

2026年7月6日(月)
半田の街を歩けば、新しい住宅が建ち、古いビルが形を変え、常に変化し続ける風景に出会う。その変化の起点となる「解体」という仕事に、ひときわ熱い情熱と、ユニークな社名を掲げて取り組む企業がある。柊町に拠点を構える「転生ブレイク㈱」だ。
■ 経験から培った情熱と、創業への歩み
代表の千葉侑樹氏と解体業との出会いは、大学時代に、友達がやりだした解体事業のアルバイトだった。それを機会に、バックホウ(重機)の免許をはじめ、業務に必要な各種資格を貪欲に取得していった。その後、一度は自動車販売や造園業など異なる業界を経験。しかし、様々な世界を見たからこそ、改めて「解体事業」が持つ可能性や、街を新しく創り出すという夢を強く実感することになる。「これこそが、今後の人生をかけた仕事だ」、その決意を胸に、2020年2月、半田市柊町にて「転生工業」として創業。着実に実績を積み重ね、2022年1月に「転生ブレイク㈱」として法人化を果たした。
■「転生」という名に込められた想い
同社でまず目を引くのは、やはりその社名。「解体」から連想されるのは、一般的には「終わり」や「消滅」かもしれない。しかし、千葉代表が掲げる「転生」という言葉には、全く逆のポジティブな意味が込められている。建物は、そこに住む人、働く人の記憶が刻まれた場所である。その役目を終えた建物を一度フラットな状態に戻すことは、決して破壊ではない。新しい生活が始まり、新しいビジネスが産声を上げるための「再生の儀式」とも言える。古き良きものを整理し、新しい命を吹き込む準備をする。同社にとっての「ブレイク(解体)」は、まさに次のステージへ向かうための「転生」のプロセスである。
■ 7名のプロ集団による自社施工と、徹底した配慮
同社の方針は、「安心、安全、迅速、丁寧な仕事を常識的な価格で提供」すること。このモットーを体現するため、現在は総勢7名のスタッフによる「自社施工」体制を目指している。下請け任せにしない体制だからこそ、元請企業や施主様からの「こうして欲しい、あれをやって欲しい」という現場の細かな声を何よりも大切に受け止め、柔軟かつ迅速に対応できるのが大きな強みである。
また、解体工事の現場は常に危険と隣り合わせであり、騒音や振動といった課題も避けては通れない。だからこそ、同社が最も大切にしているのが「近隣への配慮」と「法令遵守」。工事着手前の丁寧な近隣挨拶はもちろん、防音・防塵対策の徹底は、地域密着型企業としての譲れないこだわりである。「転生ブレイクに頼んでよかった」という施主様の声だけでなく、近隣住民からも「しっかりした業者さんだったね」と言われる真摯な姿勢が、同社への信頼を確固たるものにしている。
加えて、現代の解体業において欠かせないアスベスト(石綿)除去に関する安全管理の徹底や、産業廃棄物の適正処理・削減にも注力。愛知県の産業廃棄物収集運搬業の許可(02300228308号)を取得しており、現場から出るコンクリートガラ・加工石のリサイクルを実施するなど、廃材を「ゴミ」ではなく再資源化可能な「資源」として適切にハンドリングしている。また、同社では2026年5月に「SDGs宣言」を策定。「サービス」「環境」「人権・働きがい」「地域貢献・社会貢献」の4つの柱を掲げ、アイドリングストップ等のCO₂排出量削減、健康経営やハラスメント防止による職場環境づくり、空き家除却を通じた地域課題解決など、事業活動を通じた持続可能な社会の実現へ本気で取り組んでいる。ただ壊すだけでなく、地域と地球の未来を見据えた真摯な姿勢が、同社への信頼を確固たるものにしている。
■ 結びに代えて
「壊す」という仕事を通じて、半田の街の「創る」を支える。内装の一部解体から、大規模な建物のスケルトン工事、そして更地化まで、多岐にわたるニーズに応える技術力と、それを支える誠実な人間性。同社が地域で選ばれ続けている理由は、単なる施工スキルの高さだけでなく、代表をはじめとするスタッフ一人ひとりの「顔が見える安心感」にある。
同社の仕事は、今日もどこかで新しい物語の始まりをサポートしている。身近で建物の維持管理や建て替え、あるいは店舗の刷新を考えている方がいれば、ぜひ一度、この情熱溢れるプロフェッショナル集団にご相談ください。そこには、ただの作業ではない、未来を見据えた「再生」の提案が待っているはずである。(取材:中村稔晴)
【住所】本社:半田市柊町4-200-3
資材センター:半田市岩滑西町2-47-8
【代表】千葉侑樹
【TEL】0569-58-1479 【FAX】 0569-59-3181
【定休日】日曜日・祝祭日
2026年7月6日(月)
就職活動で鉄鋼、ガラス、半導体など材料に関わる企業を視野に入れ、川崎製鉄㈱(現JFEスチール㈱)に会社訪問した際、イキイキと働く社員の姿が印象深く、同社を志望した。製造拠点の東日本製鉄所千葉地区からスタートした社会人生活は、京浜地区を経て現在の知多製造所に至る。溶鋼がいくつもの工程を経て、最終製品である鋼材になっていく流れに沿うように、自身も歩を進めてきた。
「溶鋼を高温で精錬してから固める鉄鋼生産プロセスの「上工程」の部署に配属された際、現場の操業条件を変えながら製品開発や品質改善のための実験を繰り返してきました。仮説を立てて検証を重ねる作業では、計算通りに行かない、理論通りの成果が得られないなど想定外の現象が起こります。没頭するタイプの私は、現場データを確認したり過去の文献を読み込んだりし、時には新しい発見にも出会いながら、夢中になって仕事に向き合っていました」
実験結果によっては、共に実験を行うオペレーターや会社に大きな負担をかけてしまうため、責任は常に付きまとった。反面、自由に色々なことに挑戦する権限を与えられたことに感謝している。その責任と権限の重さに押し潰されそうになった時も、『任せていただいている』という思いのもと、エンジニアとしての使命を果たしてきた。入社間もない社員にも、自ら考え実践することを後押しする上司や先輩に導かれ、躊躇せずに新しい一歩を踏み出す機会に恵まれた。イキイキと働く姿は、かつて会社訪問で見かけた先輩社員を彷彿とさせ、挑戦を推奨する社風が育んできた伝統でもあるようだ。
「入社3年目の頃、新たに操業を開始したプロセスの操業担当チームの一員になりました。メンバーが協力して、これまでにない全く新しい製造プロセスを構築し、生産性向上、コスト低減、品質改善などを図り、『大河内賞』を受賞しました。このチームに参画出来たことで、改めて『責任と権限』の重要性を実感しました。思い出深い仕事の一つです」
製造技術開発分野の卓越した業績を顕彰する『大河内賞』の受賞は、大きな励みとなり、仕事に真正面から向き合うための大きな一歩となった。同時に、現場を的確に見ることの大切さも学んだ。入社直後、所内に掲示されていた『真実は現場にあり』という言葉が腑に落ちたという。現場とは、販売担当者であればお客様との対話の場、研究開発部であれば研究室など、実際に物事が起きている場所を指す。そうした現場で多くの人と連携しながら仕事を進めることが、やりがいの創出や成果の獲得に繋がると語る。多くの人の協力を得るためには『誠実』であることが不可欠であり、当時の経験や学びは、仕事に対する基本的な考え方として今も生きている。当日の取材に同席した社員からも「所長は私たちの名前を当たり前にご存知で、何でも自分事として捉えられていて、“ここはどうなっているの”と寄り添ってくれます」と、社員との連携や誠実な姿勢が語られた。
「2012年、知多製造所に企画室長として赴任しました。それまで製造部門一筋だった私にとって、全体戦略を立案し推進するポジションや、鋼管(パイプ)の製造という分野は初めてでした。着任直後は明確な抱負を持っていたわけではありませんでしたが、俯瞰的に製造所全体を見ることが出来る立場にあったため、1年ほど経つ頃には知多製造所の課題が見えてきました。例えば、当所の『強み』を活かしながら、あるべき姿の実現を目指し、製造部長時代には施策を進めてきました。現在、当所で働く従業員は約2,700名で、当社の他地区と比較すると小規模な組織であり、製品の取り扱い量も社全体で占める割合のなかでは高くありません。一方で、スリムな組織であるため連携が取りやすく、迅速に意思決定・行動ができます。また、パイプ製造に特化している点は、全社的に見ればエッジ(端)に位置する特徴です。新しいことに挑戦するには、所帯が小さくエッジにある方が取り組みやすく、これらは当所の強みです。会社は責任を果たせば、挑戦するための権限も与えてくれます。私自身、このような環境の中で大きなやりがいを感じていますし、メンバーにも働きがいや、やりがいを感じてもらえればと思っています」
メンバーとの関わりにおいては、適度な距離感を保ちながら支援の手を差し伸べる。「器用なタイプではないため取り繕うことができず、時には生まれ育った京都弁が出てしまうなど、いつも自然体です」と柔らかく語る。心は柔和に、仕事に対しては自らに厳しく向き合い、『責任と権限』そして『誠実』を貫く姿勢は、自身の生き方そのものである。
●ちょっと一息●
中学時代から山登りを始め、日本百名山踏破を目指して日本各地の山に登ってきた。現在は単独、あるいは家族と共に日帰りや山小屋泊で楽しんでいる。登頂までには大変な思いをすることも多いが、山頂からの景色はそれらの苦労を忘れさせてくれるという。北アルプスの最高峰『奥穂岳』にも登り、「やはり山はいい」と語る。旅行も趣味で、時間を見つけては一人旅や家族旅行を楽しんでいる。新たな発見や異文化に触れることで刺激を受けている。何もせずに過ごすことが苦手な性格で、ちょっとした時間があれば『数独』に挑戦している。仮説を立てて検証することが好きであり、解けた時の達成感は格別だという。
知多製造所に勤務してから単身生活を続けている。最近は家族が半田を訪れる機会も増え、スイーツ巡りやサイクリング、近隣の名所巡りなどをともに楽しんでいる。単身生活も14年経過すると慣れてきたが、炊事は依然として苦手で、外食や妻の作り置きに頼っているという。単身生活で一人の時間が増えたことで読書の機会も増え、それもまた充実した時間となっている。
プロフィール:1968年京都府生まれ。半田市在住。93年東京大学大学院工学部材料学科修了。同年川崎製鉄㈱入社、東日本製鉄所(千葉地区)製鋼部配属。2004年東日本製鉄所工程部計画室、09年東日本製鉄所(京浜地区)製鋼部製鋼工場長、12年知多製造所企画部企画室長、15年知多製造所製造部長、18年本社鋼管企画部、19年知多製造所企画部長、24年現職。半田商工会議所常議員。
2026年7月6日(月)
LINE ARROWは「日常に輝く道しるべ」をコンセプトに、世の中に潜む美しい形や風景を切り取り、小さく精巧なシルバーアクセサリーへと仕立てています。シンプルでありながら洗練されたデザインは、性別年齢を問わずたくさんの方にご好評いただいております。そんなブランドが生まれたのはつい去年の夏のこと。人生のターニングポイントでした。ものづくりが昔から好きだったことから自動車部品メーカーの技術職に就職。当時アクセサリーは全く興味はなく、
休日は暇さえあればバイクでツーリングやキャンプをする日々。長期休暇には北海道や九州へもバイクで行ってしまうような技術者兼旅人でした。
そんなある日、親から「最近はアクセサリーも3Dプリンターみたいな工作機械を使った製造が広まってきている」と聞き、興味本位で調べてみました。ただ当時の自分の機械と技術では主流の製造方法はできず諦めました…で終わらないのが技術者の性で、勤め先の自動車製造技術と当時趣味で始めた3Dプリンターを活用したところ、本当にシルバーアクセサリーができてしまいました。画面の中のものがシルバーアクセサリーとして実体化できた感動に胸がときめきました。その時初めて作ったシルバーアクセサリーは、大分を旅した時に鍾乳洞で見かけたダイビングの道具を元にアレンジしたデザインでした。三角形の輪郭で、ロープを通して出口を指し示す道具で「LINE ARROW」という名前だそうです。自分の作るシルバーアクセサリーも人に輝く方向を示す道しるべになるようにと意味を込め、この道具を屋号とシンボルマークとして活動しようと決めました。
趣味で製作していくうちに、自分の中で完結させず、もっとファッションが好きな人に着けてもらいたいと夢見るようになりましたが、仕事との両立は現実的ではありませんでした。そこで技術者に戻れる命綱として国家資格を取得後退社し、思い切って宝飾業界へ飛び込むことにしました。学生の時、親の反対を押し切ってヒッチハイクを敢行したり無断でバイクを購入したりと、興味を示すものに対しての決断と行動力は、人一倍の自分にとってこの決断も迷いはありませんでした。
技術者から転身するきっかけは他にもいくつかありましたがその中の一つが起業支援を行う公共施設コココリンの設立でした。当時ものづくり以外素人だったため、起業相談やセミナーを通して事業に必要な情報収集に活用させていただきました。また同施設で委託販売もさせていただき、商品のラインナップや見せ方を実践的に学ばせていただきました。その成果もあってか、初めてのマルシェ出店は小雨だったにもかかわらず、たくさんの方がお店に足を運び作品を選んでくださいました。誰も来なかったらどうしようと最初は不安でしたが、お客様の耳元や首元で輝く作品とお客様の嬉しそうな表情を見て、初めて自分の活動が誰かのためになったと救われた気持ちになりました。
地道な活動の甲斐もあり、リピーターさんが時々差し入れをくださったり、学生時代の同級生や後輩が遊びに来てくれたりと、少しずつお店を中心にコミュニケーションが生まれ始めています。作品製作が孤独との闘いなだけに、イベントでのそういった励ましや優しさが心に染みます。
作品は世の中に潜む“美しい”形や風景を題材にしています。登山の時に眺めた北アルプスの山並み、きれいな線を引く万年筆、水族館で優雅に泳ぐマンタ。その感性に刺さった物体の「美しさ」の正体って何なんだろう?という問いに対してピクトグラムのように抽象化し銀一色で表現することで、整理された情報の中から自分なりの答えを導き出す。そして最終的にアクセサリーに仕立てることでお客様にもその「美しさ」が伝わるようにしています。
また技術者時代は1/1000㎜の寸法と戦っていたこともあり、シルバーアクセサリーでも同じように寸法や重量、重心を厳しく管理しています。マルシェなどでお客様の声をお聞きする中で分かったのですが、そういった当たり前だと思っていた品質管理が、実は精巧さや統一感といったブランドのこだわりとしてお客様に伝わり手に取っていただくきっかけになっていたようで、ものづくりの面白さをまた一つ知ることができました。そんな生活の軸が作家活動になり時間があれば作業したいという日々に、それまで毎週末乗っていたバイクに乗りたくても乗るのを許せない自分がいました。
どうすればバイクに乗るのを許せるだろうか…「そうだ、バイクに出店道具全部積んでしまおう」と普通の人はならないと思います。限られた積載量と重量増加によるバイク操作の難しさがありますし、何より前例がないことですが、日本をバイクで3周も旅した経験からか何となくできる自信があり、発想から1ヶ月で本当に実現させてしまいました。
今年の3月からバイク出店をスタートし、シルバーアクセサリーだけでなく、バイク目当ての方も来ていただけるようになりました。バイクが立派な客寄せパンダになってくれて、子どもたちからのかっこいい!の声は何だかヒーローになったみたいでうれしいですね。5月に京都の平安神宮の前で出店した際は海外の旅行者の方々にも絶賛いただけたのが想定外の喜びでした。
これからさらに本格的なジュエリーを作れるようになるため、今は作家活動をやりながら専門学校で宝飾品製作の基礎を学んでいます。さらにこの一年の活動の集大成として、7月初旬には全国からジュエリーブランドや作家が東京に集結する国内最大の宝飾イベント「JAPAN JEWELRY FES」への出店を予定しています。少し背伸びをして失敗することもあります。しかし日々の挑戦は、ブランドも私自身も確かな成長へと導いてくれています。お客様にこのブランドを選んでよかったと思っていただけるよう、妥協のない作品制作と精一杯のおもてなしと感謝を忘れずにこれからも精進してまいります。
そしてこの日常の輝きを全国へ届けられるよう、大好きな愛車とこれからまた日本各地を駆け巡ります。
■ mail:linearrow213@gmail.com
■ tel :090-3444-5500
2026年6月1日(月)
子どもの頃、科学雑誌や理科の実験に興味を持ち、つくば万博で見た科学技術に感動し、それに関連するような仕事に就けたらと望んだ。大学院修了時、メーカーの研究所に就職する同級生も多くいたが、学んだことで社会の基盤を支える仕事をしたいと同社に入社、岐阜支店岐阜電力センターに配属となった。
「最初の2年間は町中や山間部に建つ鉄塔の点検などの保守業務、その後の2年間は送電線の設計・工事業務に従事し、現場の基礎を学びました。まちの発展に必要な電力を送ることのできる送電線を建設するのですが、設計では送電線の太さ、鉄塔の高さや強度、基礎の大きさや敷地面積、そして予算を決めていきます。その後、行政との調整や工事業者を選定し施工管理を行います。岐阜では2件の工事を完工し貴重な経験ができました。仕事は、現状を把握し、計画を立て、周りの人の協力を得ながら調整をし、ゴールに向かって進むスタイルが基本です。入社して3年目の私に、ものを造ることを通して仕事の進め方を教えてくれた上司と出会えたことは幸運だったと感謝しています。同時に、形として残る仕事は印象深いものです」
その後、工務部では送電線の研究(風圧に耐える特殊な電線の開発等)、送電業務の指針や手引の作成(電線に流せる電流の容量の決定等)に関わった。原価グループでは電気料金の算定業務に従事し、国への申請にあたり霞ヶ関の経済産業省に『なぜ、原価がこうなった?』と問われた時に妥当性を説明した。そして東京支社では、災害時の停電の復旧計画を求められた時に、作業工程を具体的に説明した。大学で学び、現場・技術系畑で働いてきた知識やスキル、経験が活きた。
「私もそうですが、とかく技術者は自分の発言が正しいと思いがちです。しかし、誰もが一生懸命頑張り、色んな考えや想いを持って仕事をしています。ですので、人と接する時は相手の話を良く聴くように努めています。三重で初めて組織の長になった当初は、他グループから質問されると、つい自分が動いて対応してしまっていました。ずっと担当でいたので、その癖が抜けなくて(笑)。部下の能力や性格、適性に応じた役割があり想いがあると反省し、聴くことの大切さを実感しました。また、私
が入社数年で鉄塔を建てたのは自分だけの力ではなく、未熟な私を上司がしっかりフォローしてくれたおかげでした。私も部下には、上司がしてくれたように部下の将来を考え責任感を持って臨んできたつもりです」
入社して30年余が過ぎた。その間様々な仕事に携わったが、2021 年11月に制定した『中部電力グループ経営ビジョン2.0』を一番印象深い仕事として挙げる。2050年の社会像を見据えて、想定されるエネルギー・環境政策、経済、社会、技術の変化に向けて、持続的な成長を実現するための取り組みを具体的に表し、同社の目指す姿を示している。安心・安全、脱炭素、分散・循環型社会に挑戦し、『社会の基盤を支えたい』という入社動機の熱い想いも込められている。
「今まで私が経験してきた全てを踏まえて記してきました。ビジョンのような夢のある目標は簡単には達成できませんが、背伸びすれば手が届くような、ストレッチゾーンの目標に向かって努力することで近づけると思います。頑張って挑戦し不可能と思っていたことも可能になれば、それぞれの成長にも繋がります。形に拘る方ではありませんが、ビジョンが明確になれば仕事がし易くなり、みんなと一緒に一つずつ形にしていくことは嬉しく、やり甲斐もあります」
2020年に送配電事業会社として中部電力㈱から分社化した中部電力パワーグリッド㈱の半田支社長に着任し1年が過ぎた。エリアとする知多半島、名古屋市南部は、日本の縮図のような地域だと語る。人口増加のまち・過疎化が進むまちもあり、商業・工業・漁業・農業・空港などあらゆる産業の中で仕事が経験できる、若手にとって最適な支社と評する。新入社員時代に上司から学んだ「安全に安定した電力を送り続けること」、「新たな技術やルールを取り入れ、ワクワクする新しい取り組みに挑戦し、より安全で安価な電力を送ること」、その『不易流行』の精神を社員に引き継ぎ、活躍してくれることを期待し楽しみにして
いる。
「3年前、支店・電力センター・営業所機能を統合した組織改定により、半田支社として生まれ変わりました。送電線・変電所・配電線の計画・建設や維持管理、お客さまへのご対応等、部署毎での仕事ですが、同じ電気を送る仲間が融合して効率化を図り、互いに支え合いながら職務に向き合っていただきたいと思います。そのためには安全・コンプライアンスの徹底、社員の健康を守って、始めてスタートラインに立てます。そこに課題があればなんでも言ってもらえる風通しの良い職場にしていきたいと思っています。全体最適を実現した上で、プラスα の取り組みができればとても嬉しいですね。今までは電力センターでの仕事の記憶から鉄塔に目がいきがちでしたが、今は電柱が気になって、街中でも空を見上げています(笑)」
数年で部署が変わり、常に新しいミッションが与えられた。どんな時も果敢にチャレンジし、社会に貢献できるようにとベストを尽くしてきた。技術開発や工夫により安価で安全・安定・高品質な電気を送り、社会の基盤を支えたいという想いは、入社したその日から変わらない。
●ちょっと一息●
19年前から大府に住んでいますが、知多半島を訪れたのは海水浴や魚の美味しい海辺のまちで、半田には目が向いていませんでした。実際来てみると歴史と伝統があり、住んでいる人も自分のまちが好きで、私の故郷、桑名と似通った点が多く、懐かしく大好きなまちになりました。ゴールデンウィークにロータリー仲間から誘われた『亀崎潮干祭』は、地域の繋がりを強く感じ、その勇壮華麗さに魅せられて、半田の素晴らしさを再認識しました。
好きな技術、理系に進んだものの、なぜか良い点が取れたのは国語や世界史で、歴史小説を読むのが好きです。小学校の頃の『三国志』に始まり、司馬遼太郎の『坂の上の雲』、社会に出てからは塩野七生の『ローマ人の物語』や宮城谷昌光の『晏子など数々の歴史小説を夢中になって読破しました。趣味の旅行でその小説の舞台を訪ねることが多く、3年前には会社のリフレッシュ休暇を利用して、『ローマ人の物語』の舞台、イスラエルとスペインを旅しました。マサダの要塞、アルハンブラ宮殿など、その歴史背景を知って行くとまた違った角度から見ることが出来て、旅はより意義深いものになります。自分の住んでいるまちの良さや課題の発見や、自分のことを振り返る機会にもなるので、若い時に旅に出ることをお勧めします。私も旅に出て色々なことを感じてきましたが、もう少し年を重ねてからの旅は家族のためのものにしたいと思います(笑)。それもまた楽しいものでしょうね。
プロフィール:1968年名古屋市生まれ。幼少時知多市に住み、小学校以降は三重県桑名市で暮らし、現在は大府市在住。93年筑波大学大学院理工学研究科修了。同年中部電力㈱入社。岐阜支店岐阜電力センター配属、97年本店工務部技術開発グループ、99年本店工務部送電グループ、2001年本店経営戦略本部原価グループ、05年東京支社、08年三重支店技術部送電課、20年本店経営戦略本部戦略グループ、23年本店技術開発本部技術企画室、25年現職。当所常議員。
2026年6月1日(月)
半田市にある海音。天然酵母パンの店として知られるこの場所で、いま注目を集めているのが「玄米めん」だ。この取り組みの背景にあるのは、「“玄米が好き”というシンプルな想い」。ご夫婦で営む同店の奥様は、そう語る。もともと酵素玄米を練り込んだパンを作ったり、土曜日限定で玄米のお弁当を提供するなど、日常的に玄米を取り入れてきた同店。さらに、美浜町で自然農法による米づくりにも取り組み、食材そのものと向き合う時間を大切にしてきた。
ただ、自ら育てた米は収穫量に限りがある。そこで出会ったのが、「玄米を麺にする」という発想だった。美浜町で育てた米を製麺所で加工し、玄米めんとして届ける。これまでの積み重ねが、新たなかたちへとつながっている。
「玄米の栄養を、もっと手軽に摂ってもらいたくて」。奥様は、そう語る。日々の食事の中で無理なく取り入れられることを大切にしながら、この玄米めんを形にしたという。
販売が始まると、その味わいと希少性から評判が広がり、入荷してもすぐに売り切れてしまうほどの人気となっている。
この玄米めんは、うどんやパスタ、ラーメンなど、さまざまな料理にアレンジできるのも魅力のひとつだ。実際に手に取ってみると、もっちりとした食感と、噛むほどに感じるやさしい風味が印象的で、どんな食べ方でも自然と食卓になじむ一品となっている。
また奥様は、小麦についてもこう話す。「輸入小麦に比べて、国産小麦はグルテン量が少ないといわれています」。半田市には、素材にこだわったパン屋が多く、同店もそのひとつだ。グルテンフリーを意識している人にとっても、日々の選択肢の中で無理なく取り入れられる環境が整っている。
「ずっと我慢するのではなく、時には楽しむことも大切にしてほしい」。そんな想いから、グルテンフリーに取り組む人にとっての“選択肢のひとつ”としても、この店を利用してほしいと話す。
パン屋という枠にとどまらず、日々の食をどう豊かにするか。その積み重ねの中から生まれた玄米めんは、これからの食のあり方をやさしく示しているようにも感じられる。
まだ知らない人がいるなら、ぜひ一度手に取ってみてほしい。海音には、日常の中に無理なく取り入れられる“やさしい選択”がある。 (取材:大岩咲紀)
【住所】半田市清水北町60
【TEL】 0569-22-5530
【定休日】日・月曜日
【営業時間】10:00~18:00(なくなり次第閉店)
土曜日 10:00~16:00