半田商工会議所 THE HANDA CHAMBER OF COMMERCE & INDUSTRY

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おらが作る魂の餃子を召し上がれ!

2026年7月31日(金)

お持ち帰り専門店 餃子のおら

青山にある「餃子のおら(以下、青山店)」が、テイクアウト専門の「お持ち帰り専門店 餃子のおら(以下、当店)」をオープンして3年が経った。
 かつて半田で持ち帰り餃子といえば、半田商工会議所の向かいにあった名店「三七福(みなふく)」を思い浮かべる人も多いのではないだろうか。当店もそんな風に「餃子と言えば、餃子のおら」と多くの方々に思い浮かべてもらえるよう、地域の皆様に認知され、愛されるお店になるよう努めている。

【地元食材とミツカンのポン酢に込めた、深い半田愛】
 当店で扱う商品は、青山店でも人気の中華料理だ。看板メニューの餃子はもとより、中華弁当やオードブル(ともに要予約)も取り揃えている。食材は国産にこだわるだけでなく、仕入れも市内の店舗から行う徹底ぶりだ。さらに餃子のタレには地元ミツカンのポン酢を採用するなど、随所に深い“半田愛”があふれている。

【常連客から看板スタッフへ!店を支える笑顔の田中さん】
 この自慢の餃子を一つひとつ丁寧に「握る(大将の表現)」のは、半田市在住の田中さん。もともと青山店の常連客だった田中さんが、お店を訪れた際、大将から「手伝ってほしい」と声をかけられ、「お昼の時間帯なら」と本業との掛け持ちで引き受けてくれた。頑張り屋の田中さんは、いつも素敵な笑顔と細やかな気配りで店を支えている。

【誰もが「ウマい!」と唸る、安心・安全のこだわり餃子】
 店名にも掲げる餃子は、一口サイズで薄皮なのが特徴。驚くことに、夏と冬で味付けを微調整している。焼き上がった状態でのテイクアウトはもちろん、生餃子や冷凍餃子を持ち帰り、自宅のホットプレートを囲んで熱々を味わうのもおすすめ。一口食べれば、誰もが思わず「ウマい!」とうなる、安心・安全の味。「子どもからお年寄りまで、全世代に食べてほしい」と大将は語る。


【「夜も開けたい!」家族団らんへ餃子を届けるためのスタッフ募集】
 しかし、現在の当店の営業時間は11:00~13:30と、お昼時のみにとどまる。「本当は仕事帰りの方にも立ち寄ってほしいから夜も開けたいんだけど、いまスタッフを募集していてね。夕方の3~4時間、働いてくれる元気で真面目なスタッフさんに、販売のお仕事をぜひ手伝ってほしいです」と大将は呼びかける。家族団らんのひとときに自慢の餃子を届けるため、夕方から夜にかけての営業を目指すのが、大将の今の願いである。


【我が子への愛から始まった「断酒」が、店に良い縁を運ぶ】
 プライベートでは、4歳と6歳の子を持つ父親でもある大将。実は7年前、子どもを迎えるにあたってお酒を断った。それまでは自他ともに認める「酒癖の悪さ」だったそうだが、「子どもにそんな姿は見せたくない」と一念発起。禁酒を機に新たな仲間や周囲の人が増え、今では青山店も非常に良い雰囲気に包まれている。

【プロや食通も納得!あの本格中華の味をご家庭で】
 そんな青山店には、県内外から和食の料理人や会社経営者など、舌の肥えたお客様が多く集まる。プロや食通をも納得させる味と素材だからこそ、その美味しい“中華”を家庭で手軽に味わえるのが当店の最大の強みなのだ。
 大将の夢は、息子たちがこの店を継いでくれることだ。「57歳の私も、生涯餃子を握り続け、東海3県にネット販売できるよう目指して頑張っています」と語る。
 「青山店は席数が限られており、ご不便をおかけすることもありますが、そんな時はぜひ当店でテイクアウトを。もちろん青山店でも焼き餃子や冷凍餃子は購入可能です」
 見た目は俳優の生瀬勝久さん、声は竹中直人さん似の大将。「恥ずかしがり屋だから写真は勘弁してよ」とはにかむ。ぜひ一度、その温かい人柄と魂の餃子に会いに、お店へ足を運んでみてはいかがだろうか。     

(取材:加藤由香恵)

【住所】 半田市清城町1-2-5 【営業時間】 11:00~13:30
【定休日】 毎週月曜・火曜   【TEL】 0569-33-9006



不易流行の精神で挑戦

2026年7月31日(金)

名鉄知多タクシー(株) 取締役社長 南 伸幸氏

 その時々に出会った人々、様々な経験は今も大きな財産となっている。己との闘い、自身に反しての英断を求められることもあった。そんな立場や使命が与えられた時、諸先輩方から発せられた言葉や学びに元気や勇気をもらい、真っ正面から向き合ってきた。リトルリーグに所属していた少年時代からそれは始まった。関東・関西方面に遠征し野球の楽しさに夢中になり、いつしかプロ野球選手になることを夢見た。当時、野球の強豪校として名を馳せていた大府高校に入学した。同校はその年の夏、2年生の春には甲子園出場を果たした。 
 「2年生で甲子園のサポートメンバーとして帯同しましたが、年々自分の実力を自覚し始めても野球への情熱は強く、社会科の先生として高校野球の指導者になろうと考えました。大学では軟式野球をしながらアルバイト。また、テレビの人気番組で視聴者参加型の『アメリカ横断ウルトラクイズ』に挑戦し、予選落ちしたために「自分でアメリカに行こう」とバックパッカーとしてアメリカ、カナダ、メキシコに旅しました。銃声を聞いて逃げ出したりホールドアップされたり、怖いもの知らずの一人旅でした。毎日が楽しくて、楽な方へ流されそうになった時には、恩師に叩き込まれた言葉『己に克つ』を思い出し、自らを奮い立たせていました」
 地元での就職を望む両親のたっての願いで、教職を諦め、地域貢献が出来るだろうと名古屋鉄道㈱に就職した。入社直後、車掌として乗務していた電車が車と衝突し目の前で出火、車外へ逃げ惑う人々、あわや大惨事になりかねないような体験をし、今もその様子はありありと目に浮かぶ。その時に安全意識が醸成されたようだ。その後ハイウェイレストラン、旅行センターなどで研修し、2年目の研修先として香港名鉄有限公司への辞令が降りた。
 「全社員5名で(役員2名、現地スタッフ2名)、グループ会社(コンビニ、旅行会社、不動産会社など)の窓口業務を担っていました。日本から注文された商材の買い付け、お客様のアテンドなど全ての仕事の窓口が私であり、現場を巡りながら、宴席も担当しました。多岐に亘る扱い商品、言語(広東語、英語)も必死で学びました。当時CMで流れていた流行語『24時間戦えますか』を地で行く新入社員でした(笑)。3年間の香港での駐在生活は1日も仕事に穴を空けることは無く、両親から丈夫な身体に産んでもらったことに感謝しています」
 帰国後はバブル崩壊による会社整理や、グループ会社再編に関わる部署に所属した。若干28歳、大先輩ともいえる経営者との交渉では『長幼の序』をわきまえて接していたが、上司から「昔はこうだったという理屈は通らない、方針は遂行する」と薫陶を受け、心を鬼にして役割として責務を全うした。再建を託された時には率先して現場で汗を流し、飲みニケーションでの会話を大切にし、実態を的確に把握して判断した。時には気弱になることもあったようだが、そんな時には、語学学校の教師の言葉『Where there's a will, there's a way. Nothing can be accomplished without effort.(なせば成る、なさねば成らぬ何事も)』に勇気をもらい、自らを叱咤激励した。
 「名鉄観光バス㈱、名鉄タクシーホールディングス㈱を経て当社に赴任した直後に、コロナ禍で離れてしまった乗務員の確保に取り組みました。『採用プロジェクト・ReBoost50』を立ち上げ、活性化し、乗務員を年間50名採用、自社での採用シェアを5割にすることを目標にSNSを活用しています。SNSはダンスをやらされるイメージを持っていたようで(笑)、踊るのは嫌だと警戒していた社員を説得して、会社を支えている様々な職種の社員たちが当社の特徴や魅力、仕事の公共性などを発信しています。次第に登場者も多くなり、私も参加しています。外部へのアピールだけでなく、社員の帰属意識が高まってきたように感じています。採用も順調に増えてきています」
 知多半島観光、知多四国八十八箇所巡り、通院、通勤、出張者の企業送迎、その多様性に応えるために『安全・もてなしの心・運転スキル』を要素として挙げ、教育に力を注ぐ。また、この秋、愛知県内で開催のアジア・アジアパラ大会の輸送業務に携わっていきたいと意欲を示す。社員全てが国内外の選手やVIPの方々と接することは自信に繋がり、その経験が仕事にも活きてくると期待する。
 「地元に根付いた会社なので、将来、余裕が生まれたら、タクシー業界から派生する事業を展開して、知多半島を盛り上げていきたいと考えています。色々な仕事を通して、『不易流行』の精神の大切さを深く心に刻んでいます」
 SNSでの試みもその一端で、野球で培った諦めない気持ち、チーム一丸で目標に向かう姿勢で、次なる挑戦が始まる。


●ちょっと一息●
 香港ではソフトボールやドラゴンボートチームに所属し、トレイルウォーク(山中を100キロ走ったり歩いたりする山コース)に仲間と参加し、完走後にはアルコールを浴びるほど飲んでいました(笑)。その延長線といえるかもしれませんが、「毎年1本フルマラソンに出よう」という目標で、ハノイマラソ
ン、ホーチミンマラソン、昨年は東京マラソンに挑戦しました。ベストタイムは3時間半強、今は4時間台になってしまいました。いつかはワインと仮装を楽しみながら走るメドックマラソンにも出たいと思っています。普段はランニングをし、歩くことが好きですね。野球は阪神ファンで、この間も甲子園へ応援に行ってきました。
 また競馬も趣味で、週1回1レースと決めて、金曜日には日経新聞の競馬欄、土曜日は競馬新聞で展開を考え予想をして日曜日に購入。たまにしか当たらないですね(笑)。その時は仕事も忘れて夢中になっていますので、ストレス解消に打ってつけです。釣りも好きで、奥さんと一緒に行く食べ歩きも楽しんでいます。運転をどちらがするかジャンケンで決めていた時は、よく負けていました。今は話題の店にタクシーで行くことも多くなりました。お酒も好きですからね(笑)。毎日奥さんと軽く晩酌もしています。あれこれやることが多い毎日ですが、そんな時間も楽しくいつもワクワクしています。
 
プロフィール:1965年名古屋市生まれ。常滑市在住。88年法政大学文学部地理学科卒業。同年名古屋鉄道㈱入社。89年香港名鉄有限公司、92年㈱名鉄総合企業、95年名古屋鉄道㈱関連事業部、2002年経営管理室(リストラ委員会事務局)、06年㈱金沢名鉄丸越百貨店(経営管理部長)、09年名古屋鉄道㈱関連事業部、11年㈱名鉄百貨店(経営企画部中計担当長財務部長)、14年名鉄観光バス㈱(取締役)、23名鉄タクシーホールディングス㈱(常務取締役)を経て、25年現職。半田商工会議所常議員。



「機能美100%」常識を破る愉しいモノづくり

2026年7月31日(金)

(株)藤工業所 三矢 学さん  

 私たちはステンレスやアルミニウムなどの金属を切ったり曲げたり溶接で引っ付けたりして様々な作品を製造しています。芸術家ではありませんが、美しい製品づくりを目指しています。その原点はレーシングマシンです。機能を追求し、ムダを削ぎ落とした結果として宿る機能美。以前鈴鹿8時間耐久レースにメカニックとして参加したとき、マシンの美しさのみならず、そこに集まった全員が0.1秒を切り詰めるために惜しみない努力を重ねる、そんな姿にもとても美しさを感じました。これこそが当社の合言葉である「機能美100%」です。
現在、私たちはこの高い技術力を活かし、『モノづくり現場のための救急救命隊』としての使命を果たしています。色々なところで断られ、「このままだと会社の命に関わる」と絶望しているお客様のピンチを救う最後の砦です。
 かつては「今でもいっぱいいっぱいなのに特急なんて無理です!」と社員に猛反対されました。しかし、私の尊敬する救急医療の現場と同じで、「助ける側(社員)が疲弊しては、次の命(仕事)は救えない」。だからこそ、私たちは徹底的な仕組み化を図っています。17時までに持ち込んでいただければ最速19時にお渡しできる超特急体制を、現場が自律して回せる土壌が、いままさに形になっています。美しい製品には、使い勝手の良さや強度の安定、後工程が楽になるなどの明確なメリットがあります。条件が異なってもその美しさを維持できること自体が、私たちの技術力の証明です。
 昨今、「図面通りに作ってください」という要求は時代と共に難度を増しています。設計先行で実現性の低い図面が提出されることも少なくありません。だからこそ当社の出番です。私たちは「図面から、それが実際に使われる現場の状況や状態を想像する力(翻訳力)」を持っています。図面の行間を読み、最適な形状をこちらから提案する姿勢が評価され、国内の名だたる企業や、4年前からはJAXA(宇宙航空研究開発機構)からもご相談をいただくようになりました。民間人が宇宙により安全に行くための燃料燃焼実験装置づくりに関わっていることは、私たちの大きな誇りです。
 AIやロボットが主流の現在ですが、私たちは全面的にデジタル化をするのではなく、アナログな職人の「感性」と手作業を大切にしています。万が一、当社での製作が難しい場合でも、「あそこの会社なら最適な機械や技術があるよ」と紹介できる『ハブ(地域の総合病院)』としての機能を担うことで、ライバル社とも切磋琢磨しながら共に成長したいと考えています。
 1990年の創業から36年。手のひらサイズから6メートルクラスの大型な精密製缶・板金、あらゆる材質に対応する職人による美しい溶接。そして、自分たちで何とかしようという土壌が醸成された最強のチーム力。私たちはこれからも、社員が元気で愉しく仕事に携わることができる職場環境(健康経営優良法人認定)を守りながら、日本のモノづくりを止めない最後の砦として走り続けます。
 2人でスタートした当社も現在は30名、その3割が女性です(あいち女性輝きカンパニー認証)。私たちは「働き方の常識」にも縛られません。現場や事務所だけでなく、国内外の優秀な在宅ワーカーとワンチームで動いています。メンバーは岐阜、富山、石川、茨城、さらにはスペインやベトナムと世界中に広がっています。特にスペインとは時差を活かし、彼女らが現地時間で仕上げた図面や見積もりが日本の朝一番に届く仕組みを構築しました。この24時間体制のバックアップがあるからこそ、私たちは現場を疲弊させずに、圧倒的なスピードで救命活動(特急加工)に取り組めるのです。最近では採用専門の担当者も加わり、Webを駆使した先進的な組織づくりへの挑戦を続けています。ただ、私が新しい提案をすると、大体現場の社員からまずは反対されるのですが、それも楽しみの1つとして受け止めています。
 また、モノづくりの愉しさを次世代に繋ぐため、半田商工会議所主催の『はんだオープンファクトリー』には初回から参加しています。子どもたちが私たちの作業手順をそのまま体験し、材料が形になっていく様子に目を輝かせる姿は、私たちの原動力です。仕事しているときに「ワーッ!」という歓声や拍手をもらえるなんて体験できないですからね!今年はどんな感動を届けようか、いまから知恵を絞っています。ぜひ、藤工業所の「機能美」を体感しに遊びにきて、そして私たちにも感動をください。(10月16・17日開催)
 私たちは、モノづくりに対する「姿勢」そのものを常に追求しています。その一つの答えが、昨年体験し、今年はスタッフとしても参加した日本古来の製鉄方法『たたら製鉄』にありました。釜に炭を入れ砂鉄を撒くという一見単純な作業です。この単純な作業なのになぜか毎回出来映えに違いが出来るのです。単純故にその違いを生み出すために、炭や砂鉄の入れ方、火の色・音・熱さに常に気を配ります。20分ごとに炭を投入したあとは釜の周りを徹底的に綺麗に掃除する。そうした心を込めた丁寧な手作業の積み重ねが、仕上がりに決定的な違いを生みます。効率化ばかりが重視される現代ですが、効率を超えた「非効率の中にある真の価値」を、私はそこで改めて体感しました。そこから生まれる鉄の美しさは唯一無二です。
 『神は細部に宿る』という言葉通り、見えないような細かい箇所にまで気配りをし、想いを込めることで、誰の目にも明らかな「美しい製品(機能美)」が完成します。アニメ『鬼滅の刃』に、刀鍛冶の鋼鐵塚蛍(はがねづかほたる)が、鬼に囲まれて命の危険が迫っていても一心不乱に刀を研ぎ続ける名シーンがあります。あの『職人の執念』と『究極の集中力』こそが、モノづくりの真髄です。私を含めた当社の職人たちも、そうありたいと日々精進しています。
 私たちは単に部品を作る会社ではありません。一度途絶えかけた日本古来の製鉄技術を復活させるお手伝いも含め、先人たちから受け継いだ「日本のモノづくりの魂」を次世代へ繋ぐこと。伝統的な技法を活かして最先端の技術に役立てる。それこそが、藤工業所がこの世に存在する意義であり、私の生涯をかけたライフワークです。

■ 半田市古浜町11  
■ 営業時間/8:00~17:00(月~金) 
■ TEL/0569-24-3422



壊すことは、創ることへの第一歩

2026年7月6日(月)

転生ブレイク(株)

 半田の街を歩けば、新しい住宅が建ち、古いビルが形を変え、常に変化し続ける風景に出会う。その変化の起点となる「解体」という仕事に、ひときわ熱い情熱と、ユニークな社名を掲げて取り組む企業がある。柊町に拠点を構える「転生ブレイク㈱」だ。

■ 経験から培った情熱と、創業への歩み
 代表の千葉侑樹氏と解体業との出会いは、大学時代に、友達がやりだした解体事業のアルバイトだった。それを機会に、バックホウ(重機)の免許をはじめ、業務に必要な各種資格を貪欲に取得していった。その後、一度は自動車販売や造園業など異なる業界を経験。しかし、様々な世界を見たからこそ、改めて「解体事業」が持つ可能性や、街を新しく創り出すという夢を強く実感することになる。「これこそが、今後の人生をかけた仕事だ」、その決意を胸に、2020年2月、半田市柊町にて「転生工業」として創業。着実に実績を積み重ね、2022年1月に「転生ブレイク㈱」として法人化を果たした。


■「転生」という名に込められた想い
 同社でまず目を引くのは、やはりその社名。「解体」から連想されるのは、一般的には「終わり」や「消滅」かもしれない。しかし、千葉代表が掲げる「転生」という言葉には、全く逆のポジティブな意味が込められている。建物は、そこに住む人、働く人の記憶が刻まれた場所である。その役目を終えた建物を一度フラットな状態に戻すことは、決して破壊ではない。新しい生活が始まり、新しいビジネスが産声を上げるための「再生の儀式」とも言える。古き良きものを整理し、新しい命を吹き込む準備をする。同社にとっての「ブレイク(解体)」は、まさに次のステージへ向かうための「転生」のプロセスである。

■ 7名のプロ集団による自社施工と、徹底した配慮

 同社の方針は、「安心、安全、迅速、丁寧な仕事を常識的な価格で提供」すること。このモットーを体現するため、現在は総勢7名のスタッフによる「自社施工」体制を目指している。下請け任せにしない体制だからこそ、元請企業や施主様からの「こうして欲しい、あれをやって欲しい」という現場の細かな声を何よりも大切に受け止め、柔軟かつ迅速に対応できるのが大きな強みである。
 また、解体工事の現場は常に危険と隣り合わせであり、騒音や振動といった課題も避けては通れない。だからこそ、同社が最も大切にしているのが「近隣への配慮」と「法令遵守」。工事着手前の丁寧な近隣挨拶はもちろん、防音・防塵対策の徹底は、地域密着型企業としての譲れないこだわりである。「転生ブレイクに頼んでよかった」という施主様の声だけでなく、近隣住民からも「しっかりした業者さんだったね」と言われる真摯な姿勢が、同社への信頼を確固たるものにしている。
 加えて、現代の解体業において欠かせないアスベスト(石綿)除去に関する安全管理の徹底や、産業廃棄物の適正処理・削減にも注力。愛知県の産業廃棄物収集運搬業の許可(02300228308号)を取得しており、現場から出るコンクリートガラ・加工石のリサイクルを実施するなど、廃材を「ゴミ」ではなく再資源化可能な「資源」として適切にハンドリングしている。また、同社では2026年5月に「SDGs宣言」を策定。「サービス」「環境」「人権・働きがい」「地域貢献・社会貢献」の4つの柱を掲げ、アイドリングストップ等のCO₂排出量削減、健康経営やハラスメント防止による職場環境づくり、空き家除却を通じた地域課題解決など、事業活動を通じた持続可能な社会の実現へ本気で取り組んでいる。ただ壊すだけでなく、地域と地球の未来を見据えた真摯な姿勢が、同社への信頼を確固たるものにしている。


■ 結びに代えて
 「壊す」という仕事を通じて、半田の街の「創る」を支える。内装の一部解体から、大規模な建物のスケルトン工事、そして更地化まで、多岐にわたるニーズに応える技術力と、それを支える誠実な人間性。同社が地域で選ばれ続けている理由は、単なる施工スキルの高さだけでなく、代表をはじめとするスタッフ一人ひとりの「顔が見える安心感」にある。
 同社の仕事は、今日もどこかで新しい物語の始まりをサポートしている。身近で建物の維持管理や建て替え、あるいは店舗の刷新を考えている方がいれば、ぜひ一度、この情熱溢れるプロフェッショナル集団にご相談ください。そこには、ただの作業ではない、未来を見据えた「再生」の提案が待っているはずである。(取材:中村稔晴)

【住所】本社:半田市柊町4-200-3 
 資材センター:半田市岩滑西町2-47-8
【代表】千葉侑樹
【TEL】0569-58-1479  【FAX】 0569-59-3181
【定休日】日曜日・祝祭日



責任と権限と誠実

2026年7月6日(月)

JFEスチール(株) 知多製造所 常務執行役員 知多製造所長 森岡 宏泰 氏

就職活動で鉄鋼、ガラス、半導体など材料に関わる企業を視野に入れ、川崎製鉄㈱(現JFEスチール㈱)に会社訪問した際、イキイキと働く社員の姿が印象深く、同社を志望した。製造拠点の東日本製鉄所千葉地区からスタートした社会人生活は、京浜地区を経て現在の知多製造所に至る。溶鋼がいくつもの工程を経て、最終製品である鋼材になっていく流れに沿うように、自身も歩を進めてきた。
 「溶鋼を高温で精錬してから固める鉄鋼生産プロセスの「上工程」の部署に配属された際、現場の操業条件を変えながら製品開発や品質改善のための実験を繰り返してきました。仮説を立てて検証を重ねる作業では、計算通りに行かない、理論通りの成果が得られないなど想定外の現象が起こります。没頭するタイプの私は、現場データを確認したり過去の文献を読み込んだりし、時には新しい発見にも出会いながら、夢中になって仕事に向き合っていました」
 実験結果によっては、共に実験を行うオペレーターや会社に大きな負担をかけてしまうため、責任は常に付きまとった。反面、自由に色々なことに挑戦する権限を与えられたことに感謝している。その責任と権限の重さに押し潰されそうになった時も、『任せていただいている』という思いのもと、エンジニアとしての使命を果たしてきた。入社間もない社員にも、自ら考え実践することを後押しする上司や先輩に導かれ、躊躇せずに新しい一歩を踏み出す機会に恵まれた。イキイキと働く姿は、かつて会社訪問で見かけた先輩社員を彷彿とさせ、挑戦を推奨する社風が育んできた伝統でもあるようだ。
 「入社3年目の頃、新たに操業を開始したプロセスの操業担当チームの一員になりました。メンバーが協力して、これまでにない全く新しい製造プロセスを構築し、生産性向上、コスト低減、品質改善などを図り、『大河内賞』を受賞しました。このチームに参画出来たことで、改めて『責任と権限』の重要性を実感しました。思い出深い仕事の一つです」
 製造技術開発分野の卓越した業績を顕彰する『大河内賞』の受賞は、大きな励みとなり、仕事に真正面から向き合うための大きな一歩となった。同時に、現場を的確に見ることの大切さも学んだ。入社直後、所内に掲示されていた『真実は現場にあり』という言葉が腑に落ちたという。現場とは、販売担当者であればお客様との対話の場、研究開発部であれば研究室など、実際に物事が起きている場所を指す。そうした現場で多くの人と連携しながら仕事を進めることが、やりがいの創出や成果の獲得に繋がると語る。多くの人の協力を得るためには『誠実』であることが不可欠であり、当時の経験や学びは、仕事に対する基本的な考え方として今も生きている。当日の取材に同席した社員からも「所長は私たちの名前を当たり前にご存知で、何でも自分事として捉えられていて、“ここはどうなっているの”と寄り添ってくれます」と、社員との連携や誠実な姿勢が語られた。
 「2012年、知多製造所に企画室長として赴任しました。それまで製造部門一筋だった私にとって、全体戦略を立案し推進するポジションや、鋼管(パイプ)の製造という分野は初めてでした。着任直後は明確な抱負を持っていたわけではありませんでしたが、俯瞰的に製造所全体を見ることが出来る立場にあったため、1年ほど経つ頃には知多製造所の課題が見えてきました。例えば、当所の『強み』を活かしながら、あるべき姿の実現を目指し、製造部長時代には施策を進めてきました。現在、当所で働く従業員は約2,700名で、当社の他地区と比較すると小規模な組織であり、製品の取り扱い量も社全体で占める割合のなかでは高くありません。一方で、スリムな組織であるため連携が取りやすく、迅速に意思決定・行動ができます。また、パイプ製造に特化している点は、全社的に見ればエッジ(端)に位置する特徴です。新しいことに挑戦するには、所帯が小さくエッジにある方が取り組みやすく、これらは当所の強みです。会社は責任を果たせば、挑戦するための権限も与えてくれます。私自身、このような環境の中で大きなやりがいを感じていますし、メンバーにも働きがいや、やりがいを感じてもらえればと思っています」
 メンバーとの関わりにおいては、適度な距離感を保ちながら支援の手を差し伸べる。「器用なタイプではないため取り繕うことができず、時には生まれ育った京都弁が出てしまうなど、いつも自然体です」と柔らかく語る。心は柔和に、仕事に対しては自らに厳しく向き合い、『責任と権限』そして『誠実』を貫く姿勢は、自身の生き方そのものである。


●ちょっと一息●

 中学時代から山登りを始め、日本百名山踏破を目指して日本各地の山に登ってきた。現在は単独、あるいは家族と共に日帰りや山小屋泊で楽しんでいる。登頂までには大変な思いをすることも多いが、山頂からの景色はそれらの苦労を忘れさせてくれるという。北アルプスの最高峰『奥穂岳』にも登り、「やはり山はいい」と語る。旅行も趣味で、時間を見つけては一人旅や家族旅行を楽しんでいる。新たな発見や異文化に触れることで刺激を受けている。何もせずに過ごすことが苦手な性格で、ちょっとした時間があれば『数独』に挑戦している。仮説を立てて検証することが好きであり、解けた時の達成感は格別だという。
 知多製造所に勤務してから単身生活を続けている。最近は家族が半田を訪れる機会も増え、スイーツ巡りやサイクリング、近隣の名所巡りなどをともに楽しんでいる。単身生活も14年経過すると慣れてきたが、炊事は依然として苦手で、外食や妻の作り置きに頼っているという。単身生活で一人の時間が増えたことで読書の機会も増え、それもまた充実した時間となっている。

プロフィール:1968年京都府生まれ。半田市在住。93年東京大学大学院工学部材料学科修了。同年川崎製鉄㈱入社、東日本製鉄所(千葉地区)製鋼部配属。2004年東日本製鉄所工程部計画室、09年東日本製鉄所(京浜地区)製鋼部製鋼工場長、12年知多製造所企画部企画室長、15年知多製造所製造部長、18年本社鋼管企画部、19年知多製造所企画部長、24年現職。半田商工会議所常議員。