半田商工会議所 THE HANDA CHAMBER OF COMMERCE & INDUSTRY

会員トピックス
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半田商工会議所 THE HANDA CHAMBER OF COMMERCE & INDUSTRY

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お客さまに喜びを

2025年3月4日(火)

イオンリテール株式会社 東海カンパニー 東愛知事業部 イオン半田店 店長 久岡 勝忠氏

「イオンに働きに行かない?」という友からの一言が将来を決めた。美容師の姉の影響で美容師を目指し、インターン生活を控え、美容院が入店する総合スーパーのアパレル店(神奈川県)でアルバイトしていた時だった。お客さまに喜んでいただけることにやりがいを感じ、興味を持った小売業への転身を視野に入れていた時だった。 
 「イオングループはグローバル企業であり、ありとあらゆる業種と職種が詰め込まれ、お客さまに喜んでいただける手段が多様にあります。自分の力を試したいと思い、迷うことなく1998年に当社に入社しました。オシャレなアパレルで働くつもりが、配属先は宮城県多賀城店の水産担当部門でした。私はスーパーの鮮魚売り場の匂いが苦手で且つ生魚をほとんど食べられないという状態でしたので、入社した1年くらいは思い描いていた仕事とのギャップに苦しみました(笑)」 
 朝4時に起き、市場で仕入れ、店頭に立つうちに『お客さまに喜んでいただいている』反応をダイレクトに感じ、いつの間にか魚への苦手意識から卒業していた。情報交換をしながら魚を仕入れ、捌き、的確な(時にはお勧めしない)調理方法を探り、自分の舌で確かめた。『聞いて、見て、触る』という信条は高い訴求効果に繋がり後年、神奈川・千葉・山梨で水産担当者として関わり、土地柄によって接客の違いの重要性を体感した。 
 「海の近くに住む方と、都会の若い世代では魚の知識量やニーズが違い、鮮度や価格の一本槍のアプローチでは説得力に欠けます。地域性も考え、お客さまの背景を想像して接客していました。持ち帰った魚を、ご主人のため、お孫さんのためにどう料理をするのか?そこをイメージし応対すれば会話も広がり、次のステップに繋がります」 
 その土地を知り、人と知り合うことは大事なことと、お客さま・共に働く従業員と会話のキャッチボールを楽しみ、大切にしてきた。新店オープンのサポートに赴いた時、ミャンマーで現地の従業員に教育係として駐在した時も同様だった。その土地土地で汗を流した仲間とは人と人として繋がり、今も連絡を取り合う。13拠点で勤務し、半田店長に着任したのは2023年9月。鳥羽店に次ぎ2店目の店長として、新たな取り組みをスタートした。
 「先ず従業員に1週間分の『いつもの食卓』の写真を持ってきてくださいとお願いし、その献立に沿った商品をヒントに陳列しています。ほんの一例ですが、食卓を知るという事実を元に行動を起こせるのは大きな自信となり、その土地の生活習慣を知ることにもなり、未来予測も可能です。業績を伸ばすために売りたいものを売るという店サイドの都合ではなく、お客さまが求めている商品を安価で提供することが最も重要です。極端なことを言えばいくら陳列棚全ての商品が揃っていても、お客さまが求めている商品やサービスがなければお客さま満足度に100%応えられないと考えています」
『ニーズに応え、お客さまが満足し喜んでいただく姿勢』を徹底し、店内設置の『お客さまの声』の要望にもスピーディーに応える。店を我が家の冷蔵庫代わりとして、出勤前、帰宅時、休日に来店というような生活の一部になっていただけたらと願う。同店は開店して30年。歴代店長が次の店長にバトンをしっかり繋ぐために尽力してきたように、氏も次代を見据えて今このタイミングで出来ることを全力で取り組んでいる。昨年6月より段階的に店舗を改装し、10月から食品売り場を24時間営業にして利便性を図り、『我が家の冷蔵庫』に一歩近づけた。 
 「パートも含め200名ほどの従業員の多くは、社会や家庭で人生経験を積み、次のステップとして熱い想いを持って働いています。『自分家(ち)だったら』と思い、それぞれの得意分野の中でその人なりのアプローチをしていただきたいと考えています。例えば自分の家にお客さまがいらしたら、想いを込めておもてなしをします。そういう気持ちで接すれば、お客さま満足度も向上するはずです。私たちはお客さまとの会話を楽しみにしています。ぜひ気軽に声をかけてください。また、当社は各店の店長がそれぞれの強みを活かして店の特色を出しています。“水産出身”の私は魚売り場が気になり、ちょくちょく顔を出しています。売り場は担当従業員のフィールドで、私はお手伝いしか出来ませんが、そこで働く従業員から学ぶことも多くあります。店長は全ての仕事や売り場に関われるのが特権です。カートを片付けたり、衣料品売場や専門店に行こうかなと思ったらいつでも行けます(笑)。日々楽しんでいますよ」 
 今までの出会いや経験が人格形成となり仕事の姿勢となっている。未来予測もその一つで、甲府昭和店(山梨県)のオープン初日に発災した東日本大地震で考動した一人の社員から影響を受けた。騒然となる店内で我先に寝具売り場から布団や毛布を運び出し、お客さまの最大の脅威になるだろう寒さ対策に備えた。
 「この社員のようにとっさの時こそ、次のステップに向けて的確な考動ができるようになりたいと強く思いました。あらゆる事象にスピーディーに的確な判断ができる人間になれば、本当の意味で『お客さまに喜んでいただけること』に貢献できると思っています。振り返ってみると、人格形成で行き着く所は母親かもしれません。福島で生まれ関東で逞しく飲食店を営んできた母親の生き様は、私の中で教科書として生きています。母親が信じた道を一直線に進んでいた姿は、私に勇気を与えてくれ、私もそう生きたいと思っています」

●ちょっと一息●
 店舗から徒歩圏に居住することが望ましいという自身の考えから、店舗近隣に住む単身生活も15年になります。神奈川県に住む家族の元に帰った時は大学生の息子観察を楽しんでいます。今時の若者は夢や希望を声高に発する社会環境ではないと感じているように見受けます。当社に勤務する若者が気持ちよく自分の夢や希望を語り、より良いパフォーマンスができる環境を作るためにどうしたら良いのかを息子を通して考え、息子観察はもはや趣味の境地に至っています(笑)。 
 「座右の銘はなんですか?」時折聞かれますが、「ありません」と答えています。自然体であれば良しと思い、座右の銘に縛られるのが嫌なのですね。その時に自分が信じることにベストを尽くして進むだけです。そうは言っても日々右往左往していますが(笑)。

1974年福島県会津若松市生まれ。7歳で神奈川県相模原市に転居。武豊町在住。98年イオン㈱入社。宮城・神奈川・千葉・山梨・東京・三重などで水産担当、新店サポートや店舗開設に関わる。2016年現地営業担当としてミャンマーに駐在等。23年現職。当所議員。



誠実であり堅実であれ

2025年1月31日(金)

株式会社大成 代表取締役社長 小栗 啓正 氏

 1952年同社は機械工具販売会社として創業。その30年後に啓正氏が3代目の期待を背負って誕生した。現取締役の先代(父親)からは「継いでくれ」とは言われなかったが、その時々で、ごく自然に家業に触れさせられ、仕事を印象づけられてきた。小学生の頃、先代に業界の展示会に誘われ商品を眺め、家業を朧げながら知った。大学生になりアルバイトの相談をした時に、自社で働くことを勧められ、社員と接しながら事業内容や商品をより理解した。その流れに乗るかのように、仕入先のトラスコ中山(作業工具、測定工具などあらゆる工場用副資材の卸売業)に入社し、倉庫当番や伝票整理など内勤に従事した。
 「仕入先に入社することを決意した時、先代に将来は家業を継ぎたいと言いましたら、『頼むわ、でも適性があるかどうかは見極める』と釘を刺されて社会人生活をスタートしました。初めて生まれ育った半田を離れ大阪(本社)で勤務しました。社員寮に住んで電車通勤、週3回ほど仲間と酒盛りをし、すっかり関西弁に染まりました(笑)。3年後に熊本への転勤辞令が出て『本州から出るのか!』と、寂しい思いをしながら真の一人暮らしが始まりました。30歳で家に帰ろうと思っていましたので、計画通りその年に半田に戻りました」
 都合6年間、いわゆる『他人の飯を食う』間に様々な人と出会い、多くのことを学び、それは今でも仕事上で重要な戦力ともなっている。上司からは「何事も受け取り次第」と言われ、物事にぶつかった時には、自分と向き合い自身に問い、自ら解決方法を導き出した。「この売上ではアルバイト並み」と厳しい言葉を投げかけられ、意識を切り替え、新たな方法で取り組むことを体得した。同社勤務の関係会社の子息らは、将来の横の繋がりを強固にするために『あきんど塾』で学ぶ。そこの卒業生は、『ゴールはない、いつまでも五合目』という気持ちを持とうと『五合目会』を結成している。年に一度、東京・大阪で開催される気の置けない仲間との集いは、情報交換の場であり親睦の場であり、心安らぐ大切な時間である。多忙な中でも、懐かしい顔に会いに行く。
 「当社に入社後は事務職で裏方の仕事に関わり、先代は私に一通りの仕事を与え、黙って見ているだけでした。2023年10月に『後は任せるわ』と私に代表取締役社長の席を譲り、口は出さず相談事に助言し支えてくれています。社長就任後の最初の大きな仕事として、新社屋の建設を考えています。先代からは「やらないかんな、社長の仕事だから」と言われ、暗に建設を後押しされています(笑)。働く環境を整えることは重要なことと考えています」
 高齢化や少子化、社会構造の変化などにより人材確保は大きな課題となり、同社も同様である。同時に創業時に数名でスタートし、今では25名の社員を抱え狭隘化も懸案事項になっている。『綺麗な社屋は働き甲斐がある』と自身も感じてきた。大阪時代はドラマに出てくるようなスタイリッシュなオフィスで「こんないい会社で働けるんだ! 」 と感激した。そして熊本時代は氏曰く「掘っ立て小屋のような事務所で、同じ会社なのか?社屋の外観で働き方のテンションは違う!」と実感した。先代が建築して40年余。その歴史を見守ってきた社屋は、3代目の若い感性で新たな顔になり次代に引き継がれていく。
 「初代から引き継いできた『誠実であり堅実であれ』という精神を承継していきます。近くのホームセンターや他の仕入れ先が対応できない商品があると、当社を紹介してくれるのは有難いことです。これも初代から築いてきた『誠実』の賜物と思っています。現職に就任直後、建築業許可を取得し、メーカー・問屋とタッグを組み、建築物の設計から設備設置までを担うなど仕事の幅も広がりました。時流に沿い、生産システムを共に考え、SDGsに対応する商品、省力化機械など、合理化・効率化に役立つ生産ツールの提案など、ニーズに合わせて的確に迅速に対応しています。社内稟議がスピーディで、作業現場まで商品をお届けし、臨機応変にお応え出来るのは当社の強みです」
 金属とボルトを繋ぐ継手屋さん?ボルト屋さん?と言われることもあるようだが、「最新の商品知識と膨大な商品アイテムを揃えた何でも屋さんです」と笑う。1円以下の小さなボルトから何千万円の工作機械まで取り扱い、あらゆる業界のモノ創りを支えるサポーター企業として地域経済を支えている。地場産業の醸造会社では機械メンテナンスを請け負い、生産現場のパートナーとしての役割も果たしている。
 「業界での実施企業は少ないようですが、定時は午後5時で、6時半までに完全退社で昼休みは留守番電話対応。今後は完全週休2日制にします。社員たちからは『そんなことをして仕事は回って行くのか? 大丈夫か?』と心配されましたが、お客様の理解をいただけるようになりました。短時間で密度の濃い仕事をして成果を出す、これからの働き方だと考えています。業界から『知多半島といえば㈱大成』と言っていただきたい、商圏を広げ新規営業所を作りたい、挑戦したいことは山積しています。私自身『何とでもなる』と仕事に取り組み、『何とかなる』と、これまでも何とかしてきました」
 物腰の柔らかさと芯の強さ、実行力、コミュニケーションスキルは先代から引き継いできた『経営者として、人としての武器』だろう。

●ちょっと一息●
 月に一度ほど映画館に出かけたり、動画配信のサブスクでアクション映画やSF映画を楽しんでいます。非現実的な所が魅力で観ているとリフレッシュします。ちょっと疲れ気味なのでしょうか(笑)。
 尊敬する人はここまで会社を育ててきた先代です。経営者として、人として見習うことも多く、常に私の前を歩いている人生の先輩です。父親としても最高で、家族揃って一緒に旅をするなど、楽しい時間を過ごしています。
 大きな声では言えませんが(笑)、社長になると面倒なことも時々あります。家と会社の往復でほんの10分ほど車に乗るだけ。私は車種は一向に構わないのですが、社員からは「社長だからいい車に乗ってください」と言われています。また髪型にもこだわりがなく、面倒なので坊主頭にしたいのですが、これも社員から反対されています。社長業は何かと大変ですね(笑)。

1982年半田市生まれ。2005年日本福祉大学情報社会科学部卒業。同年トラスコ中山㈱入社。11年㈱大成入社。23年現職。当所常議員。



半田商工会議所 会頭 松石 奉之

2024年12月27日(金)

令和7年の新春を迎え、謹んでお慶び申し上げます。

明けましておめでとうございます。令和7年の新春を迎え、謹んで会員の皆さまのご多幸と繁栄をお祈り申し上げます。
 国連教育科学文化機関(ユネスコ)は2024年12月、日本酒や焼酎などの「伝統的酒造り」を無形文化遺産に登録しました。日本酒の国内消費は減少傾向で、国税庁によると、2022年の清酒の国内消費数量は40万キロリットル。1989年の134万キロリットルの3分の1以下となりました。嗜好の多様化で他の酒を飲む量が増え、若者の「日本酒離れ」が進み、また、造り手不足に悩む酒蔵も多く、今般の登録を国内外に酒造りの価値を伝える契機にと、期待が高まっています。
 愛知県は、古くから多種類の発酵調味料や発酵食品を使った料理を通じて特徴ある食文化を味わえる地域で、現在の世界的な「発酵食文化」への関心の高まりは、愛知の旅の目的地・デスティネーションとしての認知度向上につなげる絶好の機会となります。2024年5月、愛知県は「愛知『発酵食文化』推進協議会」を設立し、愛知の「発酵食文化」の振興・国内外への魅力発信により、世界から人を呼び込むことを目指しています。
 そして本年5~7月、「発酵ツーリズム東海」が、ぎふメディアコスモス(岐阜市)と半田運河エリア(半田市)をメイン会場として開催されます。発酵をテーマにした「展覧会+物販+観光事業」として、愛知・岐阜・三重の広域ツーリズムを通じ、この地域の持つ「食」の強みを東海地方全体のアイデンティティに据えます。
官民一体となって産業振興を推進することを目的に、半田市が設置した「半田市産業振興会議」(榊原康弘委員長・当所前会頭)はこのほど、半田市への提言をまとめ、当市の産業分野の強み・将来の拡張可能性を有する産業集積群の一つとして「発酵・バイオ産業」を挙げ、民間事業者との連携促進、ゾーンエリアへの学術・研究機関、企業誘致等の環境条件整備を提示しました。“得手に帆を揚げる”。ヒューマンケア、観光・交流など、強みとする分野、潜在するチカラを十分に発揮できるよう、時宜・流れ・風を活かし、関係機関と共に全力で走り出してまいります。
 市内中心市街地は、JR武豊線半田駅付近の連続立体交差への整備事業、半田駅東側地区の土地区画整理事業が進捗しています。これら基盤整備を含む、名鉄知多半田駅からJR半田駅、半田運河にかけての半田市中心市街地は、将来的な人口減少と高齢化等社会構造の変化にも対応可能な都市機能集約型の新たなまちづくりと、居住者・来街者の多様な潜在・顕在ニーズを引き出す消費市場機能の向上を目指した民間主導の取り組みが始まっています。昨年11月、街なかの拠点施設として半田市創造・連携・実践センター(通称:コココリン)がオープンし、「起業」「ビジネス」を志向する人々の多様な交流を図る環境づくりが進められました。また、知多半田駅前広場(東側ロータリー)の改修(2027年度)に向けた意見集約が始まり、半田運河界隈の社会実験など、中心市街地を構成する3エリアの個性を見出しつつ、本年3月にまとまる半田市中心市街地活性化基本計画(半田市)を官民一体となって推進してまいります。
 地域経済では、物価上昇と賃上げが続きます。課題は、名目賃金と実質賃金との差で、2021年夏以降、実質賃金が名目賃金を下回る状態が続いており、消費控えの要因の一つとなっています。価格転嫁が進み、継続的なインフレーションのもとでは、中堅・大企業の収益は増える一方、中小・小規模事業者は総じて価格転嫁が進まず、収益力の差が広がっています。持続的な賃上げには、同時に生産性・収益力を高める必要があり、商工会議所として、直接的・間接的支援を講じていくとともに、関係機関と連携し環境づくりに取り組んでまいります。
 本年、当所青年部は60周年、女性会は20周年をそれぞれ迎えます。地域経済を取り巻く多様な変化がもたらされる中、商工会議所活動における青年部・女性会の果たす役割、将来性は、ますます重要で、大きなものとなってまいります。節目の年を迎え、組織としての更なる発展を期待するとともに、会員それぞれの事業活動の発展に繋がることが出来ればと願うところです。
 新たな一年のはじまりにあたり、全ての会員の皆様に、日頃の事業活動に感謝を申し上げますとともに、会員の皆様と共に前進する半田商工会議所へのご支援、ご協力をお願い申し上げ、年頭の挨拶とさせていただきます。



誇りと志

2024年12月17日(火)

西日本電信電話株式会社 東海支店ビジネス営業部 ビジネス推進部門 営業推進担当 担当部長 水谷 恒介氏

 幼年期、祖父母と過ごした時間は、社会人として歩むための師となった。寺院で祖父母と一緒に仏像を眺めた。祖母の主宰する茶道教室の茶会で抹茶をいただき、掛け軸を目にした。祖父と庭の柿や桃を取り食べた。そこにはいつも祖父母の笑顔があった。青年期、地方の過疎化が問題となり、そこで生きる高齢者の寂しさを知った。 
 「私が嬉しいと言ったら祖父母が喜んでくれたように、例えば地方の高齢者が出荷した野菜の美味しさを、消費者がテレビ電話のようなものを通して直接伝える。そんな社会を作ることができれば、私の祖父母のように生きがいを持って笑顔で暮らせる高齢者が増えるのではないかと思いNTTを志望しました。面接試験で『全国のNTTビルにある通信ネットワークをお借りして、誰もが生き生きと暮らせる社会を作りたい』と生意気なことを訴えました(笑)」
 大阪支店の法人営業部に配属され、お客様のビジネスを通した社会貢献を体感し、より一層お客様のビジネスに深く入り込むことで、ビジネスの幅を拡げていった。その想いに沿うように様々な部署に携わる機会を与えられた。従前は役職者だけが務めていた幹部の財界活動におけるサポート役に就いたのは30歳の頃だった。役職者は昇格後にその部署へ戻る例がなく、せっかく築かれた社外との人脈を持続させることが難しかった。再び同部署に戻り、得られた人脈を継続させ、更に広げることを目的として、氏が役職のない担当者の第1号として抜擢された。 
 「社長をはじめとする経験豊かな幹部の話題は多岐に亘り、幹部と二人きりの車中は緊張の連続でした。日本の文化を語られた時には、私が幼年期に見聞きした知識が役に立ちました。幹部に同席した財界の会合においても、これまでの経験や知識をもとに侃々諤々の議論を行うなど、学びの多い日々でした。生活は安心・安全の上で成り立っています。通信は安心を支えるものであると実感するとともに、自衛隊の方々などの想いを知ることで安心・安全の見方が変わりました。文化や風習、安全保障などを多岐に学ぶことで、物事をより深く捉えられるようになったと感じています。大阪商工会議所など、各地の商工会議所さんとのお付き合いはこの頃から始まりました」
 後年、再度財界活動に携わり、培ってきた人脈をフル活用することで、地域の発展に貢献すべく自社と他業界との橋渡しに尽力した。また、関西経済同友会への出向という形で、関西経済界が英知を集結して立ち上げ、「実学重視」の人材育成、「強力な人脈形成」を推進する教育の場『グローバル適塾』の事務局長のポストに就いた。 
 塾生は毎年30名ほどで、会員企業から各社1名の幹部候補生を選出いただいています。業界知識や経営などは他でも学ぶことができるため、ここでは幹部に欠かせない人間的魅力や文化的素養を養うためのカリキュラムを実施しています。どんな学びが塾生の役に立つのか、多方面にアンテナを張り巡らせる日々において、祖父母や両親と一緒に訪れた寺院や伝統行事がヒントになることも多々ありました。奈良の春日大社での研修では、日本における神の概念や祝詞の意味などから始まり、座禅の仕方などの所作まで学ぶことができました。海外の要人と議論したり、経営者から経営哲学を学んだりもしました。ある時、自らの悟りのために修行し努力することと、他の人の救済のために尽くすことを意味する『自利自他』という言葉と出会いました。私は他人
のためになることが結果的には自分のためになると解釈していますが、私のNTTに対する志望動機とも似通っているので、すっと頭に入り心に響く言葉でした」
 光回線を販売する代理店の企画業務、本社法人営業部での総務・人事・労務に関する業務、新設のデジタルマーケティングに関する部署など、常に新たな部署での仕事だった。「自分が何屋だか分からなくなっているが、知らない世界を知ることは面白い」と学び続けてきた。そんな中で相手にも自分にも大切な『誇りと志』を尊重して仕事と
向き合い、社員の成長に心を砕いてきた。 
 「人は生きてきた人生に誇りを持っています。その誇りを活かす仕事に取り組むことは自己の成長になり、より良い仕事にもつながります。同時に、仕事に対する志によって、成果は大きく異なってきます。相手のニーズにきちんと応えているだろうかと意識して行動することで、初めて継続したビジネスとして成り立ちます。相手と同じ立場に立って取り組む。サポートしながら歩みを進める。色々な形があると思いますが、その場や時代に応じて的確にスピード感をもって取り組むことが重要です。 
 「現職に就いて1年半ほどになり、会議所さんの隣の当社を含む、県内に8箇所ある営業所を統括する日々です。今後も通信や渉外の仕事を通じて、半田市が元気になるよう地元を積極的にサポートし、地域活性化のお手伝いをすることで社会に貢献します。それが今の最大の目標であり、入社以来の悲願です」

●ちょっと一息●
 声をかけていただけるのは嬉しいことなので、誘われたら断らないことにしています。高校に入学して、誘われるがままにアイスホッケー部へ入部し、今も平日の夜や休日に楽しくプレーしています。アイスホッケーはチームワークが勝敗を決めると言っても過言ではなく、仲間とのコミュニケーションは大切な要素です。そんな所から、私のコミュ力も養われたのかもしれません。単身赴任中の今は、練習からどんなに遅く帰っても叱られません(笑)。自分の時間を楽しんでいます。
 常に充実した日々を過ごせるよう、色々な趣味を持つ人たちとSNSを通して情報交換をしています。名古屋に転勤になった時にも、アイスホッケーに関するSNS仲間から今所属しているチームを紹介いただきました。「ここで楽しいことがある」という仲間からの情報で、いそいそと出かけます(笑)。知らない世界を知ることは学びがあり楽しいことです。特にその道に生きる人の話は興味深く、刺激をいただき元気をもらっています。私から積極的に声をかけていく。そのことも心掛けています。

1974年大阪府吹田市生まれ、名古屋市在住。97年関西大学経済学部卒業。日本電信電話㈱(現西日本電信電話㈱)入社、大阪支店法人営業部配属。本社総務部秘書室(財界)、広島支店代理店営業企画主査、北陸事業本部代理店営業企画課長、本社法人営業企画課長(総務、人事、労務)、本社スマートビジネス営業部課長(デジタルマーケティング)等を経て2023年現職。当所議員。



人財育成は使命

2024年11月1日(金)

大八化学工業株式会社 半田工場 工場長 金原真司 氏

布施工場(東大阪市)で、ユーザーの要望に応じて、物質同士を反応させるサンプル作成が、社会人としての第一歩だった。新たな物質を作る面白さ、合成した物質を分析し新素材や最先端の『ものづくり』に触れ、ひいては社会貢献にもつながるこの仕事は性に合い、やりがいのある日々を送り、充実したスタートを切った。 
「その後、福井工場開設に向けてのプロジェクトチームの一員として移設のための実験を重ねました。3年後の1993年、同工場の操業開始に伴い製造課に配属されました。入社5、6年目の私は、上司からの指導で製品を作る毎日は、チームで取り組む仕事で、『ホウレンソウ(報告・連絡・相談)』を大切にしてきました。仕事を任せてくれた上司との出会いは私の成長にもつながり、後年部下を持つようになった時もその上司に倣い、『部下の成長は仕事の一つ』として応援してきました」
 福井工場操業開始までの3年間は仲間との関わりを重んじ、生まれ持ったコミュニケーション能力を存分に発揮した。同時に聴く力を養ったのもこの時期であり、恵まれた環境にいたと感謝する。研究室と製造現場で働く日々であったが、突如として営業課長(本社)の席が回ってきた。時はバブル期、好景気で注文に生産が追いつかず販売調整に苦慮し、原材料の値上げラッシュで商品価格の高騰が続いた。
 「値上げ折衝行脚が始まりました。扱い商品を製造し現場を知っている強みがありましたので、論理的に説明するようにしてきました。値上げ折衝時、妥協点のすり合わせの権限は与えられていましたが、一円の値上げでも業績に大きく反映されます。権限を与えられることは嬉しい反面、責任の重さを実感し、やりがいを感じながらも、自宅では悶々とした時間を過ごしていました。ひたすら頭を下げて値上げに納得していただくことは非常に苦労しましたが、一番の思い出として残っています。営業にも慣れ、今後の対策を立てていた2年目に組織再編により異動になり、後ろ髪を引かれる思いで、寝屋川工場に赴任しました」 
 後に、様々な現場を経験し、寝屋川工場・福井工場長を経て、2022年2度目の半田工場に工場長として帰ってきた。同社の全3工場長に就いた初のケースで、他工場を知り尽くしているからこそ、半田工場の取り組みや改善に的確に対応した。1975年、市内日東町への企業誘致と同時に操業開始した半田工場は臨海部に立地し、施設の老朽化が最大の課題で、10年間ほどのスパンで整備計画に沿って工事を進めている。
 「赴任時は整備計画が始まって3年ほど、全社で施設の老朽化は大なり小なり課題になっているので、目新しいわけではありません。しかし製品が売れ続けていく中で、生産プラントを一定期間停止して整備をするためのスケジューリングが難しく、信頼できる部下と話し合いながら進めています。私は常にみんなで話し、相談しながら、全員が納得する方向で物事を進めてきました。自らの意見を発言したり、相談できる環境作りに努め、人の話を聴く『傾聴』も私の仕事と考えています」
 会社生活37年の間には、新製品の誕生、予測できない事態が勃発するなど様々な場面に遭遇してきた。生産現場で互いに意見を闘わせ、みんなで力を合わせる『ものづくり』は楽しくもあり性に合う仕事だった。反面、火災・爆発等の危険と隣り合わせという宿命は化学工場では避けられない。24時間体制で土日も関係なく操業を続ける中で、製造課長時代は連日連夜、緊張の連続だった。夜遅く電話がかかってくると不安に慄き、電話恐怖症になりそうだったと振り返る。
 「工場長の仕事は通算11年目を迎え、達成感を感じながら日々の仕事と向き合っています。今年度末に定年を迎えますが、この会社に入って本当に良かったと思っています。会議所さんが事務局を務め、日東町内の企業で構成する『日東会』に代表幹事としても関わらせていただき、半田をより知ることができ、様々な業種の人と交流し、色々なことを学びました。
 そして、これまでつくづく上司に恵まれた会社人生だったと感謝しています。私自身、多くの人に育てていただき、一番大切に考えている
『聴く力』が育ったのも、尊敬する上司との出会いがあったからこそです。人は仕事を通して成長し、成長に終わりはなく、成長した姿を見ることは嬉しいことです。社員を大切にして人財を育てることは、立場が上になればなるほど求められてくる要素だと思い、常に心掛けています。先輩たちに育てていただいた恩を、会社を背負ってくれる次世代の人を育てることでお返しする。それが今の私にとって最大の仕事だと思っています」 
 
●ちょっと一息●
 福井で3年、半田で3年目の単身生活です。自炊はしていないので、台所は綺麗です(笑)。福井時代は外食できるところは殆どなくコンビニ弁当という日が続きましたが、半田ではその点は助かっています。栄養補給は、会社の昼食時の仕出弁当に頼っています(笑)。また、私はインドア派で休みの日も自宅でテレビやYouTubeを観たり、気ままな単身生活です。趣味は寝ることです(笑)。 
 当社は定年後、再雇用を希望する場合は「採用地で勤務」という規定があります。これからのことはまだ考えていませんが、働くなら奈良の自宅から通うことになるでしょう。近くには孫もいますから、それもいいでしょうね。孫の成長は楽しみが尽き
ませんね。

1965年和歌山市生まれ、半田市在住。87年立命館大学理工学部化学科卒業。同年、大八化学工業㈱入社、大阪布施工場技術センター配属、福井工場、半田工場、本社等、寝屋川・福井工場長を経て、2022年現職。当所議員。