2023年3月30日(木)
27歳で仲間と独立。30歳になって、精神的に余裕も出てきたため、新しく挑戦したのが英語でした。大好きなアガサクリスティを原書で読みたいという思いも昔からありました。それまでの私は留学経験どころか、海外旅行の経験もゼロで、英語を学ぶにあたり、先生は洋書・洋画・洋楽でした。
英語学習を始めた2000年から2010年あたりは、インターネット上で「ブログ」が流行していました。インターネット上の交流から英語学習仲間のコミュニティが形成され、オフ会(オフラインミーティング)が開催されるように
なりました。私が所属していたコミュニティでは、年に1回のオフ会開催時、何らかの形で英語に関連した発表をしようという決まり事がありました。そこで私は事前に参加した英語落語ワークショップで披露された演目を耳コピし、それを仲間に披露しました。笑い上戸の仲間がゲラゲラ笑ってくれて大盛況、その空気の中「英語落語は天職だ!」と思ったのが運の尽き、英語落語の世界にドップリとハマってしまいました。
落語は元々、主に会話で構成されています。それを英語で披露します。会話を磨くことで英検やTOEICといった検定のリスニングにも応用できます。また座布団1枚あればどこでもできます。設営も片づけも早いです。演目時間も調整可能です。まさに一石二鳥、三鳥です。2010年から2年半、東京の英語落語教室に通っていましたが、2013年よりフリーランスの「喜餅」として活動をすることになりました。以来、日本の伝統話芸「落語」を英語で海外の方達に紹介し、世界中を笑いと感動で包みたいと思い、取り組んでいます。
国内で英語落語をご覧になるお客様は、外国人の方達も含め、様々です。日本人の中にも、英語を学んでいる方、英語を教えている方、英語がわからない方もいらっしゃいます。英語力の違い、そして日本の文化や風習に対する理解度の違いなどもあるため、時には演目を披露する前にその辺りの知識を共有します。年に1度、愛知県立大学さんにて講義をさせて頂いています。英語落語を披露し、英語の活用や勉強方法などを全て英語で講演します。その中で学生さんから頂いた質問で「(演目の中で登場した)隠居という言葉は、どういった意味の英単語ですか?」というものがありました。同じ日本人でも、世代によって触れている文化の違いがあることを実感しました。そのため古典落語を披露する際は、知識の共有に配慮しています。
2017年に「アメリカで英語落語をやりたい」とクラウドファンディングを通じミシガン州6か所7公演をしました。人生初のアメリカでした。たった一人での遠征、初めての左ハンドルに右車線、道中のドタバタ劇や公演の様子をインターネットで配信し、支援を頂きながらの旅でした。現地の方達からは「落語の登場人物は、誰も傷つかないのがいいね」と言われ、嬉しかったことを覚えています。その後、英語落語の可能性、そして落語が持つ話術としてのスキルをコミュニケーションに応用できないかと考え、株式会社 Project K を設立しました。話し方やコミュニケーションスキルを磨く社員研修やワークショップを開催しています。また落語のスキルをスピーチやプレゼンテーションスキルに応用し、パブリックスピーカーとしても活動しています。
その活動の一つとして、アメリカで誕生した「トーストマスターズクラブ」という非営利団体が毎年開催しているスピーチコンテストにも挑戦しています。2017年に日本語・英語部門で全国大会に出場、昨年はユーモアスピーチコンテスト(日本語・英語)全国大会に出場し、日本語部門で3位を獲得しました。夢は世界大会で優勝、決勝で「ホンノキモチ(トーストマスターズクラブでの登録名)」と呼ばれることです。
今、YouTube 上に「喜餅っちゃんねる」として英語落語の演目や、私が見聞きしたもののレビュー、思いや考えを投稿しています。定期的に投稿しているラジオ動画では、映画や格闘技など雑多なテーマについて語っていますYouTuber として考えると、YouTube の運営はテーマを絞った方が絶対に良いです。しかし私はこのチャンネルを通して「喜餅ってこういう人」と、ファンになってもらえたら嬉しいなと思っています。元々私は、色々なことを知りたい、挑戦したい、スキルを身につけたいという思いがあり、発信しています。またそれが新たな英語落語の可能性を開くことにつながっています。
先日、とあるスペインに関連する団体へ営業メールをしたところ、「スペインと日本の架け橋となるような噺はできますか?」という返信を頂戴しました。慶長遣欧使節と、日本からヨーロッパに広がった椿が、頂戴したリクエストに
沿うことができそうでしたので、この二つを絡めた噺を創作すべく、文献を調べています。
最近は対面で演じる機会も戻ってきました。是非、半田市を訪れる外国の方達に、地場産業の一つである「お酒」にまつわる英語落語を披露してみたいと思っています。また私自身が運営する(落語の世界では席亭といいます)「どまんなか寄席」をはじめ、全国各地で英語落語を披露しています。そういった時にご提供いただいた半田市の名産を紹介し、気に入ってくださった方達を購入に促す導線となるような、いわば非公式の観光大使のようなお役目を果たせたらと考えています。また前述の YouTube での紹介なども行っています。会議所の会員さんで自社を発信したいと考えていらっしゃる方、私なりの目線で紹介し、盛り上げさせていただきます。ご相談ください。
私のキャッチコピーは「社交的な引きこもり」です。家にいることが好きだけれど、人前で表現をすることも好きな人間です。高校時代はバンドでギターを担当し、YAMAHA のTEEN'S MUSIC FESTIVAL で全国大会に出場(私の母校のフォークソング部が3年連続で全国大会に出場)しました。そんな私は「半田愛」をストレートに表すタイプではありませんが、生まれ育った半田市に恩返しがしたいです。
とあるお客様にいただいた言葉「喜餅の英語落語には中毒性がある」に歓喜!英語落語家・喜餅は死ぬまで英語落語家です !
■半田市吉田町3ー80ー5 ■277220 ■https://rapid20.net/20182142010*0
2023年1月30日(月)
いつも誰かが僕を導いてくれました。自分で作った味噌や醤油を使って飲食店をやろうと高校に入学しましたが、先生から「お喋り相手に適していると思うので、介護士は?」と薦められました。その頃は福祉関連の仕事はボランティア的なイメージが強く「ボランティア精神がある人と見られるのはいいな(笑)」とその道に進みました。介護の専門学校の先生に「先生に向いているから、現場で経験を積んで帰っておいで」と言われ介護施設で働きました。両親が共働きで、じいちゃん、ばあちゃん子の僕は利用者さんと話すのは嬉しくて、先生になった時に話せることをいっぱい作ろうと、毎日頑張り楽しく仕事をしていました。でも、その楽しさも長く続きませんでした。
母は25年前にアパートやマンション・戸建・事務所・店舗 ・駐車場・ 工場・倉庫など賃貸物件の管理会社を始めました。定年後に母の会社を手伝う予定だった父が突然亡くなり、母に導か
れるように家業に関わることにしました。入社したのは22歳で、それまで母の仕事に興味も持つこともなく、賃貸物件のことは何も知らず「違う世界に入ってしまった」と戸惑うことばかりでした。家賃滞納をした人に催促に行くと、身の上話を聞かされて僕も一緒に悩み、仕事の範疇を超えたお節介を焼いたりしていました。それを母が許してくれましたし、母は僕以上に関わってしまうこともあって(笑)。
希望を持って開業した人が家賃を滞納して退去していく姿を見て、衣食住の『住の仕事』は、人と深く関わらなければならないと実感しました。そこは介護の仕事とリンクする部分で、今までの経験を活かせるかもしれない、僕でも出来る仕事かもしれないとやりがいを持てるようになり、仕事が好きになっていきました。
当社は家主さんから物件をお預かりし、借主さんに一定のサービスをお届けし、家主さんの手を煩わせることなく家賃収入をお支払いするのが仕事です。そのサービスの度合いは人それぞれのようで、借主さんたちから「階段にゴミが落ちてるよ」「隣の部屋のカラオケの音がうるさいから注意して」「ビデオ録画が出来ないから来て」など、日常生活で気になることがあると連絡が入ります。即対応を心掛けているおかげで網戸の張り替え、鍵の交換、水道パッキンの交換など出来ることが多くなりました(笑)。クレーム処理は適職と思っていますが、僕の処理能力を超えるとちょっと言葉尻が強くなってしまうこともあります。でもすぐに「何て言えばよかったのだろうか」と自己嫌悪に陥り意気消沈しています。そんな繰り返しですが、借主さんと仲良
くなることで些細な情報(共有灯が消えているよとか)も入って来ますから、家主さん、借主さんとお話するのは大切な時間と思っていますし、とても楽しい時間です。興味を持たれる分野は様々ですので、どんな話にも対応できるよう、あちこちにアンテナを張っています。得意分野は芸能界全般です(笑)。
月1回ほどの家主さんへの訪問は、いかに楽しい訪問が出来たかがポイントと考えています。「いつ来るの?」「もうじき来るんだよね!」そういう連絡が増えていくのはとても嬉しいことです。もちろん仕事ですから楽しいことばかりではなく、会社存続のために死に物狂いで勉強した時期がありました。この業界は宅地建物取引士の有資格者が在籍することが必須です。勤めてくれていた有資格者の方が1年後に退職することになり、僕がその資格を取ることになりました。週2回の学校、仕事が終われば集中できる漫画喫茶で勉強し、40kg痩せました。今は戻っていますが(笑)。生まれて初めて本気になって勉強したので、ストレスがかかってしまったようです(笑)。
昨年11月に現在地に移転し社屋を建て、そのタイミングで僕が代表となり(母は会長に就任)気持ちを新たに日々邁進しています。会長の今までの経験や知識には及ばず、到底同じことは僕には出来ません。会長は真っ直ぐな人で、自分が決めたルールからはみ出ることはありません。それは尊敬すべき凄いことで、家主さんとの深い信頼関係もそこから生まれていると感じています。それがあったから長年、不動産会社の女性社長として務められたと思っています。ルールに縛られず、時には柔軟に、いい加減に対処するのが僕なんですね。会長といいバランスかなと思っています。
会長は相続や保険についてのスペシャリストです。僕は若さを武器に、トレンドや現状にあった提案ができるのではないかと密かに思っています。相続や保険、必要なこと全てのスペシャリストになるのが僕の目標です。そして、会長の担当している家主さんが「息子がいいね」と信頼して僕を担当者にと指名してくれたら僕の勝ちと思っています。その日に向けて毎日頑張っています。
■ 愛知県半田市岩滑中町3丁目73番地
■ 営業時間 9:00~18:00 ■ 定休日 土・日・祝
■ 24-0035 ■ https://www.toukaikanri.com/
TEL.21-0311(広報チーム)
2022年12月27日(火)
楽しいは、美味しい!
小学生の頃から料理が好きで、フランス料理の料理人を目指しました。そのころにレストランウエディングが流行り出し、ウエディングケーキの担当となりました。今はケーキはパティシェ、料理は料理人と専門分野に分かれていますが、当時は言われるままに何でもやっていました。見よう見まねで始めたケーキ作りに魅了され、パティシェとして再スタートを切ったのは25年ほど前のことです。その後ケーキ店、レストラン、結婚式場で働き、今年5月にオープンしました。
僕は型にはまるのが好きではなく、どちらかというと自由奔放に生きてきて、勢いでオープンしたという感じです(笑)。ただ僕にとっては生涯最後の大きな決断で、やるからには全力で後戻りはできないと喜びと責任感の中でのスタートでした。オープン時がコロナ禍ということもあり、店名はひらめきで、un Calme(アンカルム)(穏やか、落ち着き)とし、ケーキを食べて、ほっこりしていただけたらという想いを込めました。
オープン当初は大勢のお客様がご来店され、嬉しい悲鳴を上げていました。作り手の僕と接客の妻、店の前で並ぶお客様の案内を中学生の息子が手伝ってくれ家族総出でてんてこ舞いでした。夏ごろには一息つき、最近はニコニコと心から楽しくケーキを作る余裕も生まれました。オープン当初は必死で、鬼の形相だったかもしれません(笑)。半田は妻の出身地とは言え、地縁もない私がオープン時から多くの方にご来店いただいているのは、今までお世話になった方々の温かい応援からです。以前『KItchen Kato』でデザートを担当していました。そのことが縁でオーナーの加藤さんからは店のPRやお客様へのご紹介もしていただき、支えてもらっています。恩返しも出来ていないのですが、周りの方々の優しさに常に感謝しています。
僕は僕の味を提供するために自分のペースで、一人で1から10まで作っています。そこは譲れないこだわりです。贅沢な仕事の仕方だと思っていますが、だから閃きも生まれると信じています。かつて先輩に「楽しく作らなければ美味しいものは出来ない」と言われたことがありますが、僕はいつもケーキ作りを楽しんでいます。季節によって、僕の気まぐれで、店頭に並ぶケーキ(13種ほど)は日々殆ど違います。その日の素材によって、これとこれを組み合わせれば美味しいし、僕も楽しいと手が動いてしまいます。今日のショーケースを Instagramのストーリーに投稿しています。クリスマスには楽しいケーキをご用意しています。(予約制)ぜひご覧ください。
ウエディングケーキはお客様の要望をお聞きし世界で一つのケーキを作るので、色々挑戦させていただき学ぶ機会も多くありました。お客様が喜んでくれれば僕も嬉しく、さらに美味しく、デザイン性に優れたものを追求していきたいと思って、自然にレベルアップしていく。そんな経験の積み重ねで、概念にとらわれない遊び心溢れるケーキを作れるようになったと感じています。
当店は青い小さな立て看板が目印で、住宅街に溶け込み、通り過ぎてしまいそうなこじんまりとしたお店です。お客様から「分からないから、もっと大きな看板にして』と言われていますが、そこも僕のこだわりで看板は小さいまま、頑固なんですよ(笑)。散歩中の方がふらりと入ってこられて1つ、2つのケーキとクッキーを買っていかれる。ご自分へのご褒美なんでしょう。とても嬉しいことです。
甘さは控えめにして、もう一つ食べてみたいと思っていただけるようなケーキ作りを目指しています。僕はよく家族に新作を試食してもらいます。家族の表情から商品化するか判断します。表情が曇っている時はそこから改良していくのではなく商品化自体をやめます。頑固なんです(笑)。最近はリピーターの方が多くなりました。「また、食べたい」そう思っていただけているなら、職人として最高の幸せをいただいています。
いつかは店を持つという夢が実現し、7ヶ月経ちました。ゆっくりコツコツと気ままに、楽しく、自分の味を届けるために贅沢な仕事の仕方をしてきました。このやり方は僕に合っているとは思っていますが、経営者としてパティシェとして、このスタイルでいいのかと模索中です。
夢は叶いましたが、考えること、悩むことも多く、さらなる挑戦が始まりました。ケーキ作りの好きな僕は、その悩みも楽しみたい!それこそ贅沢ですね(笑)。
■半田市乙川太田町1-18-3 乙川小学校近く
■営業時間 11:00~19:00(売り切れ次第終了)
■定休日 木曜・金曜(臨時休業有り) ■TEL.26-1158
2022年11月16日(水)
味わい深い自家焙煎コーヒーと楽しい会話をお届けし、すべてのお客様が「ここちよく」過ごしていただけることをコンセプトに、サイニングストア「クラシカフェ」は、今年3月にオープンしました。聞こえない人と聞こえる人が共に働くサイニングカフェが、日本で最初に誕生したのは、2020年6月でした。(スターバックスコーヒー nonowa国立店(東京))中部圏でも当店は数少ないサイニングカフェではないでしょうか?
スタッフの中には就労支援事業所さんから派遣の聞こえない人も在籍し、互いに助け合いながら、熱心で温かい人柄のオーナーさんが焙煎したこだわりのコーヒーを提供しています。聞こえる人、聞こえない人がともに注文しやすいように、指さしオーダーを採用し、お客様にお願いしております。丁寧に何回も指さししていただけるお客様からは、優しさや温かさが伝わってきます。
お客様が注文する際に、覚えたばかりの手話で挨拶してくれたりして、手話が少しずつ広まって行く様子や、聞こえないスタッフが働くうちに明るく変わっていく姿を見る事は、とても嬉しいことです。聞こえない人は、コミュニケーションのできる場所が少ないので、知多半島だけでなく、ここに来て楽しい時間を過ごそうと、遠方の三河方面からも来店されています。また、駅前という利便の良さも手伝い、名古屋からもよくいらっしゃいます。顔を合わせれば、スタッフとお客様、お客様同士のおしゃべりが自然に始まっています。
また、一人暮らしの方は、家に居るのは寂しいと毎日のように来店されます。そして、コーヒーを飲みながらパソコンをしている人、お友達同士で楽しく話をされている人など沢山の笑顔や心地よさそうに過ごして
いる姿を見ると、このお店で働いていてよかったとしみじみ思います。
クラシカフェには、様々な方がいらっしゃいます。生活していく上で、困っている人を福祉につなげたこともあります。これからは、こういう街のお店が、お客様を見守りながら福祉へ橋渡しをする役目も必要になるのではないでしょうか?このクラシカフェは、様々な人がつながり、助け合い幸せになっていく、そんな場所であればと願っております。
25年ほど前に、テレビドラマの主題歌で手話を交えながら歌っている表情に感動し、私にもできるかなと思って手話講座を受けました。それがきっかけとなって、手話だけでなく、聞こえない人たちの日常生活も知りたいと思い、手話サークルに通い、聞こえない人たちが立ち上げた山の会に入会、手話カフェサロンなどのボランティアに関わってきました。その時に手話カフェサロンで、美味しいコーヒーの淹れ方を学びたいと思い、ココチヤコーヒーさんの移動販売先へ訪問しました。
そのご縁で、昨年6月に仕事を退職し、ココチヤコーヒー(*)でキッチンカーの移動販売をやる決心をしました。実は、カフェのお店を開くことは、密かな夢でした。不思議なのですが、キッチンカーと出会ったから、私の周りが動きはじめ、次々と状況が変わり出しました。そして、8ヶ月経って、好立地のクラシティ1階でのカフェスタンド出店の話をいただき、現在はクラシカフェの店長として楽しく働いております。私一人では叶わなかったことですが、今までのご縁がつながり、私はその動いている波にちょこんと乗っている感じかなと思っています。これからも、今できることをコツコツやっていこうと思っています。
私自身、ブレることもありますが、「ココチヤコーヒー心得」にあるように「目の前の人の幸せを願い、お客様、周りの人がここちよいかどうかを判断しながら、全ての人に深い愛情で接したい」と思っています。
手話をやっていくこと、聞こえない人と関わっていくことは、手話を教えてくれた亡き恩師への恩返しだと思っております。私のことを必要と求めてくださる人たちがいる限り、その想いにお応えしていきます。
*ココチヤコーヒーは、常滑市の自宅に焙煎所を置き、知多半島にて、自家焙煎コーヒーの移動販売、移動カフェを営業しています。
■ 半田市広小路町155-3 クラシティ 1F
■ 営業時間 10:00~18:00 ■ 定休日 第4水曜日
■ TEL.090‒6599‒1716
■ HP:http://kokochiya.com/
2022年10月27日(木)
休日でも患者さんから救いを求める連絡があれば診に行っていた父、そんな姿を見て「求められる仕事はやりがいがある」と医師になると決めたのは高校生の頃でした。最初は腎臓内科医の道を考えましたが、結局は尊敬する父と同じ消化器内科医を専攻し、最初の研修先は豊橋市民病院でした。
この病院は患者さんも多く、日付を越えての仕事は当たり前という激務で、緊急患者さんの受け入れ、診察する領域も広く、『先ずはやってみろ!』と背中を押してくださる恩師との出会い等、多様な経験が今の私の基礎となっています。全く知らない土地でしたが、多くの同期の仲間と切磋琢磨したことも支えになりました。その後名大医局の所属医師として半田病院、名大病院、西知多総合病院に勤務しました。地域性、規模、専門医の有無等によって仕事の仕方も異なっていましたが、どの病院も学びの場として、有意義な時間を過ごさせていただきました。
医師の場合、医大卒業後に暫く働き、その後に働きながら大学院に行く場合が多く、私も肝臓分野の勉強をしようと、名大大学院に入学しました。そこでの体験から研究医より、患者さんと実際に向き合う臨床医が私に向いていると改めて感じました。また、大学病院では高度な治療は行えますが、そこでの治療が終了すればかかりつけ医へ戻る方がほとんどであり、その後患者さんがどうなったかわからないことも多かったです。開業医のほうが治療の前後を含め長いスパンで患者さんと関わることができ、そういった関わり方のほうが自分に合っていると思い実家のクリニックを継ぐことを決心しました。
父の元に戻って4年半ほど過ぎ、クリニックの新築開院に合わせて今年の4月から院長として、理事長の父と一緒に働いています。木の温もりやその土地の持つ特徴を大切にされている設計士さんとの出会いで、院内には半田のまちを代表する山車・赤レンガの仕様があちこちに施され、大きな屋根は山車の連なりと波をイメージしています。
外来診療(内科、消化器内科、脳神経外科)と予防医学(人間ドック・健康診断)を2本柱とし、丁寧な時間をかけての診察、心配りや優しさ、常に患者さんの立場に立った対応を心掛けています。適切な治療やサービスをご提案する時には、その患者さんの背景を知る必要が時としてあります。そういう時には診察しながら、その患者さんとのお話をする時間を大切にしています。この仕事は、人とお話をするのが好きな方が向いている職種と感じています。私には、適職ではないかと思っています。
以前から病気をいち早く見つけて、治療につなげていく予防医学に力を入れてきました。定期的な健診は自分の体を知る上でとても重要であり、健康は自分自身で守るものです。健診後のフォローをきっちりできる。これは健診のみではなく外来診療もしている当クリニックならでは強みであり、経過観察も大切にしています。当院の専門である消化器内科分野では、内視鏡検査は「苦しいからやりたくない」と言われる方もいらっしゃいますが、苦痛の少ない鼻からのカメラや、眠りながらの大腸検査など、負担の少ない方法が
あります。また、乳房検査(マンモグラフィー、乳腺エコー)は、当院では女性技師が行っておりますので、安心して検査を受けていただけます。また、開放的な空間で気持ちよく過ごしていただけたら嬉しいですね。
専門分野に特化するか、身体全般に対応していくか。医院の在り方は二極化していく傾向にあるように感じています。若いうちは病に応じて専門の医師に診てもらうのも、その一つでしょうが、年を重ねる毎に、いくつもの医院にかかることは難しくなっていくのが現実ではないでしょうか。地域医療にかかわるものとして、専門のみではなく身体全般を診ることの出来る医師になりたいと思っています。女性医師としても、女性特有の不調や病にも対応できるように学び続けていきたいと思っています。
「院長」として少しずつ余裕が出てきましたが、無我夢中で毎日を過ごしています。2歳の息子のお世話は母に任せっきりで、息子の引き止める声に後ろ髪を引かれる思いで、仕事に向かうこともあります。夫が院内の総務、経理等を担当してくれていますので、仕事に専念できる体制づくりがスタートしました。両親がやってきたことを私たちがゆっくり引き継いでいる形です。これからも勉強していくことばかりですが、夫が一緒にやってくれるというのは大きな安心感です。仕事上、早く切り上げることもできる夫が晩御飯を作ったり息子の面倒をみてくれたり、本当に感謝です。
産婦人科医だった祖父から父、そして私へとバトンが渡され、医院としての形態は、少しずつ変化しています。でもその精神は変わらず、私たちは患者さんに近いかかりつけ医です。どんなことでもお気軽にご相談ください。
■半田市本町7-20
■診療時間 9:00~12:00 16:00~19:00
脳神経外科(予約制9:00〜12:00のみ)
■休診日 土曜午後・日祝日
■TEL.21-0052(診療部門) TEL.22ー3231(健診部門)