店勤務の平成7.8年には市況低迷もあったがお客様にも会社にも求められる成果をあげられない自分が会社に在籍していては迷惑になると思い2度辞表を提出しました。ですが当時の営業課長から『みんな常に悩んでいる。そんな事を考えるより、お客様のためになる事を考え、その実現のため100%以上の努力をしろ』と叱咤激励されました。振り返れば、行動するより頭で考えすぎる自分がいました。
 以後、同じ過ちを繰り返さぬよう『会社四季報』が真っ黒になるまで読み込み、徹底的に企業分析をし、それまで以上にお客様宅に足を運び成長株の提案をしました。当時はPCもなく、株取引は証券会社の対面販売が当たり前の時代であり、証券マンの提案が大きく影響した。株価が3〜4倍になった時、お客さまからの『ありがとう』という言葉はやりがいであり、励みになった。当時の営業課長はその後53歳という若さで残念ながら急逝されたが、今でも営業課長や苦しい時に支えていただいたお客様への感謝の気持ちを忘れる事はありません。そしてまたちょうどその時期に、『而今(じこん)』という言葉とも出会い、これまでずっと心に記してきました。
 「過去や未来に囚われず、ただ今を精一杯生きる」という「而今」を支えに、やらないで後悔するより、やって後悔した方がいいと考えて業務に臨んでいます。現在も葛藤の日々ですが、壁に突き当たった時、あの営業課長だったら、どう対処しただろうと思うことがあります。
 様々な経験と周囲の応援を経て、昨年4月に現職に着任した。同店は53年前、丸万証券半田営業所として誕生し、本店営業部と双璧の重要拠点だった。全国規模となった現在もリテール営業の要の支店としての役割を担っている。             
 「地域に密着し、face to faceの関係が大切と考え、その一つとして経済セミナーや個人投資家と企業を結びつけるIRを開催しています。1週間に1度の頻度ですが、継続は習慣となり、多くの方に参加いただけるようになりました。その成果かはわかりませんが皆様に支えていただき今期は大規模店部門において総合評価・資産純増評価の両面でトップの成績となっています。
知多半島は素晴らしい産業が多くあります。今後はこれまでの人生で出会い、支えていただいた方々と、知多半島の方々をビジネスを含め様々な形でつなげることが出来たらと考えています」
 就任して1年が経ち、改めてこの地域は海が近く食や酒が美味しく、魅力ある町だと感じたと言う。実際に見てもらおうと、名古屋のロータリークラブ時代の仲間と半田の料亭で旧交を温め、半田の素晴らしさを紹介した。
 「飲み歩き、食べ歩きが大好きな私は『知多酒で乾杯』は大歓迎です(笑)。毎週金曜日は妻の許可の下(笑)友人と定例の飲み会です。平日は好きなアルコールをほとんど嗜まない分、この日を心待ちにしています(笑)。共働きの妻とは友だち夫婦のような感じで、土・日は一緒に外食し杯を重ねます。いつの間にかこれも習慣になってしまいました。スポーツ観戦も大好きで野球、サッカー、ラグビー、何でもござれで、豊田スタジアム、ナゴヤドームへ出かけています」
  仕事の醍醐味、やりがいで充実する日々。あのとき、すんなり辞表を受理されなくて良かったと、あのときの営業課長に思いを馳せる。感謝を込めて、命日には墓前で手を合わせる。


かとう・ちはる氏プロフィール
昭和43年日進市生まれ。平成3年愛知大学法経学部経営学科卒業。同年丸万証券(株)入社、藤が丘支店に配属。7年本社営業部。豊田、新瑞橋、碧南、木曽川、オルクドール営業部等を経て30年現職。名古屋市在住。当所議員。金融部会副部会長。
 




前向きにチャレンジ

2019年2月21日(木)

株式会社七番組 取締役副社長 石川  理 氏

 就任時、コミュニケーションの大切さ、自らの考えを発信し、モチベーションを高め仕事に向き合って欲しいと社員に望んだ。同時に安全・安心も強調した。
 「私の重要な業務のひとつが安全・安心の確保です。現場でのそれは最優先ですが、整理整頓が安全の第一歩と思っています。例えば机の周りを整理する、そういう物理的な行動習慣は、物事の進め方、考え方が整理されていることにつながり、安全行動への近道だと考えています」
 東工大大学院卒業後に日本ガイシ(NGK)に入社。現職の4代目副社長に正式に就任したのは平成29年12月。歴代の副社長はNGKから輩出される縁での入社だが、同社との関わりは長く深い。
 「40年ほど前、当社がNGKのエンジニアリング事業本部(エン本、現在はメタウォーター(株))の工事を請け負ったのが始まりのようです。当社に入って重責を果たせるかという不安はありましたが、前任者の籾山さんが東京勤務時代の直属の上司、安心感はありました」
 NGKに入社後、エン本に配属となり、上下水道の処理プロセスの開発部で知多工場に勤務。個性の強い集団の中で、いかに自己アピールし、コミュニュケーションを図っていくか、やりがいを感じながら苦労もあったが、人として成長していく上でも大事なプロセスだったと振り返る。
 「平成15年までエン本の様々な技術部門を経験、東京勤務の4年間は仕事の醍醐味も味わいました。都庁、流域下水道の処理プラントのプロマネを任され、新しいことを盛り込めという厳命の下で、自らクリアする強い意志が求められました。失敗の責任は自分でかぶるという極めて体育系気質の職場でしたが、全面的に任せてもらえるので、モチベーションも上がり、自身の完成度を高めていくことを常に考えていました。プラントが完成した時の喜びと共に、工事が完遂するまでに多くの方々に支えられていることを実感しました。真摯に物事を受け止め、正しく自己主張し、潔く譲り、信頼関係を築いていくことを肝に銘じてきました」
 肉体的にきつい時もあったようだが、スキー、水泳、テニス、陸上競技で鍛えた体力で乗り切ったと笑う。
 その後、セラミックス事業本部へ異動、ディーゼ車用排ガス浄化用担体(DPF)の海外投資の業務と巡り合い、そしてポーランド勤務時代も貴重な体験をした。ディーゼルエンジン車が約半数を占める欧州は、21世紀初頭から自動車排ガス規制法が段階的に強化され、DPF装着需要の増加が見込まれたことから、同社は平成15年にポーランドに進出、平成24年に3代目社長に就任した。
 「一昨年の平成29年6月までポーランドに5年間駐在していました。製品の需要拡大に伴い、工場を短期で拡大増強し、就任時から現地従業員は2倍強となりました。ポーランド人は自己主張が強く頑固な一面もありますが、とても親日的で思いやりのある、真面目で実直な人々です。合理的な説明は必須ですが、一旦、理解すると、オリジナルな提案を展開して、幾つもの大きな生産改善を実現してくれました。私自身、強く主張して前に出ていくタイプではなく、個々の個性を尊重すべきと考えています。でも変わらなければならない時、合理的な理由を強く押し出し理解を求めるよう心がけています。これは欧州の人たちから学んだ、交渉術と思っています」
 これまでの様々な経験を財産として就任した。自らが良かれと思ったことは社員も経験して欲しいと、一例として海外へ出ることも大切なことと語る。また、働き方改革関連法の成立に伴い、取り組みを始めたが、業界ならではの課題も多い。
 「成し遂げるために議論を深めていかねばならないと考えています。以前なら悩みを聞いたり一緒に飲みにいったりしたものですが、今は時代も立場も変わり、そういう機会も少なく一抹の寂しさを感じています」
 仕事に奔走される日々ではあるが、一時の息抜きは月数回のゴルフと音楽鑑賞。ショパンが誕生したポーランド在住時は、クラシック音楽を堪能し、最近では夫人と共にミスチルや中島みゆきのコンサートに出かけ、会場と一体となって楽しんだ。また、語学力をキープするために英会話スクールに通うなど、時間を有効に使って有意義な日々を送る。
 「色々な人生の過ごし方があります。季節に応じた楽しみ、一人で出来ること、家内、友人と楽しめること、様々なことに前向きにチャレンジしたいと思っています」
 就任して1年余経った今、次なるステップに向けてチャレンジし始めた。


いしかわ・おさむ氏プロフィール
昭和30年豊橋市生まれ。富山大学を経て、昭和56年東京工業大学大学院機械工学科修了。同年日本ガイシ(株)入社。平成15年までエンジニアリング事業本部(東京本部、名古屋事業所、知多事業所)、セラミックス事業本部を経て同24年にポーランド工場代表取締役社長。同29年現職。好きな言葉:有言実行。知多市在住。当所常議員。